自然と儀式と音楽の関係

フィリピンの作曲家で、民族音楽学者のホセ・マセダ氏は、東南アジア音楽の特徴である「音の連続性の概念」と密接に関わる東南アジアの時間論について、次のように述べている。
「東南アジアの大部分では、一日の時間は時計の時間では測られない。太陽年は知られてはいるが、それは一年ずつ加算することはしない。惑星や恒星の動きとは別に、時間は鳥の渡りや、植物の開花、乾季の虫の声といった自然事象で測られる」(『ドローンとメロディー』新宿書房、1989年、14頁)
この自然事象で測られる時間概念こそ、リズムや反復の用法、音楽形式の長さやその終わり方、終止形に反映しているというのだ。つまり彼は、アジアにおける人間と自然の関係に注目しているのである。
ゴングは、一度打たれると指や手や人間の意志的制御なしでも勝手に振動し続ける(21頁)。マセダは、このゴングの特徴に象徴されるアジアの音と、弦楽器や管楽器が人間の意志的制御のもとにおかれているシンフォニー・オーケストラとを対比し、自然に対するアジアとヨーロッパの立場の違いを反映しているとするのである。
自然に対するアジアの立場とは、自然支配の対極にある人間と自然の一体化ではなかろうか。マセダは、アジアにおける生活と自然の密接な関係を次のように説明している。
「生活と自然の密接な関係は、山河や植物のような自然物崇拝、霊の住処としての石柱、仏舎利塔、神社信仰、アジアの多くの神々や超人的精霊と交信するための複雑な儀式や行事のなかにみられる。自然、精霊、儀礼はアジア人の変わらぬ関心の的だった」(20頁)
そして、東南アジアの土着文化、ヒンドゥー、仏教、イスラームなどに共通するのは、自然への、また自然と人間との均衡への配慮だとする(20頁)。
マセダは、自然と儀式と音楽の関係について、「儀式は人間が自然と折り合いをつけるための伝達手段であり、儀式がなければ自然と交信することもできず、儀式がなければ音楽も存在しない。自然と儀式と音楽は一体となっている」(16頁)と述べる。彼は、伝統音楽の特徴から、東南アジアにおける人間と自然の関係の本質に迫ろうとしたのである。

Please follow and like us:

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください