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『維新と興亜に駆けた日本人』の書評(2012年3月28日)─評者・杉原志啓氏/『欠陥政党民主党』

評者・杉原志啓氏/『欠陥政党民主党』(撃論+、オークラ出版、3月28日)ブックレビュー

硬軟織り交ぜた良書3冊
「(前略)いまひとつ、逆に若い知識青年へ大推薦の坪内隆彦『維新と興亜に駆けた日本人』は、幕末から明治・大正期にかけて活躍した愛国者たち二十人の、いわばコンパクトな評伝選とでもいうべき硬派一徹の著作だ。ポイントは、当該期における誰でも知っているビッグ・ネームが西郷南州(隆盛)ひとりで、他は松村介石、荒尾精一等、一般にあまりなじみのない顔触れが採りあげられていること。そして、それぞれの源泉に「国学、陽明学、崎門学、水戸学」など「国体思想」の通貫を明らかにしていることで、最新資料を駆使しているところは学術的にも◎だ。
例えば自由民権連動の理論家として知られる植木枝盛の項で著者はいう。かれの評価は「一面のみが強調されてきた」。しかし、植木が「民権論と国権論を同時に唱え、かつ独自の興亜論を展開したことを忘れてはならないと。「興亜論」が実にしかりだ」

派遣法を「許しがたい悪法」と糾弾した副島隆彦氏

労働分野における新自由主義の導入は、格差拡大のみならず、日本社会崩壊につながる重大な問題をはらんでいる。
小泉政権以来の派遣労働自由化の流れは、2009年の政権交代によって、ようやく変わるかに見えた。同年9月9日、民主党、社会党、国民新党の連立与党が、次のように合意したからだ。

「日雇い派遣」「スポット派遣」の禁止のみならず、「登録型派遣」は原則禁止して安定した雇用とする。製造業派遣も原則的に禁止する。違法派遣の場合の「直接雇用みなし制度」の創設、マージン率の情報公開など、「派遣業法」から「派遣労働者保護法」にあらためる。

ところが、この合意に基づいて提出された派遣法改正案が、いま骨抜きにされようとしている。以下、副島隆彦氏のブログから引用する(2009年8月1日、ルビは割愛)。
《労働者派遣法は、許しがたい悪法であった。以下でその成立の経緯は、概略説明する。
企業が、正社員を雇う必要がなくして、非正規雇用の、アルバイト労働者ばかりの会社にしていい、と、小泉政権が、音頭を取って、労働法を、どんどんなし崩しで改悪していった。
そのために卑しい企業経営者たちが、調子に乗って、自分の従業員を、徹底的に痛めつけるために、どんどん非正規雇用、派遣社員にしていった。「企業経営は甘くはないのだ。正社員なんか、そんなに抱えられない。人件費がかかりすぎて利益が出ない 」という、間違った考えで会社経営をやる者たちが、世の中の前面に躍り出た。
小泉政権の中の、各種の審議会で、「労働(力)市場の流動化」を推進して、「活力ある企業は、高すぎる労働賃金を見直す」というスローガンの下で、おかしなことをやりつくした。
ジ・アールかの奥谷禮子や、ICU(アイ・シー・ユー、国際基督教大学、実質は日本ロックフェラー大学)教授の八代某や、その他、多くの、「労働市場の流動化」の旗振りをやった、人間たちを、今こそ、糾弾しなければならない。  続きを読む 派遣法を「許しがたい悪法」と糾弾した副島隆彦氏

