『GHQが恐れた崎門学』書評8(平成28年12月13日、15日)

 哲学者の山崎行太郎先生に、ブログ『毒蛇山荘日記』(平成28年12月13日、15日)で、拙著『GHQが恐れた崎門学』の書評をしていただきました。心より感謝申し上げます。

平成28年12月13日
 〈江戸時代は「天皇親政」=「国体思想」は、反体制的革命思想だった。ーー『GHQが恐れた崎門学』(坪内隆彦著)を読む。
 坪内隆彦さんの新著をいただいたので、今、読んでいる。坪内さんには、『アジア英雄伝』という名著があり、私にとっては、たびたび読み返す愛読書の一つになっている。今回の新著は、テーマがテーマだけに、あまり期待していなかったが、予想外に面白い。江戸時代の尊王=国体思想というものが、よく分かった 。
 今、「尊皇思想」=「天皇親政」=「国体思想」というと、体制擁護、権力迎合の政治思想のように思いがちだが、少なくとも、江戸時代においては反体制的革命思想だった。「反体制的革命思想」で故に、江戸幕府によって逮捕、投獄され、多くの人が死んでいる。江戸幕府という権力によって殺されたのである。
 崎門学(きもんがく)とは、山崎闇斎が創始した尊皇思想を基盤とした反体制的な政治哲学である。崎門学は、万世一系の天皇による親政を理想とし、闇斎は「徳を失った天子は倒していい」とする易姓革命論を否定する形で朱子学を受容し、さらに伊勢神道、吉田神道、忌部神道を吸収し、自ら「垂加神道」を打ち建てる。
 崎門学は、明治維新を実現するのに貢献した尊皇思想の中心学派であった。崎門学の系譜に連なる梅田雲浜(うめだ・うんぴん)という思想家(イデオローグ)が、逮捕、投獄されるところから、本書は始まっている。

 明治維新によって、彼等の尊皇思想としての革命思想は実現したが、そこに至るまでに、梅田雲浜から吉田松陰まで、多くの人が逮捕、投獄、獄死している。私が、本書が面白いと思ったのは、そこに理由がある。私は、思想や哲学、文学というものは、「殺すか、殺されるか」「生きるか、死ぬか」という場面で、その真価を問われるものだと思う。「殺された」ということは、「死をも恐れずに、思想や政治の実践活動に身をささげた」ということである。
 おそらく、明治維新後、尊皇思想や国体思想について語り 、論じることは、江戸時代に、特に明治維新の直前の頃にくらぶれば、危険なことではない。私が、保守や右翼を自称しながら、あまり尊皇思想や国体思想に深い関心を寄せてこなかったのは、そこに大きな理由がある。
 しかし、本書は、あくまでも「反体制的革命思想」としての崎門学とその系譜を論じている。安全な「体制擁護思想」としての崎門学ではない。本書は、特に、江戸時代の「志士たち」の魂を揺さぶった五冊の思想書を中心に、崎門学の思想と系譜を論じている。
 浅見絅斎(あさみ・けいさい)の『靖献遺言(せいけんいげん)』、栗山潜鋒(せんぽう)の『保健大記(ほうけんたいき)』、山県大弐の『柳子新論』、蒲生君平(がもう・くんぺい)の『山陵志(さんりょうし)』、頼山陽の『日本外史』の五冊。
 著者の坪内隆彦は言う、 「これらの書物なくして、明治維新はなかったと言っても過言ではないと考えています。これらの『聖典』には何が書かれていたのか、そして、志士たちの魂をいかに激しく揺さぶったのか、それを本書で解き明かしていきます」と。
 本書のもう一つの特色は、タイトルが示すように、崎門学系統の多くの書籍が、戦後、GHQによって「焚書」「禁書」にされたことを明らかにしていることである。米占領軍が、もっとも恐れたものが、なんであったかを示している。日本人の心の奥底に眠る尊皇思想=国体思想だということだろう。
 依然として「米国支配」が続く現代日本にあっても、崎門学を中心とする尊皇思想や国体思想は「反体制的革命思想」だということだろう。崎門学とは何か。あらためて考えてみなくてはいけないテーマである。(続く)〉

平成28年12月15日
〈『GHQが恐れた崎門学』を読む(2)—江戸時代の「志士たち」の魂を揺さぶった浅見絅斎の『靖献遺言』その他。
 坪内隆彦の新著『GHQが恐れた崎門学』なる本を読んでいる。そして、その中で紹介されている五冊の思想書に興味を持った。特に浅見絅斎の『靖献遺言』。本のなまえは知っていたが、読んだことはなかった。『靖献遺言』なる江戸時代の思想書には、いったい、何が書かれているのか?「思想家や文学者の価値は、その生き方によって決まる」というのが、私の自論だが、「思想家の生き方」を記したのが浅見絅斎の『靖献遺言』だ。
 『靖献遺言』は、浅見絅斎が1687年(貞享四)に書いた書物で、中国の古典的な「忠孝義烈」の英雄たちを題材に、「君の御為には、一身を捧げ奉らなければならないという道理」を、「空理空論」ではなく、「具体的な事実を通じて」説いたものである。
 何故、中国の「忠義」の志士たちの話なのか。何故、日本の志士たちの話ではないのか。それは、弾圧や出版妨害を恐れたからだ。つまり、山崎闇斎や浅見絅斎等が、弟子たちに厳しく説いたのは、知識や教養ではなく、あくまでも実践行動を目指す危険な政治哲学だった。
 「大義を貫くために、生命の危機に耐えて全く屈さなかった義烈の志」の生き方を、古代中国の英雄的人物たちの実例を挙げながら説いている。その結果、絶えず、幕府側から監視・警戒されることになった。
 坪内隆彦は、こう書いている。<<『靖献遺言』が、君のためには一身を捧げ奉らなければならないという道理、つまり君臣の大義を実例で示し、その実践を求める書であるとすれば、そこから皇政復古のための実践が導き出されるのは当然です。(続く)


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