東京裁判において、多数派判事たちは、わが国が満州での権益とそれを守る権利を持つことまでは認めながらも、わが国の行動は明らかにそれを逸脱していたと主張した。これに対してベルナールは、日本が条約で手に入れた満州の地を自らの「生命線」とみなしていたのは何ら不法なことでもなく、既得権を脅かされた日本軍がその防衛のためにしばしば起こした騒動のいくつかは当然の権利として起訴されるに値しないと擁護したのである(168頁)。
さらに注目すべきは、東京裁判には正当で公正な判断を下すために必要な信用できる証拠が圧倒的に足りず、その採用の仕方にも偏りがあると、ベルナールが考えていたことである。
彼がこうした立場をとることができたのは、なぜなのか。著者は、彼がフランス人であったことに注目し、超大国アメリカとは一線を画す「ド・ゴール主義」を挙げて、次のように書いている。
〈フランスという国は常に自らの国益を死守する一方で、ここぞという時には必ず大義や理念をも前面に掲げ、外に向けて発信しないと気が済まない。そう振る舞うことで、あくまで現実的視野に立ち冷徹な計算を行いつつも、同時に「栄誉」という形式も伴わずにはいられない国、つまり「国家の威厳」を何よりも重んじようとする国なのである〉(23頁)
著者は、東京裁判は、連合国の正義の原則に立つ「共同裁判」の建前をとっていたにもかかわらず、判事や検察官の任命も含めた運営のほぼ全てが、アメリカの恣意的な指導の下に行われたことに注目し、それに真っ向から対峙したのがフランスという国を代表する一人の男ベルナールであったと述べる。
もちろん、ベルナールがアメリカ主導の裁判に抵抗したのは、裁判の論理に大きな誤りを見出していたからにほかならない。
著者は、ベルナールの経歴や思想形成にまで踏み込んで、彼が唱えた異議の本質を浮き彫りにしていく。それは、パリ不戦条約やポツダム宣言、東京裁判所憲章に足場を置き、法実証主義の立場から「侵略戦争」を裁くことへの根源的な批判である。ベルナールは、侵略戦争は人間のア・プリオリな良心によって裁かれるべきなのだと考えていたのである。
著者は、〈アンリ・ベルナールは、不正な戦争、すなわち侵略戦争を犯罪と認めるのはただ「神の法」に反する時だけであり、戦争の下で不正を働いた個人に責任を負わせるのもただ「神の法」に反したからであるという大きなストーリーにでもしておかない限り、東京裁判などというものに何ら権威も与えられず、未来の人間たちにも示しがつかないと考えていたのではないのだろうか〉(111頁)と書いている。
実は、裁判長を務めたオーストラリア出身のウェッブもまたベルナール同様、敬虔なカトリック信徒であり、自然法の適用を主張していた。ところが、実定法主義の立場に立つ同僚判事からの批判を浴び、ウェッブはその立場をトーンダウンさせていった。こうした中で、最後まで「自然法」による裁きを主張し続け、アメリカによる原爆投下をも批判したのがベルナールだった。これについて、著者は次のように書いている。
〈実際、東京裁判において「人間などを超越した法」によって判定が担われ、その射程がアメリカの原爆投下にも及ぶものと成り得ていたのならば、日本人もその結果を、少なくとも現在よりは障壁なく受け止めることができたと言えるのではないのだろうか。/自らの植民地支配や戦争犯罪を棚に上げたままの国々を代表する判事たちが、自らの作った法の下に一方的に裁きを下すという行為は当時であれ今日であれ、素直に受け入れられるものであるはずがないのだ〉(224頁)
〈……「神」を信じて「神」のために戦った日本人被告たちに対し、「神」の法により裁きを下そうとしたベルナールの判断こそは「絶対」のものに成り得ていたのかもしれないのだ〉(226頁)
これまで、日本人がベルナールの主張を顧みなかった理由は単純ではないが、その理由の一つに、彼が天皇の戦争責任を強く主張していたことがある。それでも日本人は彼の主張に改めて向き合う必要があるのではないか。