「藤澤親雄」カテゴリーアーカイブ

藤澤親雄の皇道政治論②

法と倫理の分裂
藤澤親雄は、神武創業の詔勅に示された肇国の理想が「道義確立と徳治政治」にあったと説き、建国と樹徳とは不離の関係にあり、法と国家倫理とは不可分の関係にあると主張した(『政治指導原理としての皇道』三十五頁)。
ところが、明治維新後、西欧の自由主義的学説が輸入されるにつれて、国体論も法律的観察と倫理的観察とに分裂したと、藤澤は指摘する。
そして彼は、大日本帝国憲法第一条の解釈に関して、自由主義的法学者たちが、国体の語を倫理的観念だとして、法の領域から排斥しようとしていると批判する。
つまり、自由主義的法学者たちは、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とあるのを、単にわが国が法律上、君主政体であり、倫理的意味の国体を示すものではないと主張していると、藤澤は批判するのだ。自由主義的法学者たちは、君主政体とは法律制度を指す語であり、そこには過去の歴史を示す意味も、国民の倫理的感情を示す意味も含んでいないと解釈しようとしていると。そして、藤澤は次のように結んでいる。 続きを読む 藤澤親雄の皇道政治論②

藤澤親雄の皇道政治論①

三権分立と「ツカサ」、「ミコトモチ」
戦前、皇道政治論を説いた藤澤親雄は、個人主義、自由主義の弊害を説くとともに、当時の政治制度に対して皇道の立場から独自の見解を示していた。
彼は、三権分立制度は決して天皇の御政治の分裂を意味するものではないと主張したのである(藤澤親雄『政治指導原理としての皇道』国民精神文化研究所、昭和十年三月、二十七頁)。彼によれば、わが国の三権分立は、欧米のように「権力的分立」や「権力的分割」ではなく、「機能的分立」だからである。
彼はこの「機能的分立」が、古代における「ツカサ」、「ミコトモチ」の思想と相通ずるとし、次のように書いた。 続きを読む 藤澤親雄の皇道政治論①