伯家「永世の伝」を継承

井上正鐵は寛政2(1790)年8月4日に安藤真鐵の次男として生まれた。寛政12(1800)年に母方の縁で今治の藩士、富田惣治の養子となり、その本姓である井上を名乗るようになった(黒住忠明、坂田安儀校注『神道大系 論説編28 諸家神道(下)』神道大系編纂会、1982年、禊教9~11頁)。
観相家の水野南北から観相と易学の極意を、長田徳本派の名医、磯野弘道から漢方を、さらに浅井仙庵から指圧を習った。そして、天保4(1833)年、井上は神秘体験を経て古神道に開眼、翌天保5(1834)年伯家に入門する。
井上は、「息吹永世の伝」などを伝授され、独自の行法を確立するのである。明治5(1872)年に吐菩加身講布教の許可を得た。明治9(1876)年になって、吐菩加身講は禊教と改称されている(禊教解題9~24頁)。
伯家では、「とほかみゑみため」は「天津祝詞の太祝詞事」と呼ばれる究極の言霊力を持つ詞ともされていたが、井上は指導者の振る鈴の音に合わせて「とほかみゑみため」と声に出して息を強く吐くという独創的な行法を確立した。「とー」と大きな声で、しかもできる限り長くのばしながら発声すること自体が息を長く吐き続けるという「永世の伝」になっている(『古神道の氣』164頁)。

井上正鐵『古神道の本』学研、1994年、30頁

 井上は、吐菩加身講を設立する以前に、流罪に処せられるという苦難を経験している。彼は、単に修行によって真理を把握するだけでなく、救世済民に身を捧げた実践者だったからである。天保の度重なる飢饉の中で餓死者が増大するという状況に対して、井上は「我一飯を残して人の飢えを救はん」と発願し、救済活動を展開した。だが、井上は倒幕思想を持っているとの疑いをかけられ、天保14(1843)年に三宅島に島流しとされた。ただし、坂田安儀氏は「倒幕思想と位置づけ得るような明確な思想があったとは考えられない」としている(禊教解題20頁)。

関連書

著者 書名 出版社 出版年 備考
荻原稔 井上正鐡の生涯 禊教教典研究所 1999年
荻原稔、田中清隆 伊那と岡山の禊教 : 井上正鐡直門伊藤祐像と門中たち 井上正鐡研究会 1998年
荻原稔 井上正鐡真蹟遺文 井上正鐡研究会 1995年
荻原稔 井上正鐡直門歌文集 井上正鐡研究会 1991年
荻原稔編著 井上正鐡門中史便覧 梅田神明宮 1990年
麻生正一編 井上正鐡翁在島記 増補版 和銅出版 1989年
田中義能 神道十三派の研究 第一書房 1987年
坂田安儀校注 禊教 神道大系編纂会 1982年 神道大系 / 神道大系編纂会編 ; 論説編28 . 諸家神道 ; 下
禊教教典研究所編 禊教教典井上正鐵神御文書 禊教本院 1982年
井上正鐡 みちうた みそぎ文化会 1978年
梅田義彦 神道の思想. 第3巻 雄山閣出版 1974年
坂田和亮 禊教の研究 みそぎ文化会 1972年
坂田安治 禊教主神神徳略記 禊教本院 1938年
禊教本院 みそぎ教しるべ 禊教本院 1935年
禊教本院 禊教要義 禊教本院 1935年
麻生正一 神道家井上正鐡翁 神道中教院 1933年
田中義能 神道禊教の研究 日本學術研究會 1932年
服部勝衛 禊教余談 服部勝衛 1917年
井上正鐡他 唯一神道問答書合巻 加藤直鉄 1898年
坂田安治 禊教主神神徳略記 禊教本院 1896年
井上正鐡他 玉の緒 禊教本院 1896年
小木藤太郎(精斎)、岸本昌熾 教祖井上正鐡大人実伝記 禊第六教院 1895年
井上正鐡他 正鐡霊神御遺書 巻1 大成教禊教第一教院 1894年
麻生正一 井上正鐡在島記 麻生正守 1890年
井上祐鉄他 井上正鐡真伝記 小管喜兵衛 1888年
井上正鐡他 問答書書継 神道禊派教院 1888年
井上正鐡 神道唯一問答 上、下 穂苅半兵衛 1888年
井上正鐵遺訓 ; 坂田鐵安撰 ; 坂田安治註 問答書書継 坂田鐵安 1888年
横尾信守 井上正鐡翁遺訓集 禊教横尾社 1887-1890年
井上正鐡 唯一問答書 横尾信守 1886年
井上正鐡 神道唯一問答 神道禊教本院 1882年
坂田安治著 大祓詞略注 : 神道禊教 上、下 温故堂 1882年
井上祐鉄 井上正鐡真伝記 井上祐鉄 1877年


雑誌論文・記事

著者 タイトル 雑誌名 巻・号 発行日
荻原 稔 禊教直門村越守一 (〔神道宗教学会〕第55回学術大会紀要号) — (研究発表 第三部会) 神道宗教 186 2002年4月
荻原 稔 禊教祖井上正鐵の流謫生活と水汲み女お初 江戸期おんな考 13 2002年
荻原 稔 札幌の禊教 (〔神道宗教学会〕第54回学術大会記念号) — (研究発表 第一部会) 神道宗教 182 2001年4月
荻原 稔 初期禊教の指導体制 (研究発表 第二部会) 神道宗教 178 2000年4月
荻原 稔 禊教(みそぎきょう)祖井上正鐡(いのうえまさがね)の妻 安西男也(あんざいおなり) 江戸期おんな考 通号 10 1999年
荻原 稔 井上正鐡の未刊遺文–直門杉山秀三に宛てられた文書 神道及び神道史 通号 50 1992年7月
荻原 稔 白川家と江戸の門人–天保年間の井上正鐡遠島をめぐって 神道宗教 通号 143 1991年6月
荻原 稔 著編 禊教直門遺文-2-「村越守一筆記集」 神道及び神道史 別冊 1988年8月
荻原 稔 明治前期における禊教団の変遷–吐菩加美講から禊教・大成教禊教へ 神道宗教 通号 130 1988年3月
荻原 稔 禊教祖井上正鐡の出自について–安藤家文書を通路として〔含 資料〕 神道及び神道史 通号 44 1986年9月
森 正康 地域社会における教派神道の受容と定着–山梨県下の禊教 歴史地理学 通号 130 1985年9月
岩本 徳一 井上正鐡翁の遠流と歿後における伝道史 (神道の諸問題(特輯)-1-) 神道宗教 通号 65・66 1972年1月
松井 嘉和 日本的思考傾向にみられる寛容性について–井上正鐡の場合 神道宗教 通号 62 1971年2月

坪内隆彦