「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日

二〇一二年、世界は「大量破壊兵器」爆発の危機に直面するかもしれない。
ここで言う「大量破壊兵器」とは核兵器ではなく、金融分野の兵器「CDS」(クレジット・デフォルト・スワップ)のことだ。CDSとは、企業などが倒産し、借金が棒引きになるリスクに対する保証・保険を金融商品化したもの。リスクヘッジのための金融商品だが、一度CDSを売った会社が破綻すると、ドミノ倒し的に破綻の連鎖が始まり、その被害は一気に拡大する。だから、投資家のウォーレン・バフェットは、CDSを「金融版の大量破壊兵器」と呼んだのだ。
実際、二〇〇八年にアメリカ保険最大手AIGが救済されたのは、CDSの爆発を回避するためだったとも言われている。アメリカの金融機関はCDSを引き受けているために、深刻化するユーロ圏の危機がアメリカへ波及する可能性がある指摘されているのである。
二〇一二年は激動の年となるだろう。米ロで大統領選が行われ、中国ではポスト胡錦濤体制がスタートする。フランス、韓国でも大統領選があり、台湾では総統選がある。さらに、ポスト金正日の北朝鮮の動向から目を離せない。わが国を取り巻く国際情勢は一層厳しくなると予想されるわけだが、二〇一二年にはユーロ圏の債務危機(ソブリン・リスク)に伴う、世界的な金融危機こそを警戒すべきなのだ。
ユーロ圏では、場合によっては国家の債務不履行(デフォルト)、銀行取り付け騒動などが発生する大混乱に陥るかもしれない。まず、二~四月には、イタリア国債の大量償還があるが、これを乗り切れるか。また、ギリシャに対する第二次支援策が実施できるかどうか。
十二月二十日、国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は、ユーロ圏は域内の債務危機が世界経済に波及するのを阻止するため、特別な注意を払う必要があるとの見解を示している。問題は、このユーロ圏の危機がアメリカにも波及する可能性があることだ。副島隆彦氏は、これからヨーロッパで二十の大銀行が潰れ、欧州危機はドミノ倒しのようにアメリカへ波及すると予想している。
実体経済を反映しない形で投機的な金融取引が肥大化し始めたのは、一九八〇年代に入ってからだ。イギリスの経済学者スーザン・ストレンジは、一九八八年にそれを「カジノ資本主義」と呼んだ。それから十年後の一九九八年、デリバティブ(金融派生商品)の理論を開発したノーベル経済学賞受賞者が経営に携わったLTCMが経営破綻、そして二〇〇八年にはリーマン・ブラザーズが破綻した。この間、JPモルガン(当時)は一九九〇年代半ばに「スワップデスク」を設置、マサチューセッツ工科大学などから若い数学者を雇い入れ、金融商品としてCDSを開発していたのである。そして、「投機資本主義」中毒となった投機家たちは、死に至る危険なゲームから抜け出すことができないまま、破滅の日を迎えつつあるように見える。
昨年九月には、「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」をスローガンとする抗議運動が開始され、世界各地に波及、一部で反資本主義的が主張が先鋭になっている。
森田実氏は、三〇〇〇年の歴史を担ってきたリーダー国のほとんど全てが、いま同時的に没落を始めていると指摘し、「破滅すれば、世界の主導権が変わる。これから台頭してくるのは、中国であり、インドであり、ブラジルだ」と述べている(『月刊日本』平成二十三年十二月号)。
西洋近代の価値観を前提とした経済システムが、終焉のときを迎えているのではないか。欧米型資本主義、特に強欲資本主義、投機資本主義に対して、一貫して異を唱えてきたのはイスラーム世界である。イスラームの教えは、不労所得や投機による財の増殖を認めないからだ。例えば、マレーシア首相を務めたマハティール氏は無利子を原則とするイスラーム金融の発展に力を入れたが、一九九七年のアジア通貨危機の引き金を引いた投機家を激しく批判し、通貨取引の規制を断行、自国経済を死守した。彼は、米ドル依存と投機経済からの脱却を目指し、二〇〇一年八月に貿易決済に金貨「ディナール」を使用することを提唱した。この構想は、二〇〇三年十月に開催されたイスラーム諸国会議機構首脳会議の宣言でも肯定的に評価された。マハティール元首相は、最近も金貨ディナールによる貿易決済の必要性を力説している(New Straits Times, 14 December 2011.)。
いまや、外貨準備資産の大半をアメリカ国債で運用してきたわが国も、さすがに運用多様化に動きだした。十二月二十五日の日中首脳会談で、日本政府が人民元建て中国国債を購入することで合意したのだ。さらに、貿易取引でも、円と人民元による決済を促す方針で一致した。ドル離れは着実に進行しつつある。
もともと、「皇道経済」とも呼ばれるわが国伝統の経済観にも、イスラームの経済論と同様、強欲資本主義を拒絶する視点が備わっている。昨春、筆者は戦前の皇道経済論の主張を、(一)肇国の理想と家族的共同体、(二)神からの贈り物と奉還思想、(三)エコロジーに適合した消費の思想、(四)自ら成長するための生産=「むすび」、(五)生きる力としての「みこと」意識──に整理し、「そこに示された考え方は、決して経済の分野にとどまるものではない。そもそも、経済学を他の分野と切り離したこと自体が近代経済学の失敗だったとの見方もある。そうした認識から、皇道経済論が持つ、社会的安定、人間の精神的充足といった価値にも注目したい」と書いた(拙稿「忘却された経済学─皇道経済論は資本主義を超克できるか」(『新日本学』第二十号)。
求められているのは、物質的充足と精神的充足の両立である。奇しくも、ユーロ圏の危機が進行する最中に、ブータンのワンチュク国王夫妻が来日した。そして、これをきっかけに、同国の政策が改めて注目された。ブータンは、国民総生産 (GNP=Gross National Product) に象徴されるような、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさを追求すべきとして、一九七二年に「国民全体の幸福度」を示す尺度として国民総幸福量(GNH=Gross National Happiness)を提唱していたのである。これにあやかろうというのか、十二月五日にはわが国の内閣府が国民の豊かさを表す「幸福度指標」の試案を公表するに至った。
わが国はいま、投機資本主義の終焉に備えるだけではなく、それから脱却するための構想を世界に提唱すべく、動き始めるべきときなのではなかろうか。


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