支那事変に直面した金子定一は、「日本は今、何をしてゐるか」(昭和12年12月)において、欧米列強の妨害工作を指摘するとともに、日本人は「東洋人の東洋」道に徹せよと説いた。
〈日本は東洋を、日本の考へる様な機構に於て東洋人のものにしたい。それが為には先づ支那の理解と承諾とを必要とする。
「東洋人の東洋」は、西洋人の支配に対して致命的な危険物だ。彼等は協力して日本を検束したい。海軍制限とか、不戦条約とか、皆其目的に出でたものであつた。又彼等としては煽動することによつて日本の意図を妨碍することも有力な手として、早くから企てられた。
支那は、日本の指導によつて動くことは感情的に嫌忌を感ずる。そこに西洋から利を以て誘はれる連中が飛躍するのだから実に厄介である。
(中略)
満洲事変は厄介な支那に対して日本が、「問答無用」の拳骨を振り上げたのであつた。支那は悲鳴を上げた、西洋人は総掛りで声援した、これは支那を助けるといふよりも、自ら救はんとする本能が動いたのだ。然し、日本はともかく敢然として拳骨の目的を達して仕舞つた。余勢の迸るところ、欧米が以て日本検束の金網とする海軍制限条約や国際連盟からまで離脱した。
支那は到底、日本の拳骨の意味を解することが出来ない。昔からさうである如く、その味の分る様な英傑が指導して居ないのである。或はたとひ英傑が居るとも大乗的な指導をなし得ない環境に置かれてあるのだ。支那は感情的に嫌ひな日本から叩かれて、ヒステリーが昂じた。「西洋の奴隷になるとも、日本の友となるな」とは彼等の本音なのだ。少くとも表面さう見える。
それは確かに西洋人の恩ふ壷だ、欧米の諸国、各々隙を窺つてゐるものゝ、「東洋人の東洋」に精進せんとする日本に関する限り、英米は愚か、英蘇すらも共同し得るのだ。
かくして日支事変となつた。これこそは欧洲戦争によつて開幕された世界的革命運動の二幕目である。
「東洋人の東洋」運動の指導者日本が、最も頑固な反対者支那を同志に引入れんが為に、闘ひ取らんが為にかくなつたのだ。さうはさせじと争ふものは、実はイギリスだ。ロシアだ。アメリカは都合によつてハラハラしつつも見物してゐる。フランスは英蘇のお相伴役に登場してゐる。
(中略)
日本は内にも敵を有する。此敵は暫くは沈黙してゐやうが油断はならない。この敵は、時に支那と通じ、時に西洋人の走狗となつて「東洋人の東洋」といふ事業を妨害して来たのだ。然し大体に於て日本は其人格を完成して来た。支那の方はこれからだ。此事変によつて、果して日本の期待に副ふ様なものになるかどうかゞ定まるのである。これには日本の指導のやり口、西洋の邪魔排除の適否が大切な要素なのである。
(中略)
満洲国建国以来、その弊害が随所に見えたが、然し強力な監督によつて纔に大害といふ程度迄に到らす、ともかく今日位に仕上げた。それとても決して油断はならない。北支の方は大体それに似よつた経過をとり得るであらう。然し中支、南支となつては若し其弊害を見せたとしたならば皇軍千仭の功を一箕に欠く結果になりはせぬか。
私は日本人総体、ことに直接現地に於て新支那を指導することになるべき人々に対して、真に「東洋人の東洋」運動理論に徹底し、其日常の言動悉く其規範から出て来る様、切望して已まない。再言すれば、在満日系が一人も残らず五族協和の活模範たるべき如く、新支那指導の日本人は躬を以て「東洋人の東洋」道の道者となり、日常生活、一言一行、それから出てほしいのである。
或は如上の意見を以て陳腐一笑に足らずとなす者もあるかも知れないが、案外にその普及徹底が行はれてゐないのである。極言すれば、支那覚醒、支那との提携との前に日本人の多数も更に覚醒するところあつて以て提携の実を挙げる様、指導の力を持つべきである。
漢民族の老大文化は仲々魅力がある。うつかりすると却つて先方から同化され、固より少数の日本人の方が受動の地位に立たされぬとも限らぬ。近来頻りに流行る日本人の「支那式宣伝法」などはその適例である。
世界の革命期に於ける日本の使命は重大だ。将来数十年に亘るべき東洋の浮沈はこゝ一二年によつて岐れると言へる。お互に努めなくてはならぬ〉(『日本民族の大陸還元』256~269頁)
このように金子は、「東洋人の東洋」という理想と、日本人の具体的行動のずれを戒めているのである。
☞[日中対立打開の道─葦津耕次郎『日支事変の解決法』①]