イスラーム金貨「ディナール」

国際経済システム改革の挑戦
アメリカ主導の国際秩序に対する、もう一つのイスラームの挑戦が静かに進行している。それは決してテロといった暴力的な手段ではなく、イスラームの普遍的な理念と構想力によって国際経済システムを変革していこうという平和的な試みである。その第一弾が、貿易取引において金貨を使用しようという構想である。金貨の名称は「ディナール」。すでに、イランがマレーシアとの貿易決済でディナールを使用することを提案したとも報じられている。ディナール普及のための事務局をマレーシアに設置する準備も進行している。 
本稿のエッセンスは『週刊エコノミスト』(2003年1月28日号)に掲載されたので、参照していただきたい。

ディナール構想

イスラーム金貨「ディナール」
世界イスラーム貿易機構提供
 さて、同時多発テロ事件が起こる1カ月ほど前の2001年8月15日、マレーシアのマハティール首相はイエメンを訪問し、貿易決済においてディナールを使用する可能性を探っていると発言した。
では、なぜいま金貨なのか。金本位制の時代は過ぎ去り、もはや金貨でもないはず。だが、この構想は単なるパフォーマンスの域を超えつつある。
 ディナール構想の推進者の狙いは、国際経済の秩序、ルールにイスラーム的な価値観を反映させることにある。それには、米ドル依存からの脱却と投機経済の封じ込めが必要となる。これを達成するための起爆剤として構想されたのが、ディナールなのである。ただし、ディナールを各国内の通貨として流通させるのではなく、貿易取引における決済通貨として普及させようというのである。やがて、イスラーム的理念が世界経済を動かす、第二のディナール時代が訪れるのだろうか。

いま「第二の」と書いたのは、すでに人類はディナールによるイスラーム栄華の時代を経験しているからである。西暦695年、ウマイヤ朝のカリフ、アブドル・マリクはダマスクスでディナールの名で金貨を鋳造した。ディナールの名称はギリシア語、ラテン語のデナリウスに由来するとされる。
ディナールの普及によって、イスラーム独自の通貨制度が確立していく。エジプト、ヒジャーズ(現在のサウジアラビア北西部)、チュニジア、スペインにもディナールの造幣所が設けられ、イスラーム世界に広がっていった。一方、銀貨としては「ディルハム」が鋳造された。
ムスリム商人たちは、ディナールを携えて世界各地に出かけ、様々な産物を輸入した。ムスリムが活動範囲を広げるとともにディナール、ディルハムは流通範囲を拡大、イスラーム圏以外にも広がった。バルト海沿岸やヴォルガ流域から9─10世紀のディルハムが大量に発掘されたことは、イスラーム貨幣の広がりの大きさを象徴している。
金の品位96―98%のディナール重量は4.25グラム、ディルハム重量は2.97グラム。ディナール・ディルハムの換算比率は、1ディナール=10ディルハムが標準とされた。現在のディナール・ディルハム構想も、かつての貨幣に準拠しようとしている。国際通貨としてのディナール・ディルハムは消滅したが、現在もアルジェリア、バーレーン、イラク、ヨルダン、クェート、リビア、スーダン、チュニジア、ユーゴスラビアがディナールを、アラブ首長国連邦とモロッコがディルハムを通貨の名称として使用している。
反投機とドル依存からの脱却

