東南アジア料理論④

魚醤
キッコーマンとヤマモリ(4日目)
いまなお、魚醤の地位は不動だが、東南アジアの調味料志向に変化が起っていないわけではない。
醤油の需要もじわじわと拡大してきている。すでに、キッコーマンは一九八三年五月、アメリカ工場に続く第二の海外生産拠点をシンガポールに設立すると発表した。東南アジア市場への供給を強化するのが狙いだった。 
ただ、東南アジアでは魚醤志向が根強く、キッコーマンの醤油の需要は急速には拡大しなかった。しかし、じわじわとニーズは拡大し、一九九〇年には販売体制の強化に乗り出す。
一九九〇年十月にはシンガポールに販売子会社「キッコーマン・トレーディング・シンガポール」を設立、専門の営業マンを五人配置した。シンガポール工場で生産した醤油を、シンガポールだけでなくフィリピンやタイ、インドネシアなど周辺国に売り込む方針を鮮明にした。一九九〇年時点で、東南アジアでの販売量は年間約二千キロリットルにとどまっていたが、九一年度は三千二百キロリットル程度に引き上げる目標を掲げた。
一九九五年、シンガポール工場十周年で現地を訪れた茂木友三郎社長は、こう語っている。「経済が成長したアジアの中産階級は、将来性のあるお客さんだ。アジアの人の好みに合った調味料を作っていく」。
東南アジアで醤油販売拡大を目指しているのはキッコーマンだけではない。醤油、調理食品メーカーのヤマモリ(本社・三重県桑名市)は、一九九五年十一月に、食品卸の加藤産業(本社・兵庫県)とタイ最大のビール会社、ブーンロート・ブルワリー社と共同で合弁企業「ヤマモリトレーディング」を設立した。ブ社の子会社であるノーザンフードコンプレックス社が所有する二千三百十万平方メートル(七〇〇万坪)の広大な敷地に醤油工場を設け、翌九六年末から出荷を開始している。
東南アジアの調味料の歴史も変遷してきた。その志向が一切変らなかったわけではない。今後も、魚醤文化は維持されるだろうが、醤油をはじめ調味料の多様化が進み、より豊かな食文化が生まれてくるだろう。
ヤマモリは、今後ナムプラを醤油と同じ穀物で造る実験にも取り組む計画という。同社の三林憲忠社長は「全く同じものを造るつもりはない。両方のいい点を合わせアジアの調味料にしたい」と述べている(「日本経済新聞」一九九六年七月八日付朝刊)。

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