「骨抜き派遣法改正案」=小泉・竹中路線への回帰

厚生労働委員会(平成23年12月7日)の会議録

出席委員
委員長 池田 元久君
理事 岡本 充功君 理事 中根 康浩君
理事 長妻  昭君 理事 柚木 道義君
理事 和田 隆志君 理事 加藤 勝信君
理事 田村 憲久君 理事 古屋 範子君
石森 久嗣君    石山 敬貴君
稲富 修二君    大西 健介君
工藤 仁美君    斉藤  進君
白石 洋一君    田中美絵子君
竹田 光明君    玉木 朝子君
長尾  敬君    仁木 博文君
橋本  勉君    初鹿 明博君
樋口 俊一君    福田衣里子君
藤田 一枝君    牧  義夫君
三宅 雪子君    水野 智彦君
宮崎 岳志君    山口 和之君
山崎 摩耶君    吉田 統彦君
あべ 俊子君    鴨下 一郎君
菅原 一秀君    棚橋 泰文君
谷畑  孝君    永岡 桂子君
長勢 甚遠君    松浪 健太君
松本  純君    坂口  力君
高橋千鶴子君    阿部 知子君
柿澤 未途君

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厚生労働大臣       小宮山洋子君
厚生労働副大臣      牧  義夫君
厚生労働大臣政務官    藤田 一枝君
厚生労働大臣政務官    津田弥太郎君
会計検査院事務総局第二局長            川滝  豊君
政府参考人
(厚生労働省大臣官房年金管理審議官)       今別府敏雄君
政府参考人
(厚生労働省職業安定局派遣・有期労働対策部長)  生田 正之君
参考人
(労働政策審議会会長)  諏訪 康雄君
厚生労働委員会専門員   佐藤  治君

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○池田委員長 これより会議を開きます。 続きを読む 「骨抜き派遣法改正案」=小泉・竹中路線への回帰

民主党の裏切り─労働者派遣法改正案を骨抜きに

宮内義彦氏と人材業界トップが推進した労働分野の規制改革
労働分野の規制改革は、新自由主義政策を推進する小泉政権下で一気に加速されたが、その際そのアクセルを踏んだのが、オリックス代表取締役会長兼グループCEOの宮内義彦氏を議長とする総合規制改革会議である。
問題は、労働分野の規制改革が、関係業界の利益を拡大するために進められてきたことである。驚くことに、総合規制改革会議の委員には派遣会社など人材関連企業のトップが三人入っていた。株式会社ザ・アール代表取締役社長の奥谷禮子氏、株式会社リクルート代表取締役社長の河野栄子氏、株式会社イー・ウーマン代表取締役社長の佐々木かをり氏である。
総合規制改革会議の人材(労働)ワーキンググループ主査を務めたのは、慶應義塾大学商学部教授の清家篤氏である。
総合規制改革会議は、平成13年7月24日に発表した「重点6分野に関する中間とりまとめ」の中で、次のように主張していた。 続きを読む 民主党の裏切り─労働者派遣法改正案を骨抜きに

アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る

いまから15年前の1997年、タイのバーツ下落に端を発したアジア通貨危機によって、マレーシア経済も苦境に陥った。このときマハティール首相は、通貨下落の引き金を引いたヘッジファンドなど投機家筋を厳しく批判するだけではなく、通貨取引規制を断行し、自国経済を死守した。後年、マハティール首相の採った政策は、世界のエコノミストの間でも評価された。
ところが当時、投機家筋サイドに立った欧米のメディアだけではなく、日本のマスメディアもその尻馬に乗って、マハティール首相を執拗に攻撃していた。特に顕著だった読売新聞シンガポール特派員の林田裕章記者の報道を振り返り、その意図について改めて考察する材料としたい。

