祖国自己確認の歴史における『中朝事実』

わが国の歴史は、国体論の確立を目指した持続的な営みであった。その中で、国際情勢の変化、特に対外的危機意識の高まりは、常に祖国日本の自己確認を促してきた。
永安幸正は、「何れの国民でも同じであるが、国民集団としてある種の危機が迫っていると感づく秋には、祖国あるいは民族を世界の中に位置付け、他国と比べて祖国自民族の歴史、実力、可能性を確かめなければならぬものである」と指摘する。
山鹿素行の『中朝事実』もまた、繰り返されてきたわが国の自己確認の歴史の一時代として位置づけられる。永安は、『中朝事実』執筆の目的を、①国家創設及び創設後の政治における要点の解明、②国際関係において、日本列島上のわが国こそが中朝・中華・中国(なかつくに)であることの主張──に整理した上で、次のように『中朝事実』を、繰り返されてきた祖国自己確認の試みの歴史の中に位置づける。
第一期 聖徳太子の時代で大陸での隋唐国家の膨張期(五八一~九〇七)
第二期 蒙古襲来の危機(十三世紀後半)
第三期 戦国を終り平時の江戸、山鹿素行の『中朝事実』の時期(十七世紀)
第四期 江戸時代末期から明治維新へ(十八世紀中葉)
第五期 一九二〇~四〇年代における米英中との対立と戦争
(永安幸正「二つの武士道」(多田顕『武士道の倫理』の解説))。
第一期においては、聖徳太子が隋の国に使いを遣る際の「日の没する国」隋に対する「日の出ずる国」日本という自国認識に象徴的に示されている。
第二期は、鎌倉幕府末から室町の時期であり、日蓮聖人に象徴される仏教側による自己主張や北畠親房の『神皇正統記』がその代表である。
第三期は、仏教に代わり、中国からの学問である漢学が支配的となるのにつれて中国崇拝が昂じたことに対する反発がバネとなり、『中朝事実』に示されるような自己意識が台頭した。
第四期は、江戸末期から明治初期で、近代の西洋帝国主義による侵略に対する危機感がバネになっていた。
第五期は、欧米帝国主義体制を打破せんとする日本主義者の主張が強まった。

こうして歴史の波を振り返って見ると、対外的危機感に促され、現在は第六の「祖国自己確認の時代」が到来すべきときである。それを阻んでいるのは、敗戦・占領の後遺症による国体論確立のための営為の不在なのか。

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