アジア有数の知識人ノルディン・ソピー

 

マハティール首相とソピー博士/1998年10月7日

マハティール首相(当時)とソピー博士
 マレーシアの戦略国際問題研究所(ISIS)会長を務めたノルディン・ソピーは、アジアを代表する知識人の1人であった。マハティール首相(当時)のブレーンとして活躍しただけでなく、国際機関や国際的学術交流の場で提言の作成を主導するなど、世界的な活躍をしてきた。
1967年に、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス修了後、同スクールで政治科学・国際関係学の博士号取得。マレーシアの有力英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」のグループ編集長などを経て、1984年からISIS所長。1997年3月には同研究所の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任、その後も世界的な活躍を続けてきたが、2005年12月29日、甲状腺がんのため死去した。享年61歳。

2000年6月の「アジアの未来」では、概要以下のように述べていた。
「アジアの各国が国内でなすべきことについて「十戒」にならって述べたい。再び奇跡を起こす再生のカギとなるからだ。
一、過去の過ちを繰り返すことなかれ。思い上がれば失敗する。謙虚であれ。
二、独自の「勝利の方程式」を再発見せよ。天に至る道はたくさんある。
三、自由化し、グローバル化せよ。ただし、用意ができていないなら自由化することなかれ。
四、信仰心にも似た情熱を持って、生産性に献身せよ。生産性をないがしろにすれば破滅に向かう。
五、慎重さを忘れず、かつ決意を持って「P(roduction)―economy」(生産経済)から「K(nowledge)―economy」(知識経済)に移行せよ。
六、官僚主義を経済の意思決定から外せ。
七、腐敗が疫病のように広がり、汝(なんじ)を殺す前に退治せよ。
八、海外からの短期の株式投資を欲しがるな。高付加価値で知識集約型の産業の育成につながる海外直接投資は、何としても獲得せよ。
九、経済のファンダメンタルズをたゆまず改善せよ。
十、目的を達成できる国、政府、国民に再びなれるよう、できることはすべてなせ。
この十戒の下に生きるなら、経済の救済の道を進むことができよう」。
(『日本経済新聞』2000年7月4日付朝刊第2部)。


ノルディン・ソピー執筆雑誌記事・論文

タイトル 雑誌名 発行年月(日) 備  考
日本を中心とした、東アジアの新しいコミュニティをつくれ (変貌するアジア 問われる日本の戦略) — (言論NPOアジア戦略会議シンポジウム・セッション2–日本とアジアの関係をどう構築すべきか–北東アジア経済圏の可能性) 『言論NPO』 2003年4月
文明の饗宴 (特集 エイジアン・バリュー2–生まれつつある”ニューアジア”) — (特集2 アジアの価値観は世界に貢献するか–電通マネージメント・フォーラム) 『Human studies』 1997年3月
「APECとEAECの将来」 『東洋経済』 1996年4月20日号
「日本人は不気味な不透明集団、アジアを単なる低賃金の製造基地として考えないで欲しい」 『SAPIO』 1994年6月23日号
「成長と貿易の危機への取り組み―アジアが期待するもの(特集・東京サミットに向けて)」 『外交フォーラム』 1993年5月号
「望ましき東アジア経済圏構想(World Voice)」 『Foresight』 1992年12月号
「日本とアセアン―シンガポール首脳会議を越えて」 『月刊keidanren』 1992年4月号
「マレーシア提唱の経済圏構想―発言力求める東アジア諸国、EAEGはその端緒を開く」 『日経ビジネス』 1991年8月5日・8月12日号
「内側から見た転換期のASEAN(座談会)」 『外交フォーラム』 1991年3月号 ユスフ・ワナンディ、野上義二との対談
「国際経済の変動とASEAN」 『国際問題』 1987年月4号
「新しい国際システムにおける日本の選択」 『国際問題』 1986年6月号

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