①マレーシア孤立の危機 欧米敵視の株価策裏目 ASEM巡り東南アに亀裂
『読売新聞』1997年9月5日付朝刊、6面
【シンガポール4日=林田裕章】マレーシアが外交・経済両面で孤立の危機に陥っている。欧米の投機筋を締め出すための株式市場規制策が裏目に出て、株価下落に歯止めがかからないほか、来年四月のアジア欧州会議(ASEM)へのミャンマー参加問題をめぐっても、他の東南アジア諸国連合(ASEAN)各国との亀裂が表面化した。
七月のタイ・バーツ暴落をきっかけにした東南アジアの経済不安が続く中、マハティール首相は三日、株価の急落に対抗するため、優先的に国内投資家から株式を買い入れる目的で、六百億マレーシア・ドル(約二兆四千七百億円)にも上る基金を設置する方針を明らかにしたが、この際、「外国からの資金に頼る必要はない。問題はわれわれの力で解決できる」と述べ、欧米への敵意をあらわにした。
しかし、この基金設置政策については、欧米の機関投資家の間から、「マレーシアの国際市場での信用を落とすだけだろう」との反応が続出しているほか、フィリピンのデオカンポ蔵相も三日、「マレーシアの政策は害はあっても益はない。外国からの投資の冷え込みが長期間にわたることさえあろう」と語った。
実際、四日のクアラルンプール株式市場は一時一〇%近くの暴落となり、三日に外国投資への規制緩和など、マレーシアと反対の経済政策を発表したインドネシア・ジャカルタ市場と、明暗を分けた。
一方、ロンドンで開かれるASEM第二回首脳会議へのミャンマー参加をめぐって、クック英外相が一日、訪問先のシンガポールで「人権侵害の続くミャンマーの参加は認められない」と述べたことに対し、マハティール首相は、「ミャンマーへの差別はASEANへの差別だ。ミャンマーの参加が認められなければ、ASEANは首脳会議をボイコットすることになりかねない」と語った。
しかし、英国がミャンマーを拒否するだろうことは、ASEANにとっては織り込み済みで、インドネシアのアラタス外相は三日、「ASEMへの参加は国家単位のものであって、欧州連合(EU)との会合ではない」と指摘、先走るマレーシアにクギを差した。 続きを読む アジア通貨危機報道・15年目の真実─読売新聞・林田裕章記者の報道を振り返る

格差社会アメリカの現状:Coming Apart: The State of White America, 1960-2010

 チャールズ・マレー(Charles Murray)氏が1月に刊行した『Coming Apart: The State of White America, 1960-2010(分断:アメリカ白人社会の状況─1960~2010年)』が注目を集めている。
マレー氏が同書で示す統計は、格差社会アメリカの驚くべき姿をはっきり示している。彼は「1960年に、30~49歳のブルーカラー層の84%が結婚していたが、2010年に48%に低下している」「1970年に、高卒の白人女性でシングルマザーである比率は6%に止まっていたが、2008年には44%に急上昇した」といった事実をつきつける。
名門大学の学位を取得した、弁護士、医師、エンジニア、教授、メディアのプロデューサーといった高度スキルのホワイトカラー層が、富を独占している。エリート層は、彼らだけでコミュニティを築いている。エリート層は特定の地域に集中して住むようになっている。エリートだけが特定の郵便番号に住めることになる。マレー氏は、それを「スーパージップ(SuperZIPs)」と呼ぶ。

同書のエッセンスは、彼が1月21日付のWSJに書いた「The New American Divide(アメリカ社会の新たな断層)」に示されている。
わが国でも、新自由主義の導入によって格差が拡大しつつある。いまこそ、アメリカ社会の現状を直視し、彼らがこのような状況に陥った原因を改めて考える必要がありそうだ。

