『南の精神誌』の主張

日本の神社の起源はどこにあるのか。南方系説を唱える岡谷公二氏は、『南の精神誌』(新潮社、2000年)において、次のように書いている。
「インドネシアは一般にイスラムを宗教としているが、バリはヒンズー教を信じるほとんど唯一の島である。しかしインドのヒンズー教とは大分様相が異り、土着の宗教と習合していて、どこか日本の古い信仰を思わせるところがある。プラとは、このヒンズー教の聖地で、寺と訳されることが多いが、あきらかに神社に近い。チォンディ・ブラタールと呼ばれる独特の割れ門や、プラをかこむ壁の表面にヒンズーの神々が所狭しと彫刻されていることも多いけれど、中には一切彫刻がなく、森だけのところもある。神域内の樹木は一切伐採を許されず、その上台風が滅多に来ない島なので、プラの森はどこも深い。とりわけワリギンと土地の人々の言うガジュマルの中には、想像を絶する巨木がある。そうした森が、棚田の彼方に浮かぶさまは、まさに鎮守の森だ。田舎で出会った、米の神を祀るというプラなどは、森の中に建物が一切なく、柱の上にのった小さな祠だけで、御嶽と少しも変らなかった」(190頁)

さらに、岡谷氏は谷川健一の『黒潮の民俗学』(筑摩書房)に基づいて、照葉樹林の濃密な繁茂と、海洋性の湿気のこもるその小暗い闇と、海の光がなければ、日本文化の基層にある森の信仰は生まれないという気がすると主張、この種の森に君臨するのは、天空からおりてくるのではなく、海の彼方の他界から訪ねてくる神でなければならないとする。
この神の出現は、岡正雄が類型化した神の出現形態(垂直的に表象するもの=天神信仰に基づく祖先崇拝は、父系祖先的および英雄神的傾向が強く、朝鮮半島から中央アジア、シベリアの諸民族に顕著に現れている/水平的に表象するもの=母系祖先崇拝・女神崇拝・霊魂崇拝などは、東南アジアおよびオセアニアの古層文化にみられる)に対応する。
結論として、岡谷氏は御嶽を代表とする神の森の信仰を支えるのは、明らかに、神の出現を「水平的に表象する」南方系の人々であり、社会だと主張する。

坪内隆彦

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坪内隆彦