宮崎滔天と孫文

孫文訪問時の様子を再現

熊本県荒尾市にある「宮崎兄弟資料館」には、宮崎兄弟に関する貴重な資料が展示されている。宮崎兄弟の父政賢は天性の自由を愛し、名利を憎み、母佐喜は「畳の上に死するは男子何よりの恥辱」と教えたという。こうした父母の教育が、「自由民権に散った天性の革命児」八郎、「土地復権を生涯の使命とした哲人」民蔵、「理想の国を中国革命にみた思想家」彌蔵、「孫文を助け、革命に挺身した侠の人」滔天(以上、資料館紹介)という、いずれも高い志を持ち、それぞれ個性にあふれた人物を生んだ。



滔天の兄・彌蔵は、中国を本拠地とした革命によって理想の国を築くことを願い、頭髪を剃り、名も管仲甫と称して中国人になりきり、横浜の中国商館で中国の言語・習俗の研究に励んだ。やがて、孫文一派の陳少白と出会い、中国とのパイプを築くきっかけをつかんだものの、夢半ばにして病に倒れた。この彌蔵の夢を引き継いで興亜の理想を追求したのが、滔天である。滔天は、孫文と興亜の理想を共有し、その革命支援に尽力した。資料館には孫文と滔天の筆談の跡が展示され、また生家内には孫文訪問時の様子がリアルに再現されている。

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