ASEAN+3への道①─EAEC不参加密約

アメリカとの密約
1990年12月10日、マハティール首相は東アジア経済グループ(EAEG)構想を提唱した[後に東アジア経済協議体(EAEC)に改称、両者の概念は若干異なるが、以下ここでは、引用部分を除いてすべてEAECと表記する]。経済問題について、より密接に討議する場を作ろうというのが提案の趣旨だった。当面のメンバー国は、ASEANと日本、韓国、中国である。
 欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)が矛盾しないように、EAECと日米安保は矛盾するものではない。いわんや、EUが反米を目的とした機構ではないように、EAECは反米を目的とした機構ではない。同時に、EAECは特定の大国が主導するものではなく、対等、相互尊重の原則に基づいて東アジア各国が主体的に参加する場である。
 EAECには、真に対等、相互尊重、相互利益の原則による共栄圏を東アジアにつくり、国際社会にその原則を示して、世界を支配する価値観の修正を促す、という企てさえを読みとることができる。
 1994年5月23日からクアラルンプールで開かれた太平洋経済委員会(Pacific Basin Economic Council=PBEC)第27回総会の基調演説で、マハティール首相は自らの太平洋協力構想を明確に示した。彼は、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの違いについてふれた後、次のように続けた。
 「私たちが建設しなければならないのは、太平洋ゲマインシャフトです。太平洋は、人工的な国家関係ではなく、村・家族・友人のような関係として結び付くグループを建設しなければならないのです」と。彼は、パックス・シニカ(中国による平和)もパックス・ニッポニカもパックス・アメリカーナも拒否し、平等、相互尊重、相互利益の原則に基づいた太平洋コミュニティーをつくりたいと訴えたのである(Dr. Mahathir’s Speech,”Building an Egalitarian Pacific community”,ISIS FOCUS ,April 1994, pp.43-48.)。
 ところが残念なことに、アメリカはEAECに反対した。そこには、アジアの秩序を自らの手で構築したいというアメリカの驕りがあったのではなかろうか。
 EAEC実現阻止のために、アメリカはASEANの分断を狙ったかに見える。しかし、結局ASEANは自らの意思でEAEC支持の立場を固めた。ところが、日本政府は「EAECに乗るな」というアメリカの圧力に屈して、EAECを支持することができなかったのである。 続きを読む ASEAN+3への道①─EAEC不参加密約

東アジア経済グループ(EAEG)構想関連文献

雑誌論文・記事

著者 タイトル 雑誌名 発行日
鈴木 隆 「日本外交における東アジア共同体論の位置─EAEC構想を手がかりに」 『国際関係学研究』』 2007
金子 芳樹 「マハティールの政治哲学とEAEC構想」 『国際比較政治研究』 2006.3.
山下 英次 「小泉首相の「東アジア外交政策演説」(2002年シンガポール演説)とその評価 : アジア統合論者の視点から」 『經濟學雜誌』 2004.9
鈴木 隆 「グローバリゼーションと東アジア地域システム─EAECの展開過程に見る日本外交の役割」 『作新学院大学人間文化学部紀要』 2004.03.
塩谷 さやか 「東アジア経済グループ(EAEG)構想に見る「マハティール主義」─1980年代のマハティールの諸政策とEAEG構想の関連性に関する一考察」 『アジア太平洋研究科論集』 2003.9.
櫻谷 勝美 「「東アジア経済圏」を阻むアメリカと東アジア諸国の反応─頓挫したEAEC構想をてがかりとして」 『季刊経済研究』 2003.3. 続きを読む 東アジア経済グループ(EAEG)構想関連文献

神への感謝とタイ舞踊

タイ舞踊は、約1000年前にクメール人によってインドから輸入されたとされる。タイ古典舞踊の80%は、ラマキェンというラーマーヤナから取材した内容とそれに付随した挿話である。
インドからもたらされた舞踊は、タイ王宮の保護を受け、タイ国民の温和な性格などに培われて、独自の舞踊として発展した。仏塔をイメージした金の冠をかぶり、絢爛豪華な衣装を身に着けて踊るタイ舞踊について、かつて榊原帰逸は、インドほど急調の強いものでもなく、中国のように喧噪なものでもなく、優雅な静けさを持ったものであるということができると指摘していた(榊原帰逸『アジアの舞踊』わせだ書房新社、1965年、133、140頁)。タイ舞踊では、タン(Tun)という親指だけをはなし、他の指を揃えてそらした形と、チープ(Cheep)という親指と人差指をつけ、他の3本をそらして1本1本離した形の2種を使い、体全体で意味を規定する。
「タイ舞踊」(秋元加代子タイ舞踊団)は、次のようにその宗教性を強調している。
「タイの舞踊は元来、神に感謝を表す儀式で踊りを捧げるのを目的として踊られてきました。タイの民衆は山や川、森などの自然界に宿る神々を信じ、神々を喜ばせるために踊ったり歌ったりしていたと言われています」(秋元加代子タイ舞踊団)