独自の資源外交を展開

資源小国日本にとって、資源の確保は最も重要な外交課題の一つである。だが、資源外交を基軸にし、主体的な外交を展開した政権は少ない。こうした中で、田中角栄政権は異色だった。
田中首相は、1973年頃から、独自の資源外交を展開していた。まず同年秋、仏、英、西独、ソ連を次々と訪問し、石油、ウラン鉱石、天然ガス等の共同開発について議論している。同年11月には親アラブ政策を打ち出している。翌1974年1月には、ASEAN5カ国を歴訪し、インドネシアとの間で液化天然ガスプラント、石油基地建設の建設協力で合意した。1974年9月には、メキシコ、ブラジル、カナダを訪れ、メキシコ原油の開発、アマゾン開発、西カナダのタールサンド開発について、それぞれ協議している。さらに、その翌月には、ニュージーランドやオーストラリア、ビルマを訪ね、マウイ天然ガス開発やウラン資源の確保について合意している。

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こうした田中首相の独自外交がアメリカ側を怒らせたという見方は早くからあった。田原総一朗氏は、早くも1976年7月に「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」において、「ロックフェラー財閥に象徴される東部のエスタブリッシュメント対メロン財閥を中心にしたガルフ、テキサコ、ロッキードなど西南部の新興勢力の汚い内ゲバであり、新興勢力との黒い癒着で大統領にのしあがったニクソンを血祭りにあげたのが第一幕で、現在その二幕目が展開されているのだという」と書いている(『中央公論』)。
また、1987年には、毎日新聞の嶌信彦記者(当時)が、「かつて、わが国は、田中角栄元首相時代、独自の資源ソースの確立をめざした資源外交を着々と展開したころ、これがメジャーズ(国際石油資本)を中心とする米国の資源のカサと衝突、一部で『日本は米国の虎の尾を踏んだ』といわれ、田中元首相がロッキード事件に巻き込まれた遠因ともみられている」と書いている(『毎日新聞』1987年7月2日付朝刊)。
1996年には、中曽根康弘元首相が、『天地有情―五十年の戦後政治を語る』において、さらに明確に述べている。
「田中君は、国産原油、日の丸原油を採るといってメジャーを刺激したんですね。そして、さらに、かれはヨーロッパに行ったとき、イギリスの北海油田からも日本に入れるとか、ソ連のムルマンスクの天然ガスをどうするとか、そういう石油取得外交をやった。それがアメリカの琴線に触れたのではないかと思います。世界を支配している石油メジャーの力は絶大ですからね。のちにキッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私にいいました」

独自のアジア外交を警戒?
ただし、アメリカが嫌ったのは、田中首相の独自のアジア外交だったとの見方もあるようだ。公明党元委員長の矢野絢也氏は[私の角栄論]において、田中首相の「一種のアジア中心主義」が、アメリカに歓迎されなかったことを次のように示唆している。
「田中氏は将来、日本がアジアでどう位置付けられるべきか、アジアの資源と消費者としての人口を視野に置いた一種のアジア中心主義が意識の底にあったと思う。東南アジア諸国連合(ASEAN)へのアプローチも資源収奪などの批判から必ずしも歓迎されなかったが、この視点から見直す必要がある。
そこには雪で象徴される土着性を背景にした日本という、氏なりの座標軸があり、アジア意識があった。必ずしも対米一辺倒ではなく、この面でも異端の政治家だったのであろう。氏がアメリカ発のロッキード事件で政治生命にトドメを刺されたのも、単なる偶然だったのか、という印象すらある」(『毎日新聞』1993年12月23日付朝刊)。
生前、渡辺美智雄は、岩見隆夫氏に次のように語っていたという。
「71年の頭越しの米中接近、その翌年の日中正常化。日本と米国が相次いで中国と急接近していったことに、米国の保守派が非常な危機感を持った。このままにしておくわけにいかないと、CIA(米中央情報局)とFBI(米連邦捜査局)が手分けして、FBIがニクソン元大統領を葬り、CIAが角さんを葬った。これは間違いありませんよ。根は中国問題です」(『毎日新聞』1998年11月23日付朝刊)。

坪内隆彦