坪内隆彦 のすべての投稿

興亜論者とユーラシア主義

 1926年、大川周明が率いる行地社から一冊の本が刊行された。『西欧文明と人類の将来』である。
 この本の翻訳を手がけたのは、行地社のメンバーでもあった嶋野三郎である(嶋野については、満鉄会・嶋野三郎伝記刊行会編『嶋野三郎 満鉄ソ連情報活動家の生涯』原書房、1984年)。嶋野はロシア通であるばかりか、イスラーム通でもあり、トルコ系ムスリムのムハンマド・クルバンガリーと深い交流を続けた。『産経新聞』2002年3月12日付の「この国に生きて 異邦人物語54 モスクを建てた亡命タタール人」は、嶋野が残した北一輝の逸話を紹介している。
 「クルバンガリーの来訪を非常に喜び、『自分は「日本改造法案大綱」というものを書いたが、その中で、あんたがくることを予言しておる』とやった。北は西欧の侵略からアジアを解放するため、中国西北部にイスラム帝国を作る夢を持っていた。
 さらに、『あんたはこれから日本の朝野を啓発して支那に渡り、その西北地区のマホメット教徒を率いて共産ロシアに攻め込みなさい。不肖、北、及ばずながら援助しよう』と語ったという」 続きを読む 興亜論者とユーラシア主義

第10回ASEAN+3首脳会議議長声明 (2007年1月14日)

Chairman’s Statement of the Tenth ASEAN Plus Three Summit Cebu, Philippines, 14 January 2007

1. The ASEAN Plus Three (APT) Summit chaired by President Gloria Macapagal Arroyo, President of the Republic of the Philippines, was held successfully on 14 January 2007 in Cebu, Philippines. The Heads of State/Government of ASEAN Member Countries had a productive meeting with the Heads of State/Government of the People’s Republic of China, Japan and the Republic of Korea.

2. We recalled the adoption of the Kuala Lumpur Declaration on the ASEAN Plus Three Summit in December 2005, which reaffirmed our commitment to ASEAN Plus Three cooperation as the main vehicle in achieving a long-term goal of realizing an East Asia community, with ASEAN as the driving force, and with the active participation of the Plus Three countries.
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東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

123回衆議院 予算委員会 – 6号
1992年2月21日
■井上(普)委員
(略)
そこでひとつお伺いするんですが、一昨年でございましたか、一昨年の九月にASEAN外相会議におきましてマハティール提案というのがマレーシアの総理から出されました。すなわち、ASEAN六カ国のみならず、香港、台湾、中国あるいは韓国、日本、ビルマまで入った十六カ国でひとつEAEGというものをつくろうじゃないかという提案がなされました。当然今までの動きからいたしまして日本は入ってもらいたいということは、これは望むのは当然であろうと私は思うんでございますが、これに対しましてアメリカから強い反対の声が上がったのも私は存じております。 続きを読む 東アジア経済グループ(EAEG)に関する国会議事

クアラルンプール宣言(2005年12月12日)

クアラルンプール宣言(2005年12月12日/外務省仮訳)

われわれ、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国及び中華人民共和国、日本国並びに大韓民国の国家元首及び行政府の長は、マレーシア・クアラルンプールにおける2005年12月12日の第9回ASEAN+3首脳会議の機会に、

相互連帯と一致した努力を通じた、平和で、安定し、繁栄する東アジア地域環境の必要性を再確認し、

国連憲章の目的と諸原則、東南アジアにおける友好協力条約及びその他の国家間関係を規律する規範の基礎となる普遍的に認識された国際法の諸原則に対する約束を再確認し、

東アジア協力の原則と目的を定める「東アジア協力に関する1999年共同声明」を想起し、

 地域及び国際の平和と安全、繁栄及び進歩の維持に貢献する東アジア共同体を長期的目標として実現していく共通の決意をあらためて表明し、

ASEAN+3プロセスは引き続きこの目的を達成するための主要な手段であり、またそこではASEANが推進力となり、共有されたオーナーシップ意識を促進するためにASEAN+3各国が積極的にこれに参加するものであることを確信し、
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「東アジア協力に関する第二共同声明」(2007年11月20日)

東アジア協力に関する第二共同声明(外務省仮訳)
-ASEAN+3協力の基盤に立脚して-

Ⅰ.序文

1. われわれ、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国並びに中華人民共和国、日本及び大韓民国の国家元首ないし行政府の長は、2007年11月20日に、シンガポールにおいて、ASEAN+3協力10周年の機会に集まった。

