蒲生君平が天皇陵(山陵)を研究調査する上で頼りにしたのは『古事記』『日本書紀』の陵墓関係記事と「諸陵寮」である。「諸陵寮」とは、延長5(927)年に完成した格式(律令の施行細則)『延喜式』の中で、朝廷が管理すべき山陵諸墓に関する記述部分。 記紀では陵墓所在地が漠然と指定されているのに対して、「諸陵寮」では位置を明示している。 陵墓名の下に諡号、陵墓所在地名、兆域の大きさ、四至(東西南北の境界)、陵戸や守戸の数などが記されている。
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