〈本篇は翁最晩年の著述である。水野満年翁宅において本書を脱稿一ヵ月後に微恙を覚えられ、療養に努めるも寄る年波のためか回復渉々しからず、翌々大正二年に逝去されるのである。そのため翁にとってなお不満とせられるところがいくつかあったようであるが修正の機会はなかった。
とはいえ、本篇こそは翁畢生の大著である。翁によれば『古事記』は無上の事実が八通り収められている極典であり、従ってその研究分野も八通りに大別される。(一)歴史、(二)天文、(三)地文、(四)暦術、(五)人類成立之極元、(六)日本語学、(七)天造之神算木の極典、(八)世界の大通義。本書は特に(六)をポイントとして翁独得の奇想天外から来るともいうべき解釈を縦横無尽に展開する雄篇である。『天津神算木之極典』末尾の一文からは、翁が稗田阿礼の再生との自覚を持っておられたことが窺えるが、とすれば、今の世のため本篇を最後に書き残し、人類の指針の大度衡とすることこそがその再生の使命だったとも言えよう。それ故種々指摘さるべき事柄は多いが、ことに注目されるのは、太古より伝来したとされる言霊図表「ますみの鏡」の玄義を初めて明らかにしていることである。
「日本語は円明正朗なる声が七十五声有る也。此の七十五声を写真に正列したる鏡を太古より真須美と云ふ也。此の真須美と日本全国の地体と密合して居る也。故に人の体と密合して居る也。又人の心の全体と密合して居る也」
かく断言し、『古事記』の解と絡めて詳説詳述しているのであるが、この師説を受けた水野満年翁は日本の地理と真須美の連関を示す図を書き残されており、一時三五(あなない)教の人々の間に流布されていたことがあり、私自身も見た記憶がある〉「大石凝真素美全集解題」