1967年に、英ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス修了後、同スクールで政治科学・国際関係学の博士号取得。マレーシアの有力英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」のグループ編集長などを経て、1984年からISIS所長。1997年3月には同研究所の会長兼最高経営責任者(CEO)に就任、その後も世界的な活躍を続けてきたが、2005年12月29日、甲状腺がんのため死去した。享年61歳。
2000年6月の「アジアの未来」では、概要以下のように述べていた。
「アジアの各国が国内でなすべきことについて「十戒」にならって述べたい。再び奇跡を起こす再生のカギとなるからだ。
一、過去の過ちを繰り返すことなかれ。思い上がれば失敗する。謙虚であれ。
二、独自の「勝利の方程式」を再発見せよ。天に至る道はたくさんある。
三、自由化し、グローバル化せよ。ただし、用意ができていないなら自由化することなかれ。
四、信仰心にも似た情熱を持って、生産性に献身せよ。生産性をないがしろにすれば破滅に向かう。
五、慎重さを忘れず、かつ決意を持って「P(roduction)―economy」(生産経済)から「K(nowledge)―economy」(知識経済)に移行せよ。
六、官僚主義を経済の意思決定から外せ。
七、腐敗が疫病のように広がり、汝(なんじ)を殺す前に退治せよ。
八、海外からの短期の株式投資を欲しがるな。高付加価値で知識集約型の産業の育成につながる海外直接投資は、何としても獲得せよ。
九、経済のファンダメンタルズをたゆまず改善せよ。
十、目的を達成できる国、政府、国民に再びなれるよう、できることはすべてなせ。
この十戒の下に生きるなら、経済の救済の道を進むことができよう」。
(『日本経済新聞』2000年7月4日付朝刊第2部)。
ノルディン・ソピー執筆雑誌記事・論文
タイトル | 雑誌名 | 発行年月(日) | 備 考 |
---|---|---|---|
日本を中心とした、東アジアの新しいコミュニティをつくれ (変貌するアジア 問われる日本の戦略) — (言論NPOアジア戦略会議シンポジウム・セッション2–日本とアジアの関係をどう構築すべきか–北東アジア経済圏の可能性) | 『言論NPO』 | 2003年4月 | |
文明の饗宴 (特集 エイジアン・バリュー2–生まれつつある”ニューアジア”) — (特集2 アジアの価値観は世界に貢献するか–電通マネージメント・フォーラム) | 『Human studies』 | 1997年3月 | |
「APECとEAECの将来」 | 『東洋経済』 | 1996年4月20日号 | |
「日本人は不気味な不透明集団、アジアを単なる低賃金の製造基地として考えないで欲しい」 | 『SAPIO』 | 1994年6月23日号 | |
「成長と貿易の危機への取り組み―アジアが期待するもの(特集・東京サミットに向けて)」 | 『外交フォーラム』 | 1993年5月号 | |
「望ましき東アジア経済圏構想(World Voice)」 | 『Foresight』 | 1992年12月号 | |
「日本とアセアン―シンガポール首脳会議を越えて」 | 『月刊keidanren』 | 1992年4月号 | |
「マレーシア提唱の経済圏構想―発言力求める東アジア諸国、EAEGはその端緒を開く」 | 『日経ビジネス』 | 1991年8月5日・8月12日号 | |
「内側から見た転換期のASEAN(座談会)」 | 『外交フォーラム』 | 1991年3月号 | ユスフ・ワナンディ、野上義二との対談 |
「国際経済の変動とASEAN」 | 『国際問題』 | 1987年月4号 | |
「新しい国際システムにおける日本の選択」 | 『国際問題』 | 1986年6月号 |