西脇文昭氏の外交論

対等願望に注目

 西脇文昭氏の「21世紀日本外交のグランド・デザイン」が話題になっている。もちろん、この論文には「個人的見解」との断わりがついているが、防衛大学校助教授によるこの論文が外交防衛政策関係者に与える影響は、決して小さくはないだろう。
発表されたのは2000年2月。西脇氏の古巣、時事通信社が出す『世界週報』に、上・中・下3回に分けて載った(同誌2000年10月24日号にも同主旨の論文)。「下」のタイトルに「『汎アジア主義』土台に新国際秩序構築を」とある通り、日本のアジア主義外交への転換の必要性を訴えている。
1990年代半ばに、マハティール首相の東アジア経済協議体構想に触発され、一時国内でもアジア主義的ムードが高まったが、「アジア主義は日米関係を機軸とする日本外交に抵触する」として、まもなくアジア主義の提唱は封じ込まれてしまった。西脇論文は、こうしたアメリカに遠慮してアジア主義を敬遠する風潮を打ち破らんとするものだ。
西脇氏の主張が、国際政治の現実から遊離した観念的なものではなく、国際政治の現実を踏まえたものだけに、なおさら注目される。西脇氏は時事通信で、23年間にわたり政治記者、ソウル、ワシントン各特派員として、激動の国際政治の現場を目撃してきた。
アジア主義外交を提唱するに至る過程で、西脇氏の核抑止論に関する分析が重要な意味を持っていたかに見える。西脇氏は『インド対パキスタン』などの著作で、五大国の核独占構造の問題と、対等の立場を望むインド民族主義者の激しい熱情を指摘してきたからである。
前もって言えば、西脇氏は、インドなどの強烈な対等願望に潜むアジア復権への願いを見事に読み取った上で、日露戦争の意味、日本人の倫理性などを踏まえて、独自のアジア主義外交を提唱しているのである。
「21世紀日本外交のグランド・デザイン」において、西脇氏はインドの対等願望から書き起こし、中国、イスラーム諸国の対等願望を分析した上で、次のように明解に書く。「中国からインド、イランを経てトルコに至る、ユーラシア大陸南縁に、強烈な『対等への願望』ベルトが立ち現れている」と。
この対等願望は、植民地支配において弱者の立場に置かれ続けてきた国家群による「復権」への叫びであるという。かつて、アジア諸国が宗教や思想のみならず、文化、科学などでも世界の先端を走り、文字通り栄華を誇ってきた歴史を知るならば、まさにそれは「復権」の叫びととらえることができる。
筆者自身、1994年にマハティール首相に関する本を上梓したとき、そのタイトルに「アジア復権の希望」とつけた。このアジア復権の願望は、もはや無視できない国際政治の主要ファクターとなっている。
さて、西脇氏はアジア復権の火付け役として、はじめて独自の近代化に成功した日本の特別な意義へと議論を進める。植民地化の坂を転げ落ち続けてきたアジアが、今日見られるような反転・上昇へのきっかけをつかんだのは、日露戦争勝利であったと指摘するのだ。ここに、日本が果たすべき、そして果たしうる特別な役割が示される。
西脇氏は、アジアを覚醒させた日本は、いまこそアジア人たちを裏切ることなく、「アジア主要国が差し伸べている手をしっかり握り返す時」だと述べる。これは、覇権を維持するアメリカの側ではなく、復権の目指すアジアの側に日本はつくべきことを意味する。こうした主張は、多くの日本人にアピールする可能性がある。 

日本庶民の心根

 しかし、大東亜共栄圏という強烈な理念を外交に持ち込んだ過去への反省から、戦後日本は、確たる理念によって外交政策を基礎づけることを放棄してきた。
むろん、冷戦期には自由主義対共産主義というイデオロギー対立によって、反共十字軍的な外交思潮も見られたが、いわゆる現実主義路線が外交政策の主流を占めていたことは間違いない。それは、正義、道義、使命といった価値を過剰に持ち込まず、国益重視の現実的対処を旨とすべき、という路線である。
だが、そうした外交路線が、本来の日本人のメンタリティーに馴染むのかという疑問がある。「本来の」というのは、いまや日本では「良いか悪い」より「損か得か」を考えるような傾向が強まってしまっているからである。だが、いずれ「正義より利益」の外交だけでは、日本国民の支持をつなぎ止められなくなるだろう。
その意味で、西脇氏が日本の庶民感情を踏まえていることは、大きな意味を持つ。西脇氏は「『庶民の目線』を持ち続け、実行した人物に対して、日本人が敬意を抱いてきたことに気付いた」と述べ、日本庶民の心根に立脚した「倫理性」を大切にすべきと主張しているのである。外交エリートたちは、この庶民の心根を侮るべきではない。
確かに、「アメリカと喧嘩してはならない」というのは、日本が大きな犠牲によって得た教訓である。しかし筆者は、国家間で理念の対立があるのは自然なことだと考えている。日本とアメリカの理念が同じだと考える方が余程ばかげている。問題は、理念の対立が軍事的衝突に至るような対立になることを、いかにして防ぐかである。
その難問が解決すれば、アジア主義外交の採用も決して夢ではないのではなかろうか。 

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