「維新と興亜」カテゴリーアーカイブ

イスラーム先駆者 田中逸平

イスラーム先駆者

中国人ムスリムと田中逸平
 田中逸平の名は、大正13年にイスラームの聖地マッカ(メッカ)への巡礼を敢行し、さらに死の直前に2回目の巡礼を果たしたことで知られる。田中の思想と行動の重要性は、興亜論発展の一環としてイスラームの真髄を理解しようとした点にある。 続きを読む イスラーム先駆者 田中逸平

中野常太郎と亜細亜義会


 中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会

浦敬一の興亜

亜細亜人民たるものの大義
 浦敬一は、荒尾精の興亜論を受け継ぎ、果敢に行動した。対ロシア政策に必要な情報を収集するため、新疆方面の状況調査を企て、明治22(1889)年9月単独で伊犂探検に出た。だが、彼はまもなく消息を絶った。
彼が残した書簡には、その思想がはっきりと示されている。例えば、明治18年6月16日に父に宛てた書簡には次のように書かれている。
「乍併東洋の大勢は是より平和に相成る事には中々無之、仏は已に安南を横領し、英は又々朝鮮の巨文島を占奪し、露は頻りに支那朝鮮を窺ひ、独も亦同じく支那朝鮮に手を出さんと存居候由なれば、東洋の危急は日を逐ふて相迫り候。東洋の危急は支那朝鮮のみにあらず、我国の形勢は最も危急に相成居申候。…… 続きを読む 浦敬一の興亜

赤報隊関連文献


雑誌論文・記事

著者 タイトル 雑誌名 巻・号 発行日
特集カラー “偽官軍事件”の残映 相楽総三と赤報隊の軌跡 (特集 幕末維新未解決事件の真相)   歴史読本 46(8) (通号 740) 2001.08
北島 平一郎 朝韓中の抗日と大日本帝国の瓦解(6)駁逆の明治維新–相楽赤報隊誅略 大阪経済法科大学法学論集 通号 44 1999.07
亀掛川 博正 草莽諸隊の大問題–赤報隊はなぜ処刑されたのか? (シリーズ歴読専科-12-歴史を逆転する日本史の大問題) — (定説無し!日本史の難問・奇問・疑問–特集ワイドテーマ篇) 歴史読本 44(8) (通号 709) 1999.07 続きを読む 赤報隊関連文献

赤報隊

「赤心をもって国恩に報いる」

 赤報隊は、王政復古により官軍となった薩摩藩、長州藩を中心とする新政府の先鋒隊として、1868(慶応4)年1月8日に、近江国松尾山の金剛輪寺で結成された。隊長は相楽総三で、公家の綾小路俊実、滋野井公寿らを盟主として擁立された。隊の名前は、「赤心をもって国恩に報いる」から付けられた。
 赤報隊は信州へ進み、旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。その際、新政府の許可を得た上で、「年貢半減」を宣伝していた。ところが、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにしていた。 続きを読む 赤報隊

天誅組関連文献


書籍

著者 書籍写真 書名 出版社 出版年 備考
歴史研究 2013年11月号 特集:天誅組150年 歴研 2013/11
舟久保 藍著 実録 天誅組の変 淡交社 2013/3/1
野口武彦著 天誅と新選組―幕末バトル・ロワイヤル 新潮社 2009/01 新潮新書
入野清 『炎は消えず : 夜明け前の志士たちの足跡を訪ねて』 [入野清] 2003
阪本基義 『草莽ノ記 : 天誅組始末』 [阪本基義] 2003
村山岩夫 『夜明け前 : 主役になれなかった群像 : 天誅組と長州・水戸天狗党』 近代文芸社 2003   続きを読む 天誅組関連文献