合気道開祖・植芝盛平の道話/道歌

道話

「武における業はすべて宇宙の真理に合わせねばならぬ。宇宙と結ばれぬは孤独なる武にすぎず、愛を生む<武産>の武とは異質のものである。合気は愛を生む<武産>の武であり、大和大愛の愛気にほかならぬ。その<武産>の武のそもそもは<雄叫び>であり、五体の<響き>の槍の穂を阿吽(あうん)の力をもって宇宙に発兆したものである。
五体の<響き>は心身の統一をまず発兆の土台とし、発兆したるのちには宇宙の<響き>と同調し、相互に照応・交流しあうところから合気の《気》が生じる。すなはち、五体の<響き>が宇宙の<響き>とこだまする<山彦>の道こそ合気道の妙諦にほかならぬ。
そこに高次の気魂の熱と光と力が生じ、かつ結ばれることとなる。微妙にこだまする五体と宇宙<響き>の活性が『気の妙用』を熟せしめ、武なる愛、愛なる武としての<武産合気>を生ましめるのである」
(植芝吉祥丸『合気道開祖―植芝盛平生誕百年』講談社、1983年、14頁)。


「私は武道をつうじて肉体の鍛錬を修業し、その極意をきわめると同時に、より大いなる真理をもかちえたのである。すなわち武道をつうじて初めて宇宙の神髄をつかんだ時、人間は<心>と<肉体>と、それをむすぶ《気》の三つが完全に一致し、しかも宇宙万有の活動と調和しなければならぬと悟ったのである。
つまり『気の妙用』により、己れ個人の心と肉体とを調和せしめ、同時に己れと全宇宙との関係をも調和せしめるのである。
もし『気の妙用』が正しく活用されぬ場合には、その人間の心も肉体も不健全となるばかりでなく、やがては世界の調和が乱れ、全宇宙に混乱をまねく禍因となろう。ゆえに<気・心・体>の三つを正しい宇宙万有の活動と調和せしめることは、世界秩序、人類平和のためにも欠くべからざる基盤でなければならぬ、ということになる。合気道においては、次のごとく三つの鍛錬を日ごろより実行し、実践してこそ、真理不動の金剛力が己れの全心身に喰い入るものとする。
一、己れの心を宇宙万有の活動と調和せしめる鍛錬。
二、己れの肉体そのものを宇宙万有の活動と調和せしめる鍛錬。
三、心と肉体とを一つにむすぶ《気》を、宇宙万有の活動と調和せしめる鍛錬。
この三つを同時に、理屈なく、道場において、また平常の時々刻々の場において実践しえた者のみが、合気道の士といえる」
(『合気道開祖』19頁)。


「『気の妙用』は、呼吸を微妙に変化せしむる生親(うみおや)である。これはすなはち武なる愛の本源である。『気の妙用』によって心身を統一し、合気の道を行ずるとき、呼吸の微妙なる変化はここよりおのずから流れいで、業は自由自在にあらわれる。
この呼吸の変化なるものは、宇宙遍在の根元の気と気結びし、さらに生産(いくむす)びし、その緒(お)結びすることによって宇宙化する。
と同時に、呼吸の微妙なる変化は五体に喰いこみ、深く喰い入ることによって五体のはたらきを活性化し、おのずから活発に神変万化の動作をうながすこととなる。」(続く)
(『合気道開祖』24頁)。


道歌
  気のみわざ 魂の鎮めや禊わざ    導きたまえ 天地の神   万筋限り知られぬ合気道    世を開くべき人の身魂に   大宇宙 此の天地の御姿は    主のつくりし一家なりけり
(『合気道開祖』9頁)。


  根源の気はみちみちて 乾坤や    造化もここにはじめけるかな   天地に気むすびなして 中に立ち    心がまえは 山彦の道
(『合気道開祖』11頁)。

坪内隆彦