イスラームとヒンドゥーの連帯
植民地支配を永続させることを目指していたイギリスの常套手段は、徹底した分断統治であった。アジア人の結束を乱すことによって、有利な状況を作り出そうという意図だ。日中の分断、イスラームとヒンドゥーの分断など、アジア各地でそれは成功を収めた。 現在もなお、アジアが結束できない理由の一つに、アングロ・サクソンの分断統治的政策の影響があるのかもしれない。 南アジアにおいては、なおイスラームとヒンドゥーの対立が続いている。 しかし、1920年前後にインドではキラーファト(Khilafat)運動という運動が展開されていた。反英の立場で、イスラームとヒンドゥーが協力した貴重な歴史である。今日もここから学ぶべき点は少なくない。 |
キラーファト運動とは、トルコのカリフ制擁護を掲げたインドのムスリムが組織した運動である。インドでは、第一次大戦後にトルコに押し付けられたセーブル条約に対する反発が強まっていたのである。
ガンディーは、あらゆる権利や称号、名誉などを放棄し、非協力運動開始しようと呼びかけ、キラーファト運動への連帯を明確にしたのである。こうしてインドのムスリムもガンディーの運動へと合流していったのである。
これは、彼らがアジア人が結束してこそ、力強い運動となることを信じていた結果にほかならない。
植民地解放闘争におけるイスラームの力に期待していたヒンドゥー教徒は、決して少なくない。日本に亡命して興亜論者たちと交流したビハリ・ボースもまた、その一人である。彼は、ケマル・パシャが1921年にキラーファト中央委員会に宛てた、「私は回教徒としての、若しくは亞細亞人としての権利を擁護するを目的とするわれわれの争闘に對して、われわれの印度の兄弟たる印度教徒と回教徒から、道徳的、物質的に與へられた援助に深謝」するという内容の手紙を紹介し、ヒンドゥーとムスリムの協力の意義を強調していたのである(ラスビハリ・ボース「汎回教主義と汎亜細亜主義」『改造』1922年11月号)。 アジア人が民族や宗教を越えて協力を模索した歴史を振り返ることは、今後のアジアの協力を考える上でも必要なのではなかろうか。
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