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書評─小倉和夫著『日本のアジア外交 二千年の系譜』(『月刊日本』平成25年9月号)


 現在わが国と近隣諸国との緊張が高まっているが、通常日中関係や日韓関係を語る際、その視野に置かれるのは、せいぜい大東亜戦争に至る100年ほどの歴史であろう。
しかし、わが国とアジア諸国との関係を考えるには、さらに長期的な視点が求められる。この要請に応えてくれるのが、2000年の歴史に遡って日本のアジア外交を考察した本書である。著者は、日本外交の明白なビジョンが今求められていると指摘し、次のように書いている。
〈そうしたビジョンを考えるにあたっては、観察の時間軸を長くのばし、卑弥呼や聖徳太子の外交からも、教訓をえることが必要に思われる。なぜなら、日本近代のアジア外交が、欧米外交の従属変数になってしまったことの反省の上に立って、新しいアジア外交を再構築しなければならないと思われるからである。すなわち、日本外交が、欧米を中心とする国際社会にどう対応すべきかという課題をつきつけられた「近代」に突入する以前の段階で、日本とアジアがどう向かい合ってきたかを考察してみる必要があるのではなかろうか〉(2~3頁) Continue reading “書評─小倉和夫著『日本のアジア外交 二千年の系譜』(『月刊日本』平成25年9月号)” »

東アジア共同体の真の意味

 アジアの歴史的伝統には普遍的な価値がある。このことを確認する上で、極めて示唆に富む指摘をしているのが、「東アジア共同体論の課題と展望」と題した小倉和夫氏の論稿である。ここで小倉氏は、次のように書いている。
「……現在別の新しいアジアという概念が必要となってきているのではないか。それは、人権や民主主義といった、いわゆる世界的ないし普遍的な価値の問題と関連している。こうした価値が西洋的なものではなく、むしろアジアの歴史的伝統のなかにすでに存在していたことを根拠だてるという意味で、アジアという概念が使われる時代に突入しているのである。
すなわち、世界的な、あるいは普遍的価値を生んできたと考えられている空間から、「西洋」という記号を剥奪する、そのための概念としてアジアという概念が登場しうる時代に突入している。言いかえれば、アジアこそがこれからの世界に、ある意味では人類普遍の価値観を普及させていく、ひとつの原動力となりうるのだというかたちのアジア論である。……こう考えると、東アジア共同体が機能的に成立しつつあり、東アジアにひとつの経済的な共同体が生まれていく方向が出てくるとすれば、その東アジア共同体は、東アジアの各々の国、あるいは東アジア共同体そのもののために存在するのではなく、国際社会、世界全体のために存在することになる。アジアが世界全体のために責任をはたしていく、そのための核として機能していくところに東アジア共同体の真の意味があるといえるのではなかろうか」
同論稿は、2010年6月に刊行された『平城遷都1300年記念出版 NARASIA 東アジア共同体? いまナラ本』に収録されている。