三権分立と「ツカサ」、「ミコトモチ」
戦前、皇道政治論を説いた藤澤親雄は、個人主義、自由主義の弊害を説くとともに、当時の政治制度に対して皇道の立場から独自の見解を示していた。
彼は、三権分立制度は決して天皇の御政治の分裂を意味するものではないと主張したのである(藤澤親雄『政治指導原理としての皇道』国民精神文化研究所、昭和十年三月、二十七頁)。彼によれば、わが国の三権分立は、欧米のように「権力的分立」や「権力的分割」ではなく、「機能的分立」だからである。
彼はこの「機能的分立」が、古代における「ツカサ」、「ミコトモチ」の思想と相通ずるとし、次のように書いた。
「…古代に於いては天皇が天下をしろしめす為に置かれた官職を『ツカサ』と称せられ、『ツカサ』の事務を執る事を『ツカサドル』と言ひ、何れも天皇の『コトヨサ』(御委任)せられる処であつた。かくて天皇の御政治を翼賛申し上げることは『ツカヘマツル』事である。……臣下が天皇の御政治に翼賛するのは必ず『ミコトモチテ』行つたのである。古代に於いては政治家又は官僚のことを『ミコトモチ』と称した。即ち天皇が天下を『シロシメス』に当つて、臣下は天皇の御委任により『ミコトモチテ』之を翼賛申し上げたといふのが皇道政治の著しい特色である」(二十八、二十九頁)
藤澤にとって、三権分立が「機能的分立」だという考え方に基づけば、三権分立制は古代以来の皇道政治となんら矛盾するものではないが、三権分立制が実際にはそのように理解されていないことに問題があった。したがって、藤澤は、「天皇も議会も共に独立の直接機関である」と主張する自由主義的法律学者の立場を、皇道の立場から是正すべきだと主張したのである。
次に藤澤は、三権の一つ「立法」(議会制度)を皇道の立場から位置づけようとする。その際、彼は古事記にある「八百萬神、天安之河原(あめやすのかわら)に神集(かんずまりましま)して」を引き、それが議会制度に対して非常に深い暗示を有していると説く。
彼によれば、議会は自由主義法学者の主張するような「何人の委任をも受けざる国家の直接機関」などではなく、議会は天皇が行われる一視同仁の御政治を翼賛申し上げるものである。つまり、天皇は天下を「シロシメス」に当たり、議会を通じて民の声をお聞きになるのである(三十一頁)。