マレーシア国際イスラーム大学

拓殖大学の提携校
2001年6月、私はマレーシア国際イスラーム大学(IIUM)を訪れた。クアラルンプール市街地を抜け、北に向かって約20分車を走らせると、ゴンバック地区に着く。豊かな自然の残るこの地区は、ほとんどがマレー系住民の居住区である。この地区に、イスラーム教育の拠点IIUMのメイン・キャンパスはある。敷地面積287ヘクタールという規模の大きさに、まず驚いた。
車でキャンパス全体を見て回った。校舎は、男女別になっており、立派な総合競技場も設けられている。どの校舎の屋根も薄いブルーを基調とした落ち着いた色で、本館校舎に併設されたモスクからは、ひときわ厳かな雰囲気が伝わってくる。

国際イスラーム大学(筆者撮影)
 イスラーム色あふれるこの大学と日本とは無縁のように見えるが、拓殖大学とは提携関係にある。二度にわたるメッカ大巡礼を果たした田中逸平以来、イスラーム世界との長い交流の歴史を持つ拓殖大学は、1988年3月にIIUMと学生交流、教員・研究者交流などの提携関係を結び、姉妹校となったのである。それは、戦後日本とイスラーム世界の関係強化に多大な貢献をした拓殖大学出身の斎藤積平とムハマッド・アブドゥル・ラウフ元学長の友好関係に支えられていた。この友好関係の上に、長年にわたりマレーシアで活躍している、同じく拓殖大学出身の土生良樹氏らが準備に奔走して提携にこぎつけたのである(森伸生「拓殖大学イスラーム・アラブ・スクール形成史序説」『拓殖大学百年史研究』第7号)。

アッタスの構想に起源
国際イスラーム大学設立の歴史は、1970年代にさかのぼる。あらゆる学問体系が西洋近代の思想に基づいていることに対する危機感が高まる中、マレーシアのイスラーム知識人の間にも教育のイスラーム化を模索する動きが起っていた。イスラーム学者のアル・アッタス(Syed Muhammad Naquib al-Attas)は、早くも1960年代から独自のイスラーム教育機関の設立を構想していた。中東の由緒ある家系の血筋を引くアッタスは、1931年にジャワのボゴールで生まれ、若くして東南アジアにおけるイスラーム思想界で頭角をあらわしていた。
1973年5月15日、アッタスはジェッダのイスラーム事務局に、教育問題を論じるイスラーム会議の開催を提案したのである。これを受け、1977年に第1回世界イスラーム教育会議がメッカで開催され、300名を越える専門家が集まり、イスラーム世界の教育の在り方が議論された。
アッタスは、「知識とは、その定義、内容、目的、性質そして方法論のすべてにおいて文明の影響を受けており、西洋においてなされた知識の解釈は西洋文明の正確な反映であり、非西洋におけるその無反省な受容は、知識における非西洋の西洋への降伏にほかならない」と主張していた(杉本均「東南アジアのイスラーム高等教育機関の国家性と超国家性」『京都大学教育学部紀要』第44号、70頁)。こうした認識に基づいてアッタスは、知識のイスラーム化を主張したのである。アッタスは、1980年にイスラマバードで開催された第二回世界イスラーム教育会議でも、知識のイスラーム化とそのための教育機関設置の必要性を唱えた。
これを受けて、1982年1月、マハティール首相はアラブ首長国連邦で開催されたイスラーム会議の場で、国際イスラーム大学の設立構想を発表したのである。こうして同年八月にマレーシア教育省の大学委員会のもとで、マレーシアの各大学、政府部局、有識者代表らが設立計画書をまとめ、1983年5月にIIUMが公式に設立された。
知のイスラーム化を目指した国際イスラーム大学は、マレーシアの大学というよりも、イスラーム世界の大学と呼ぶにふさわしい。教育はマレー語でなく、アラビア語と英語で行われており、設立時からイスラーム諸国会議機構をはじめ、パキスタン、バングラデシュ、トルコなどの支援を得ていた。さらに、1985年にはエジプトやサウジアラビアも支援国に名を連ねた。歴代学長もエジプト人やサウジアラビア人が就いている。
現在学生数は、学部課程が9107名、修士・博士課程が1547名(2001年6月現在)。90カ国から1456名の留学生を受入れている。1991年には、アッタスの主導で、大学の附属機関として、国際イスラーム思想文明研究所(International Institute of Islamic Thought and Civilisation=ISTAC)が設立されている。

タウヒードに基づく教育
IIUMの特色は、イスラームに則った教育という考え方につきるが、それは「タウヒード」(tawhid)の概念に集約することができる。タウヒードは、イスラーム思想の最も重要な概念の一つだが、それには絶対者である神を「一」とすることとともに、すべての存在、森羅万象を同じ価値のものとして把握するという意味がある。

かつて、イスラーム研究の大家、黒田壽郎氏は私に「タウヒードには、『万物を一化する』、『万物を一に帰する』という意味がある。アッラーの神を唯一のものと考えると同時に、宇宙の森羅万象も同一なるものから発しているとして、同一の価値を見出す思考だ」と説明してくれたことがある。つまりタウヒードは、要素還元主義、物質と精神の二原論など西洋近代の思想とは異なる、東洋的な「全体の調和」「全体の一体性」を重視する思想だ。それは、儒教の天人合一や仏教の「山川草木悉有仏性」などに通じる。このタウヒードの思想が、国際イスラーム大学の教育にも貫かれているのだ。
だが、IIUMのユニークな点は、思想教育だけでなく理工系教育にも力を入れている点にある。そこにこそ、マルチメディア・スーパーコリドー構想などIT(情報技術)をはじめとする科学技術の発展にもイスラーム的な知を活用しようとするマレーシアの野心的な構想を見るべきである。
世界には、エジプトのアズハル大学をはじめ、いくつかの伝統的なイスラーム的知の発信地がある。こうした中で、近代化、科学技術の発展と両立するイスラームの知の発信地として期待を高めるIIUMが、イスラーム史において確固たる地位を築く日も遠くはないだろう。

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