佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート②

佐藤清勝著『世界に比類なき天皇政治』の特徴は、単に天皇政治を称揚するだけではなく、西洋政治学の問題点を具体的に指摘した点にある。
戦後わが国においても、「政党政治の行き詰まり」論をはじめとして、民主主義批判はあるが、佐藤は西洋政治を、より原理的に批判しようとした。
同書第一編「西洋政治の論評」第一章「西洋政治学に対する批判」において、佐藤は西洋政治学の展開を概要次のように説明する。
欧州における政治学はギリシア時代から登達し、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのような哲学者は、いずれも道徳を論ずるとともに政治を論じた。彼らは政治の理想を道徳に置いていた。
一大帝国を築いたローマ時代には、政治の実際においては見るべきものは少なくなかったが、政治学はそれほど発達しなかった。ローマにおいて発達したのは、政治学よりもむしろ法律学であった。
キリスト教全盛時代の中世紀はローマ法王が権力を振るった時代であり、その政治学もキリスト教神学を基礎とした神治政治を主張したものであった。アウグスティヌス、アンセルムス、トマス・アクィナスなどが神学的政治を主張した代表的な思想家である。
ルネサンス以降には、宗教的神学説を離れて、ギリシアの哲学・政治学を研究したものが多くあり、多数の政治学者を出した。一七世紀、一八世紀に政治学は著しく発展し、自然法説とともに、国家契約説、社会契約説が全盛を極めた。グロティウス、スピノザ、ホッブズ、ロック、モンテスキュー、ルソー、カントなどが代表的な学者である。
一九世紀に入ると、スミス、ベンサム、ミルなどが功利的道徳説を唱えるとともに、功利を政治の目的とする学説を唱え、彼らの自由主義経済学説とともにも、一時その思想は欧州を風靡した。一九世紀中葉になると、社会は貧富の懸絶のため無数の窮民を生じ、彼等の悲惨な生活に同情して、唯物哲学と階級争闘説を根拠として、社会主義、無政府主義が生じた。マルクス、エンゲルス、バクーニン、プルードンなどである。
一方、一九世紀中葉から、コント、スペンサーなどによって創設された社会学が発展し、それを根拠として国家、政治を論ずるようになった。

以上のような西洋政治学の展開を辿った上で、佐藤は、①国家観、②法律説、③君主政治説、④民主政治説、⑤共産政治説──の観点から西洋政治学を批判する。
まず、①国家観批判では、アイルランド問題を挙げ、総じて西洋では国家成立の根本が多民族の混淆から成り、時として一国内において言語・風俗・習慣を異にし、相融和しないものが存在すると指摘する。そのため、欧米人の国家観は、会社や組合のように、国家を寄合人の成す団体と見ると説く。
西洋の国家観といっても多様ではあるが、この点においては共通する。功利的国家観は個人の生存と利益のために国家は成立するものと考え、唯物的国家観では個人の経済的利益のために国家が成立するものと考え、多元的国家観は国家を一種の職能団体と考え、労働組合のような団体の一種と考える(十一頁)。
このように指摘した上で、佐藤は欧米の国家観は、日本国民の国家観と全然反対だとして概要次のように説明する。
わが国は欧州諸国家のように民族の遷移、侵略などの事実がなく、純粋単一の民族であり、一家族の拡大延長した国家だから、君民は同祖であり、国家は総て同一血統である。それ故に、君民は一体であり、同一生命である。したがって、我々の国家観は寄合団体ではなく、家族的団欒を営む肉親の一体であるから、父子のように君民相敬し、相愛し、兄弟のように国民相親しみ、相和する(十二頁)。

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