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天皇の火葬をどう考えるべきか─蒲生君平の主張を再考しよう

 『月刊日本』連載「明日のサムライたちへ」。2月号から蒲生君平の『山陵志』を扱っているが、君平の議論は、天皇の葬法の在り方を考える上で極めて示唆に富んでいる。
 以下、関係箇所のみ転載する。
 〈君平は『山陵志』において、持統天皇(在位:六九〇~六九七年)のときから火葬が行われるようになるなど、仏教の流入による大きな変化に注目しました。君平は、仏教の風習の蔓延によって、堂塔を山陵に見立て、僧徒が埋葬のことを司り、謐号を追贈することもなく、尊号を停止することになったと批判しました。そして、次のように厳しく仏教流入、僧徒の権力拡大の弊害を説いたのです。
 「…政治の大綱がゆるんで、官吏は職に勤めず、諸陵寮は廃され、山陵にたいする奉幣使は無くなった。こうした管理不在の結果は、山陵を掘り起こして、その蔵品を盗み去る者さえ出て、少しもおじおそれることさえなくなった。下って戦国乱世になると、その禍害は以上のごときに止まらない。いたるところの堂塔は、兵火にあって滅失し、塔中の蔵品も消亡した。ああ、何と慨嘆に堪えぬ次第ではないか。幸いにして完全に保たれているのは、ただ京都の泉湧寺諸陵、及びその他の二、三に止まっている」 続きを読む 天皇の火葬をどう考えるべきか─蒲生君平の主張を再考しよう

蒲生君平が頼りにした「諸陵寮」とは

 蒲生君平が天皇陵(山陵)を研究調査する上で頼りにしたのは『古事記』『日本書紀』の陵墓関係記事と「諸陵寮」である。「諸陵寮」とは、延長5(927)年に完成した格式(律令の施行細則)『延喜式』の中で、朝廷が管理すべき山陵諸墓に関する記述部分。
 記紀では陵墓所在地が漠然と指定されているのに対して、「諸陵寮」では位置を明示している。
 陵墓名の下に諡号、陵墓所在地名、兆域の大きさ、四至(東西南北の境界)、陵戸や守戸の数などが記されている。

蒲生君平の九志

 
蒲生君平は『山陵志』全二巻を板刻した際、サブタイトルに九志の一、九志の二と明記していた。彼は『神祇志』『山陵志』『姓族志』『職官志』『服章志』『礼儀志』『民志』『刑志』『兵志』の「九志」編纂を目指していたのである。しかし、『山陵志』と『職官志』の刊行にこぎつけたものの、残り七志を完成させることなく、文化10(1813)年に亡くなった。

安藤秀男氏は次のように解説している。
〈各志の関係を説いて、およそ国の礼は祭よりも大なるものはない。歴代天皇が、その誠敬を尽されたところも、ここにあるのだと、先ず「神祇志」を挙げる。また、神祇の祭礼に次いでは、御歴代の山陵が尊崇されなければならないと、『山陵志』を挙げる。次いで、神を祭り、祖先を祀るにも、氏族、あるいは家ごとに行なわれるが故に、氏族の系譜を知らなければならないと、「姓族志」を挙げる。そして、氏族制度と並んで、秩序を正しく維持するためには、官職の変遷を知らなければならないと、『職官志』を挙げる。さらに、職官には其れに相応した服章がなければならないと、「服章志」を挙げ、さらに、位に応じて守るべき形式のほかに、人間相互のあいだにも、必ず守らなければならない約束があると、「礼儀志」を挙げる。さらに、治められるもの、すなわち人民の上について、その生活の様式を知らなければならないと、「民志」を挙げる。さらに、人民を治めるには、礼とあわせて刑をもってしなければならないと、「用志」を挙げ、最後に、人民は礼と刑とをもって治め得ても、外国に対しては軍備がなければならないと、「兵志」を挙げている。
 こうして見ると、「九志」というものには、首尾一貫した一つの思想体系のあることがわかる。それは、儒学の精神に立脚したところの政治の理想、聖人の道、王道とでもいうべきものである〉   

蒲生君平『山陵志』①


天皇陵の位置が不明確であったり、荒廃したりしている現状を嘆き、陵墓特定のための調査に挺身した蒲生君平は、文化5(1808)年にその成果をまとめて『山陵志』を完成させた。水戸斉昭が天保11(1840年)年、光格天皇の崩御に際して、幕府に対し山陵再興と謐号復活を提唱したのも、『山陵志』の影響と見られる。
君平は『山陵志』において次のように書いている。
「山陵というのは、祖先のみたまやと同じなのである。これがなければ、人民としては何を仰ぎ、何にお詣りしたらよかろうか。
人民たるものが、山陵を仰いでこれを祭ればこそ、国家としての礼文もまた盛んになるのである。だから王朝時代には、刑罰を定めた法令に、山陵を破壊する者は、これを謀大逆といって、八大重罪の一つに指定されていた。それは、大赦も許されぬほどの重い刑罰なのである。これこそ君主たる者が、その至孝の徳をもって、天下を治めるための拠りどころである。どうして謹み敬わないでよかろうか〉(安藤英男口語訳) 続きを読む 蒲生君平『山陵志』①