かつては民主党の支持基盤

いまなお、アメリカ南部の保守派白人層には、古き良き時代を回帰したいという願望がある。「古き良き時代」とは、リンカーン以前の白人優位のアメリカである。そこには、黒人に対する根強い差別感情が隠されている。
奴隷制に反対する共和党のリンカーンが大統領に当選したのは、1860年のこと。これに対して、奴隷制存続を主張する南部7州は合衆国から脱退しアメリカ連邦(通称「南部連合」)を結成した。1861年に南北戦争が勃発、1965年、南部連合は敗れ合衆国は統一された。戦争中の1863年にリンカーンは奴隷解放宣言を出し、1865年の憲法修正により奴隷制廃止を達成した。

南部連合は奴隷解放に反対していたのである。この事実を忘れてはならない。南部の白人の多くに共通しているのが、「サザンクロス(ディキシークロス)」をあしらった南軍の戦旗に対する特別な感情である。それは、黒人にとっては差別意識のシンボルそのものである。クー・クラックス・クラン(KKK)はこの保守的な南部白人層のメンタリティを露骨に表現する勢力ともいえる。
1965年にジョージア州は、州旗を変更、旗の右側の3分の2を南軍の図柄にした。連邦最高裁が公立学校の人種隔離政策に違憲判決を下したことに反発したことが引きがねになったといわれている。これに反発して、全米黒人地位向上協会などは抗議行動を展開、違憲訴訟を進めていた。白人保守系の遺産保存協会や南軍兵士の子孫らでつくる連合子孫の会は、断固として旗を維持する構えを見せてきた。
だが、2001年にジョージア州は州旗を変え右側の3分の2のサザンクロスをはずした。そして、2003年4月25日、ジョージア州議会は、南北戦争時代の州旗を「永久追放」する法案をついに採決したのである。上院が賛成33・反対23、下院は賛成91・反対86という僅差であった。保守派白人層は落胆した。
ジョージア州旗の変遷
1965年~2001年
2001年~2003年
2003年~

こうした南部の保守派白人層の支持を得ることは、極めて微妙な問題をはらんでいるのである。そもそも、1960年代までは、南部白人層こそ民主党の支持基盤であった。民主党のケネディが大統領に当選した1960年の時点でも、旧南部連合に属す南部11州では上院議員22人中、共和党はゼロ。下院議員は106人中、7人に過ぎなかった。だが、1960年代の公民権法をきっかけに、南部の保守派白人層は民主党を去り、共和党に移った。以来、この人種戦略を採用してきたのが共和党である。1991年に、白人至上主義者のデビット・デュークがルイジアナ州知事選に打って出た際、『ニューヨーク・タイムズ』はコラムで次のように共和党を批判している。
「共和党はデューク氏との関係を否認しようとした。だが、それは遅すぎた。デューク氏はリンカーンの党(共和党)が10年以上にもわたって利用してきた人種的な訴えの産物なのである。
レーガンもブッシュもヘルムズも、明白な人種差別用語ではなく、政治的コードでその訴えを行ってきたことに変わりはないのである。そうした政治的コードのおかけでレイシズムは徐々に恥ずべきものではなくなってきた。デューク氏は過去の経歴を除けば、多数の共和党主流派と区別がつかなくなっている。
ルイジアナ州はデューク氏とその掲げる綱領を拒否した。今こそ共和党はデューク氏のような人物を生み出すことに手を貸した人種的な戦略を放棄すべきである」(The New York Times, November 18, 1991)。
だが、民主党候補が選挙で勝つためにも、保守派白人層の支持奪回が不可欠である。実は2003年11月1日、民主党の大統領選候補を競っていたディーン前バーモント州知事は「南軍旗を小型トラックに掲げているような連中のための候補者になりたい」と発言した。白人層へのアピールを狙ったのであろう。民主党の中に保守派白人層の支持回復が必要との意見があるのも事実だが、ディーン発言は厳しい批判にさらされた。

坪内隆彦