青柳種信と辛島並樹
明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教
青柳種信と辛島並樹
明治時代になって神祇伯は廃止され、白川家も子爵になった。やがて、第33代の白川資長の代で白川家は絶家となってしまう。しかし、伯家神道はいくつかのルートで伝承されていた。その1つが、第30代の雅寿王によって伝授された青柳種信のルートである。 続きを読む 鬼倉足日公とすめら教
「外部ノ物質的援助ヲ仰ガズ」
大正15年2月11日、古着屋を営んでいた増井潤一郎が旗揚げした団体である。増井は新潟県高田の出身で、小学校の教師をしていた父から武士的教育を受けるとともに、漢学を仕込まれて成長した。増井の脳裏には、父から教えられた『日本外史』をはじめとする著書に示された楠一族の殉国物語が深く沁み込んでいた(荒原朴水『大右翼史 増補版』大日本一誠会出版局、1974年、100頁)。 続きを読む 大日本殉国会 |
関連書籍
著者 | 書名 | 出版社 | 出版時期 |
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頭山満、的野半介、杉山茂丸、内田良平、夢野久作 | 玄洋社怪人伝――頭山満とその一派 ![]() |
書肆心水 | 2013年10月 |
頭山満 | 頭山満思想集成 ![]() |
書肆心水 | 2011年10月 |
石瀧豊美 | 玄洋社・封印された実像 ![]() |
海鳥社 | 2010年10月 |
頭山満、杉山茂丸、内田良平、犬養毅 | アジア主義者たちの声〈上〉玄洋社と黒龍会、あるいは行動的アジア主義の原点 ![]() |
書肆心水 | 2008年4月 |
大川周明著、中島岳志編 | 頭山満と近代日本![]() |
春風社 | 2007年12月 |
立雲頭山満先生講評 『大西郷遺訓』出版委員会編 | 大西郷遺訓 ![]() |
K&Kプレス | 2006 |
堀 雅昭 | 杉山茂丸伝―アジア連邦の夢 ![]() |
弦書房 | 2006 |
頭山満 | 頭山満言志録 ![]() |
書肆心水 | 2006 続きを読む 玄洋社関連文献 |
団体・拠点名 | 設立時期 | 備考 |
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振亞社 | 明治10(1877)年 | |
向陽社 | 明治11(1878)年 | |
玄洋社 | 明治12(1879)年 | 向陽社から発展。明治14年説もあり 続きを読む 興亜・維新団体設立時期 |
玄洋社幹部で、孫文の革命を支援
鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄は、玄洋社幹部で、孫文の革命を支援した人物である。『東亜先覚志士記伝』には寺田について次のように書かれている。
「福岡県人寺田案山子の長男、安政6年11月を以て生れ、明治10年分れて一家を創立した。同15年明治法律学校を卒業し、司法官登用試験に合格して東京及横浜地方裁判所判事、京橋区裁判所監督判事、高崎区裁判所判事等を歴任し、明治30年1月衆議院書記官に任ぜられ、議事課長、秘書課長、警務課長等を経て大正6年5月衆議院書記官長に進み、同12年8月願に依り免官となると共に貴族院議員に勅選され、14年6月営繕管財顧問を仰付けられた。東亜の諸問題に就ては民間有志と志を同じくし、直接間接に力を致す所があった。大正15年1月病んで歿す。年68。男孝家を嗣ぐ、鳩山一郎夫人薫子はその女である」 続きを読む 鳩山由紀夫の曾祖父・寺田栄
![]() 若宮二郎、大久保英久、宮澤敝七、祖父川瀬徳男「白樺の口吻」 想 |
巻 | タイトル | 期 | 刊行年 |
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第1巻 | 踏破録 | 第5期生 | 明治41年 |
第2巻 | 禹域鴻爪 | 第6期生 | 明治42年 |
第3巻 | 一日一信 | 第7期生 | 明治43年 続きを読む 東亜同文書院大旅行誌 |
青島地湧塾で日中提携を目指す
村岡清蔵は、明治42年に佐賀県で生まれた。大正13年、大連の旧制高等小学校を卒業し、翌14年に大連の日本山妙法寺において、得度仏門に入る。
彼が、前田虎雄と出会うのは、大正15年11月、栃木県那須の日本山妙法寺においてであった。以来、前田と行動をともにし、昭和8年の神兵隊事件に参加、投獄される。昭和10年秋に出獄した後、葦津耕次郎の教えを受けて、神道、国学思想に開眼、嗣子珍彦とも親交を持つようになる。
昭和15年1月、立正興亜塾を東京に開設、青年同志の養成に努めた。この年7月の七・五事件に参加し、再び投獄されている。翌昭和16年に出獄、昭和17年に中国に渡った。昭和18年青島地湧塾の塾長となり、熟生とともに日中間の真の提携を目指した。昭和19年には地湧塾の生徒たちとともに、済南に移転し、山東立志工業学校を創設し、中国人のみ500余名の育成に当たった。
昭和20年8月15日、終戦の大詔を拝聴して自決を決意し、久子夫人とともに自宅において自決した。
昭和皇道維新の断行
昭和8年7月の神兵隊事件は、斉藤実を首班とする内閣を妥当し、一挙に国家の現支配機構を破壊し、帝都を動乱化して戒厳令下に導き、大詔渙発を奏請して皇族を首班に推戴する臨時非常内閣を樹立し、これを中心に新政治機構を組織し、日本主義皇道を指導原理として帝国憲法をはじめ法律、政治、経済その他諸般の制度を根本的に改廃することを狙って行われようとしていた。その目的は、皇国本来の一君万民・祭政一致の天皇政治を擁立し、神武肇国の皇政に復古し、明治維新の追完たる昭和皇道維新を断行することであった。 続きを読む 神兵隊事件─昭和皇道維新の断行