【書評】『NO』と言えるアジア」マハティール、石原慎太郎著 『産経新聞』1994年12月1日付朝刊、15ページ

 『「NO」と言える日本』から六年。石原慎太郎氏は本書で、ついにアジアの一員としての日本のアイデンティティーを明確にした。「日本人はやはりアジアの民です」「日本文化も本質は歴然としてアジアに属している」と。
 討論の相手は石原氏がその「透徹した歴史観」を称えるマレーシアのマハティール首相である。今年のAPECでも、スハルトやクリントンの必死の説得を退け、最後まで「NO」を貫いた信念の政治家である。
 アジアの大物政治家二人が、ついに手を結び勢いよく放った「欧米支配の国際秩序への異議申し立て」の書である。ただ両氏が「NO」と言うのは、単に欧米に抵抗するためではない。反欧米の書ではなく、欧米近代の限界を超えてアジアが果たしうる文明史的役割の大きさを主張したものである。
 両氏は、「時代の波が再びアジアに戻ってきた」という歴史観を共有し、新しい歴史をアジアがつくりうると、わかりやすくその主張を展開する。
 マハティール首相は、欧米近代を超えてもっとすばらしい時代をアジア人の手で築こうという壮大な夢を語る。「アジアが、その文化的価値観を存続させつつ欧米の各種産業を凌駕することができるなら、世界史にもかつて例がないほどの偉大な文明圏の創出が可能となるであろうと思うのです」と。石原氏は「欧米近代のパラダイムに代わる新しいパラダイムをアジアがつくる時代だ」とこたえる。
 両氏は欧米的人権の限界を鋭く指摘し、「家族や友人に囲まれた生活」「和を優先する社会」などアジア的価値観の役割の重要性を堂々と唱える。しかも「東洋文明の特性を優位性として欧米にぶつけるつもりはない」という石原氏の発言には、文化相対主義的な健全さが保たれている。
 クリントン率いるアメリカ外交とそれに追随する日本外交への厳しい批判となっているだけに、内外で大きな論争を呼び起こすことは間違いない。
 (光文社・一一〇〇円)
 ジャーナリスト 坪内隆彦

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