それ自体に価値がない紙幣は、為替相場の変動によって紙くず同然になってしまうこともある。だが、金貨は、変動があってもそれ固有の価値がなくなることはない。この当然のことをマハティール首相は、アジア通貨危機をきっかけに再認識した。
1944年にアメリカのブレトン・ウッズで開催された連合国通貨金融会議は、金1オンス=35米ドルと定め、他の諸国は「金とリンクした米ドル」に対して平価を定めた固定相場制度へ移行した。だが、その体制も行詰まり、ニクソン大統領時代にアメリカは金とドルとのリンクを放棄し、世界は1973年から変動相場制に移行する。やがて通貨価値は実需と関わりなく、トバク的に決められるようになった。
この間、関本忠弘氏は次のように語っている。
「通貨は20世紀後半になって固定相場制から実需を伴う変動相場制になり、それが10年ほど前から、実需に関係のないマネーゲームの変動相場制になった。これは反省すべきことではないか。貨幣の基本は等価交換にある。物々交換では面倒だから、貝殻が銀貨になり金貨になり、紙幣になって、これからは電子マネーの時代になる。それが需給ではなく、通貨価値をトバク的に決定されるのは、人類の知恵が少し欠けていると考えざるを得ない」(『毎日新聞』1997年3月9日付朝刊)。
「通貨トバク」は、実際にアジアを襲った。1997年にタイのバーツは40%減価した。タイだけでなく、インドネシアのルピア、フィリピンのペソ、マレーシアのリンギにも波及して、1997年7月から11月までに、それぞれ60%、40%、30%減価した。この間、マハティール首相はヘッジファンドなどの投機家が危機の引き金を引いたとして容赦ない批判を続けたが、リンギは下落を続けた。
マハティール首相がことのほか投機を敵視した理由こそ、投機を厳に禁じるイスラームの理念からであろう。1998年6月、マハティール首相は都内で行った講演で「紙幣が一夜にして紙くずになってしまうなら、国家が通貨を発行する意味はどこにあるのか? こんな状態が続けば、私たちはバーター貿易に戻らざるを得ない」と語っていた。
同年9月1日、マレーシアはついに通貨取引規制に踏み切った。固定相場制への転換である。マハティール首相は、この断固たる措置によって経済回復に取り組むだけでなく、通貨システムの是正に向けて構想を練ってきた。

 原始的な交換は物々交換だが、それはあまりに不便なので通貨が使用される。しかし、そこに正義がなければ一層大きな問題が起こることをイスラームは指摘していた。すべての存在を神のものと考えるイスラームでは、貨幣の貯蔵、退蔵を厳しく禁じ、喜捨(ザカート)をする義務を定めている。クルアーンには、金や銀を蓄えて施しをしないものには、痛ましい懲罰を告げてやればよいとあるほどである(第9章34─35節)。同時に、イスラームは貨幣自体が富を増大させる手段となることを認めない。これがリバ(利子)の禁止である。だから、労働なく富が増殖するような不労所得は認められない。イスラームは、こうした大前提によってこそ貨幣経済が成り立つと考えている。
『イスラーム経済論』

そして、ムスリムはシャリーアに則って経済活動が行われているかを厳しく問い続けてきた。イスラーム世界では、ムフタスィブと呼ばれる市場監督官が退蔵がないか、利子の取得がないか、商品の価格が適正かなどを監視してきた。

http://www.islamicmint.com/newsarticles/launch.htmlより
 マハティール政権下では、イスラーム経済の拡大が進んでおり、すでに、イスラーム金融が国内市場で約22%のシェアに達している。こうしたマハティール首相の姿勢に注目していたのが、スコットランド生まれのシェイク・アブドルカディール(Abdalqadir)氏とスペイン生まれのライス・アブドラ・イブラヒム・バディロ(Rais Ibrahim Vadillo)氏である。
モロッコのイスラーム神秘主義者ムハマッド・アルハビブの弟子でもあるアブドルカディール氏(Firdaus Abdullah,”Malaysia capital of Islam'”,New Straits Times (Malaysia),August 1, 2001.)氏は、ドル依存の通貨体制から脱却し、イスラーム通貨の確立を目指してきた。そしてアブドルカディール氏は、投機家を批判するマハティール首相の発言を賞賛し、ディナール使用を推進してくれると信じるようになった。
 バディロ氏はカトリックの家庭に生まれ、自らの意志でイスラームに改宗した人物で、有力イスラーム非営利団体「ムラビィトゥン運動」(Murabitun Movement)代表を務める。
彼はムラビィトゥン運動傘下の世界イスラーム貿易機構(World Islamic Trade Organisation=WITO)を通じて、1992年から私的な「通貨」としてディナールを鋳造しているのである。スペインだけでなく、南アフリカ、アラブ首長国連邦、インドネシアでも鋳造をはじめた。もちろん、公定通貨として各国の承認を得ているわけではないが、現状では装身具と同様の扱いで鋳造できる。ディナール鋳造の準備はできているのである。バディロ氏には、『Return of the Gold Dinar』などディナール構想関連の著作もある。
『Return of the Gold Dinar』

2001年8月1日、ディナールに関心を強めていたマハティール首相はアブドルカディール氏と会談、ディナールの推進に向けて初めて議論をかわした。そして、テロ事件後の2002年1月末、再びアブドルカディール氏らと会談し、ディナール使用に積極的な姿勢を示したのである。2002年3月末、マハティール首相はクアラルンプールで開かれた「国際イスラーム資本市場会議」でディナール使用を呼びかけ、「各国通貨を、投機のリスクがほとんどないディナールとリンクさせることで、為替相場が安定する」と主張した。
マハティール首相が推進

