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「特振法精神は死なず」

 佐橋滋は昭和四十一年四月二十五日に通産省を退官した。その翌年七月に佐橋が書いたのが『異色官僚』(ダイヤモンド社)である。同書の「特振法精神は死なず」の章において、佐橋が「未熟児で死亡した特振法の亡霊を成仏させるのが、僕の今後の仕事の大きな部分になりそうである」と書いていることが、まず注目される。
 特振法の起源は、佐橋によると、昭和三十六年度の予算で通産省に産業構造調査会(昭和三十九年に産業構造調査会と産業合理化審議会を一本化して産業構造審議会が発足)の予算がとれて、産業構造研究が本格化した。特振法は産業構造調査会のエッセンスを法文化し、具現化するねらいの下に始めたものだという。佐橋は次のように書いている。
 「産業構造といっても、概念、内容は複雑であり、調査会が国際競争力という観点に絞って産業構造問題にとり組んだ経緯にもかんがみて、特振法も国際競争力強化法案という名の下に論議をお願いしたのである。
 僕は国際競争力強化法のほうが実態内容を端的に現わしており、開放経済態勢を控えて緊迫感、切実感を招来するうえに効果的ではないかと考えていたが、諸外国を刺激しすぎるとか、あまりにもオールラウンドすぎるとか、いろいろの意見が出て、特定産業振興臨時措置法(略特振法)という名称になった」

 佐橋は特振法の精神内容を次のように整理している。
 一、開放体制下において、国際競争力をもちうるためには現在の産業の再編成をする必要がある。
 二、そのためには企業は集中、合併、専門化をすることが望ましい。
 三、集中、合併、専門化を実施するために政府はそれをエンカレッジする施策を講ずる。
  (イ)税制上の優遇 (ロ)金融 (ハ)独禁法上の例外措置
 四、望ましい産業の再編成とはどういうものかの結論づけは政府、業界、金融機関の三者協議によって行なう(官民協調方式)
 法案の中で、最もユニークな点が四の「官民協調方式」であり、佐橋は「特振法の哲学が、もしあるとすれば、それは官民協調方式である。各業種の再編成の方向は、それほど具体的にもっていたわけではないし、もっている必要もなかった。官民協調して話し合ってつくればよい、それこそが僕にとって重要なことであった」と書いている。だが、この官民協調こそが、批判にされされたのである。
 「官民協調方式というが、実は統制の復活である、衣の下に〝よろい〟がちらちらするとか、貿易の自由化の進展とともに権限が縮小する通産省の失地回復をねらったものであるとか、官民協調といっても、羊の群れの中に狼がー匹はいったようなもので、結局、官に押し切られてしまうとかいう意見が強かった。僕はいろいろと委曲を尽くして説明したつもりであったが、反対者を完全に釈然とさせることはできなかった」

 その上で、佐橋は「自由競争論者」の考え方に矛先を向けたのである。
 「国際競争に耐えうるためには、産業再編成が必要であることを肯定するが、その再編成をするのに、人為的政策の必要性はない、自由競争に放任しておけば、おのずと望ましい産業の再編成ができ上がるという自由競争論者がいる。資本主義体制の根本は自由競争であり、自由競争にチェックを加えるのは好ましいことではないという考え方が根強く存在している。……なぜ自由競争が必要なのか、自由競争はよりよい経済を実現するための方法にすぎないのであって、それ自体目的ではないはずである。自由競争を是とする根拠はそれが最も人間の創意を生かす手段と考えられているからである。創意は人間社会発展の起動力である。個人の創意を極限にまで発揮させる仕組みは絶対に必要である。抑圧された雰囲気の下で、創意の発揮は困難である。ただ自由競争による需給の調和機能、弱者淘汰作用による産業界の望ましい秩序の実現という自由競争原理には仮説、前提があることを忘れてはならない。すなわち企業は利潤の極大化をめざして行動するとか、経済合理性に反する行動はしないとか、新しい均衡に対し瞬時に適応できる等々の前提が満たされていなければ、自由競争による予定調和は成立しない。
 完全な自由競争は世界じゅうどこにも行なわれていない。日本経済を仔細に検討して見られたらいい。資本の移動も金利も、労働者の解雇も、労働条件も、施設の撤去も企業の自由にならないものばかりではないか。いずれの国においても自由主義経済には多くの修正が加えられている。経済正義を実現する手段はアプリオリに定まっておらない。自由競争原理が、あらゆる場合に経済の効率性を保証すると考えるのは誤りである」
 このように自由放任主義の限界を指摘した佐橋は「われわれはかくて自由放任主義でもない統制経済でもない第三の方法を提唱したのである。それが官民協調方式である」と述べた。

坪内隆彦