2. われわれは、急速に変化する国際環境及びグローバル化が機会と課題の双方をもたらしたことに留意した。われわれは、活力があり、開かれた、イノベーションに富み、競争力のある東アジアに向けた展望は、利益の一致並びに平和・安定・協力及び繁栄への願望及びコミットメントに後押しされ、明るいとの認識で一致した。 続きを読む 「東アジア協力に関する第二共同声明」(2007年11月20日)

異教寛容の風土が育てた唐代文化

 正倉院には、聖武天皇の遺品や東大寺大仏の開眼供養献納品を中心にした宝物が伝世されている。調度品、仏具、遊戯具、楽器、文房具、服飾品、武器など、その数は9000点を超える。
この正倉院宝物は、中国唐代の美術を反映している。西谷正・九大文学部教授(考古学)は「宝物は、遣唐使などが利用した鴻臚館を経由して、正倉院に運ばれたと考えて間違いない」と指摘している。鴻臚館は、唐や新羅などの外国使節を迎えた大宰府政庁の外交施設(旧名称は筑紫館)で、跡地は福岡市の平和台球場付近。
唐代には、美術・建築だけでなく文学や音楽など、さまざまな文化が花開いた。日本の雅楽にも大きな影響を与えた中国伝統音楽の基礎ができ、才能のある女性たちを集めて楽器や歌、踊りも学ばせるための教坊ができたのもこの時代である。
鴻臚館跡地
http://www.port-of-hakata.or.jpより 続きを読む 異教寛容の風土が育てた唐代文化

大井一哲関連文献

 

著者 書名 出版社 出版年
大井一哲著 『大坂朝日毎日新聞不逞記事論評』 日本社会問題研究所 1928年
大井一哲著 『満洲独立論 : 満洲は支那の領土に非ず満洲は満洲人の満洲なり』 日本社会問題研究所 1928年
大井一哲著 『今が農民奮起の時』 日本社会問題研究所 1930年
大井一哲著 『政党亡国論』 日本社会問題研究所 1930年
大井一哲著 『農村盛衰と国家の興亡』 日本社会問題研究所 1930年 続きを読む 大井一哲関連文献

佐藤清勝関連文献

関連書籍

 

 

著者 書名 出版社 出版時期
佐藤清勝述 『断機慨録』 軍事教育会 1902年
佐藤清勝著 『世界に比類なき天皇政治』 忠誠堂 1930年
佐藤清勝著 『帝国国防の危機』 豊誠社 1931年
佐藤清勝著 『満蒙問題と我大陸政策』 春秋社 1931年
佐藤清勝著 『予が観たる日露戦争』 軍事普及会 1931年 続きを読む 佐藤清勝関連文献

佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート⑩[完]

佐藤清勝は、現代政治(明治維新以降。執筆は昭和十八年)は天皇政治であると主張した。彼がそう主張した第一の根拠は、大日本帝国憲法が明治天皇の叡慮によって制定された欽定憲法だということである。そして、大日本帝国憲法は、天皇の大権、具体的には行政、司法、立法の大権、兵馬の権、宣戦講和の権、条約締結の権、文武官任免の権、栄爵賞典授与の権、大赦特赦等の権を確定したものだと説いた。
ところが、佐藤は政治の実態に強い危機感を覚えていた。彼は、現代政治は政党政治、議会政治に推移しつつあると指摘し、次のように政党、政治家に対する厳しい批判を展開したのである。
「……党利党益のみを顧みて、国利民福を念とせず、徒らに政争に没頭し、為めに議会は法律及び予算の審議協賛をなさずして、会期の大部分を政争の論難攻撃に費して居る、而して、議会に列する議員も亦、国家の利権を獲得し、国家の利益を壟断せんとし、賄賂公行、道義正に地に没せんとしつつある、斯の如きものによりて、国政を運用せんとするときは、一般の人民亦是に倣ひ、唯利益是れ追求し、道義廃頽し、人倫壊敗し、遂に、国家を挙げて救ふべからざるに至るのである、加之、議院政治、政党政治の余弊は、金権者万能を来し、為めに金権者流に好都合なる法律案のみを通過し、国家下層窮民の福祉を増進すべき法律案は却つて閑却せられ、為めに、下層の窮民をして、更に困憊せしめ、遂に、赤貧洗ふが如きものゝ多数を生ずることは、国家の慶事ではないのである……政治家は先づその倜黨の心を去つて、国家を思ふの心に復らなければならぬ、政治家は先づその私欲、権勢欲を去つて、天皇の大御心を体せねばならぬ」(三百二十頁) 続きを読む 佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート⑩[完]