ディナール推進の立場を固めたマハティール首相は、提案のためにイスラーム諸国を回った。2002年4月17日にはモロッコを訪れ、議員やシンクタンク関係者、イスラーム知識人と対話し、ディナールの実用化を訴えた。続いてリビア、バーレーンを回り、ディナール使用を提唱した。7月には、マレーシアを訪問したイランのハタミ大統領にディナール使用を呼びかけた。その後も、マレーシアではディナールに関する啓蒙のため、イスラーム関係機関の主催でセミナーが度々開催されている。例えば、2002年8月19─20日にはマレーシア国際イスラーム大学(IIUM)の主催によってクアラルンプールで「安定的で公正な通貨システムに関する国際会議」(Stable and Just Global Monetary System:)が開催され、マハティール首相やバディロ氏が講演した。
2002年10月22─23日には、イスラーム理解研究所(Institut Kefahaman Islam Malaysia=IKIM)主催で「多国間貿易におけるゴールド・ディナール」と題したセミナーが開催され金融、貿易、経営の専門家が参加した
この間、8月末にはマハティール首相の経済アドバイザー、ノル・モハメド・ヤコプ氏が、2003年中にイスラーム国家間の貿易決済通貨として、ディナールの使用が始まるだろうと語った。
イランではいま、モジャラド中央銀行副総裁らが、米国債などのドル資産で保有している外貨準備をユーロ建てに転換する構想を提唱しはじめている。ドル離れは、静かに開始されているのである。『テヘラン・タイムズ』によれば、ドル離れを見せるイランはマレーシアとの貿易決済でディナールを使用することを提案した。
確かに、金の供給量には限界があり、ディナールの広範囲の普及を疑問視する声もある。だが、貿易決済において必ずしも毎回ディナールを使用する必要はない。すでにマレーシアは、輸入額を毎回支払うのではなく、2国間の貿易バランスを計算して、合意した通貨によって差額分だけを支払う2国間支払い協定(bilateral payment arrangement=BPA)を24カ国と締結している。この方式によって差額分だけをディナールで支払うようにすれば、ディナールの移動は最低限で済む。
そして、現在考えられているのが、電子商取引の利用である。実は、ディナールの推進者バディロ氏は、現物のディナール金貨と交換可能の電子マネー「e─ディナール」の使用を推進しており、すでに160カ国、30万口座が開かれている。バーチャル化は、マネーゲームに拍車をかけるが、一方で投機を抑えようとするディナールの拡大を支える武器ともなるかもしれない。バディロ氏がマハティール首相に注目したのも、イスラーム圏の中でマレーシアが最もITの利用に積極的だからでもある。
マハティール首相には、決して現行の通貨システムを混乱させる意図はない。時間をかけて慎重にディナールを定着させていこうとしている。まずは、2国間のディナール取引から始め、それを徐々に多国間のシステムに発展させていく方針である。
確かに、支払い手段として金を使用することに関して国際通貨基金の禁止事項があるとの指摘もある。しかし、バディロ氏らは、「たとえ20人でも、我々は、金貨を使う貿易圏を創造できる」と語っている。意志さえあれば、ディナール通貨の使用は実現するだろう。
2003年10月には、イスラーム諸国会議機構(OIC)首脳会議がマレーシアで開催される。この会議を花道に引退するマハティール首相が、イスラームのリーダーが集結するこの会議でディナール推進の合意ができるよう積極的に動くとの見方もある。
かつてイスラーム圏は活発な経済活動によって繁栄の時代を築いていた。近代以降、経済発展が遅れたのは、ムスリム大衆が欧米型経済システムに強い違和感を抱いたからでもある。イスラーム的な理念に支えられた決済通貨が拡大することによって、イスラーム諸国間の貿易が活発となり、再びイスラーム諸国が経済発展の主役になるかもしれない。
経済発展によって発言力を拡大したムスリムは、イスラームの価値観に基づいて現在の国際経済秩序の変革を要求するようになるだろう。ただし、ディナール構想はイスラームの固有性の主張ではなく、経済における正義に関心を示す普遍的な構想であると認識すべきではなかろうか。ディナールに関するシンポジウムには、ムスリムだけでなく、キリスト教団体も参加している。イギリスの「Christian Council for Monetary Justice」会長ピーター・チャレン(Peter Challen)もその一人である。
日本は、このイスラームの静かな動きに注目する必要があるのではなかろうか。


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