佐藤清勝は、『世界に比類なき天皇政治』第二編「日本の天皇政治」二章以下で、歴史を遡って天皇政治の実例を明示した。ここで佐藤は「太古」「上古」「中古」「近古」「現代」の五つの時代に分けたが、政治研究として十分成立する「上古」以降をその分析の対象とした。
「上古」は、神武天皇から第三十五代の皇極天皇(在位:皇紀一三〇二~一三〇五年)までである。佐藤は、「上古」の政治史の概要、政治組織、対内政治、対外政治を眺めた後、この時代の天皇の政治思想を、国家観、政治観、法政観、臣民観から考察し、上古天皇政治の本質に迫った。
佐藤は、上古天皇政治の第一義は「天皇の親政」であるとする。神武天皇から斉明天皇に至る千三百年間の政治は常に天皇の親政であった。用明天皇の御代以後、蘇我氏による専横の時代があったが、中古の藤原氏のような事態には至らず、歴代天皇は精勤治を励み、内治に力を尽くし、外敵に対しては常に自ら出陣し、兵馬の大権を臣僚に委ねなかったと指摘する。佐藤は、こうした事実が上古天皇政治が大いに振るった理由だと説く。
次に佐藤は、上古天皇政治の第二義は「祭政一致」であるとし、天皇は敬神崇祖の心を国民に及ぼし、愛人撫民の政治を行ったと説く。第三義は「積徳愛民」であるとし、上古天皇の臣民観は、慈母の赤子を視るように、仁慈愛撫を旨としておられた述べる。そして、第四義は「簡易健実」であるとする。天皇は多くのは臣僚を置かなかったため、直接民情を把握することができ、その民情に基づいて政治を行うことができたのである。
頼山陽は、『日本政記』において「大凡、国朝簡質ヲ以テ民ヲ治ム、上下心ヲ同フシ、国一人ノ如シ、コレ国勢四外ヲ威スル所以ナリ」と書き、また『日本外史』において「蓋シ、我カ朝ノ初メテ国ヲ建ツルヤ、政体簡易、文武一途海内ヲ挙ケテ皆兵トナシ、而シテ天子之カ元帥トナリ、大臣大連之カ褊裨ト為ル」と論じている。
佐藤は、最後に以下のように総括している。
「上古の天皇政治は天皇親政の政治であり、祭政一致の政治であり、積徳愛民の政治であり、簡易健実の政治であつた。即ち天皇の聖徳を以て、直接臣民を治められた政治であり、而して、臣民も亦天皇の聖徳を仰ぎ、上下親和し君民協力し、以て国威を発揚したる理想に近き政治であつた。而して、支那の唐虞三代、堯、舜、禹、湯の聖世に譲らざる政治であつたのである。予は是を称して、完全なる道徳主義の政治、国家主義の政治であつたと断言するのである」(百二十五、百二十六頁)