アメリカに物申した男─ウゴ・チャベス


アメリカの石油産業とベネズエラ財界
アメリカは、ベネズエラから日量150万バレルの石油を輸入し、南米屈指の油田地帯ともいわれる同国北西部マラカイボ油田の開発にも関わってきた。この石油の利権に近い2大政党(キリスト教社会党と民主行動党)による政治支配が1958年以来のこの国の歴史である。そして、石油産業を支配する一握りの富裕層が富を握り、国民の8割が貧困に喘ぐといういびつな状況が続いていた。1990年代には、市場万能主義のアメリカ型資本主義が浸透し、貧富の格差はさらに広がった。
カラカス東部の小中高一貫校の教頭、ソニア・グラテドルさんは「世界第5位の原油輸出国なのに、なぜ私たちは貧しいのか。国民の多くは国営ベネズエラ石油(PDVSA)の幹部とその顧客、米国が富を奪ってきたからと考えている」と語る(『毎日新聞』2003年2月6日付朝刊)。
この利権構造の打破による貧困層の救済を目指して登場したのが、元中佐のウーゴ・チャベス(Hugo Chavez)である。
チャベスは既成政党、経済・労働団体を「国の富を奪う腐敗集団」と非難し、貧困層救済のための「平和革命」を掲げて1998年12月の大統領選挙を戦い、実業家のエンリケ・サラス元カラボボ州知事を下した。大統領に就いたのは1999年2月。
カルデラ政権が推進した国営公社の民営化などの新自由主義経済路線が低所得層の生活を圧迫していると批判したチャベス大統領は、2001年末には大規模な私有地の農民への分配、石油産業への国の統制の強化などを含む一連の新法を成立させた。これは、石油メジャーとベネズエラの富を支配する財界の利権とぶつかる。
しかも、アメリカの覇権主義を批判するチャベス大統領は、自主外交を強めた。アメリカが敵視するイラクやキューバとの関係を保ち、アメリカのアフガニスタン攻撃にも批判的態度を隠さなかった。2001年4月には、中国とエネルギー、農業など7分野での協力協定を締結している。しかも、アメリカ資本が牛耳ってきた探鉱事業への中国企業の参入でも基本合意した。これらの政策によって、アメリカの石油産業とベネズエラ財界、そしてその支配下にあるマスメディアを敵に回すことになった。

クーデター未遂とアメリカの介入
財界の不満に支えられて、チャベス政権への抗議運動はエスカレートしていった。こうした中で2002年4月12日、軍のクーデターにより、経団連のペドロ・カルモナ会長が暫定大統領に就いた。チャベスは、カリブ海オルチラ島に幽閉された。同日、フライシャー米大統領報道官は、「チャベス政権は平和的なデモを弾圧した。政権が促した行動が今回の危機を引き起こした」と述べている。クーデターを批判することなく、チャベス政権の責任を指摘したのである。
しかし、翌13日、首都カラカス西部にある国内最重要の空軍基地、マラカイ基地で、バドゥエル陸軍少将らが決起、カルモナによる国会解散の政令を憲法違反と主張してF16戦闘機が配備されている基地を包囲した。こうして、チャベスは4月15日に政権に復帰したのである。
チャベスは、幽閉されていたオルチラ島の軍施設に不審な米国機が来ていたことを明らかにし、クーデター未遂へのアメリカの関与を示唆している。ベネズエラ国民の中には、「クーデターは、米国を『覇権主義』と非難し続ける大統領を引きずり降ろそうという米国の陰謀だ。大統領は庶民を心から気遣っており、神が授けた正直者なんだ」(オマル・マグブさん)といった声もある(『神戸新聞』2002年4月16日付朝刊)。
『ニューヨーク・タイムズ』(2002年4月16日付)も、米高官が過去数カ月内にベネズエラ軍幹部らと複数回接触し、方法はともかく「チャベス大統領は退陣すべしとの立場で一致した」と報じている。さらに『ニューズウィーク』誌(2002年4月22日発売号)も、クーデター未遂事件へのアメリカの関与はホワイトハウスの説明より広範なものだ書いた。また、クーデター未遂におけるベネズエラの財界の支配下にあるマスメディアの果たした役割も見逃すことはできない。
政権復帰後、チャベス大統領は国内産業の育成などを推進しようとしたが、失業率は悪化し、インフレが進行するなど経済的な悪化を余儀なくされた。2002年12月から約2カ月間、産業界と労組が手を組みチャベス政権打倒を目指したゼネストを続けた。この経済活動の停止によってさらに経済は混乱した。2004年8月、チャベス大統領を罷免するかどうかを問う国民投票が行われ、大統領は信任された。
2006年12月の大統領選では対立候補マヌエル・ロサレスをダブルスコアに近い大差で破り、3選を果たした。
この間、チャベスは、アメリカの覇権主義に対抗した地域協力構想を推進してきた。2005年4月にはキューバとの間で「米州ボリバル代替統合構想」(ALBA)に調印、2006年4月には、カストロ国家評議会議長、ボリビアのモラレス大統領と、ハバナで会談し、「人民貿易協定」(TCP)を締結している。
 2011年にガンを患いキューバで摘出手術と治療を受けた。2012年10月の大統領選挙で再選を果たしたものの、2013年3月5日に死去した。

坪内隆彦

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