昭和皇道維新の断行
昭和8年7月の神兵隊事件は、斉藤実を首班とする内閣を妥当し、一挙に国家の現支配機構を破壊し、帝都を動乱化して戒厳令下に導き、大詔渙発を奏請して皇族を首班に推戴する臨時非常内閣を樹立し、これを中心に新政治機構を組織し、日本主義皇道を指導原理として帝国憲法をはじめ法律、政治、経済その他諸般の制度を根本的に改廃することを狙って行われようとしていた。その目的は、皇国本来の一君万民・祭政一致の天皇政治を擁立し、神武肇国の皇政に復古し、明治維新の追完たる昭和皇道維新を断行することであった。 続きを読む 神兵隊事件─昭和皇道維新の断行 →
理 想
社會的自由と個人的自由の一致する全人類の健全なる有機的社會の創造を期す。
綱 領
一、天皇を政教の淵源とし維新の鴻謨を翼贊して其發展完成を期すること。
二、社會の單位を家族とし統治の單位を氏子中心とすること。
三、經濟と道徳の一致を求め土地或は職業を與へて一人の飢民なからしむること。 続きを読む 敬天愛人運動の理想及び綱領 →
藤井斉が同志を糾合
王師会は、海軍の王師会が昭和3年3月に海軍部内の青年士官中の同志を集めて組織した。藤井は、海軍兵学校在学中に休暇等を利用して、大学寮に出入りしていた大川周明、満川亀太郎、安岡正篤、西田税らと接触し、国家改造の必要性を痛感するようになっていた。 続きを読む 王師会─青年将校の義憤 →
イスラーム先駆者
中国人ムスリムと田中逸平 田中逸平の名は、大正13年にイスラームの聖地マッカ(メッカ)への巡礼を敢行し、さらに死の直前に2回目の巡礼を果たしたことで知られる。田中の思想と行動の重要性は、興亜論発展の一環としてイスラームの真髄を理解しようとした点にある。 続きを読む イスラーム先駆者 田中逸平 → |

中野常太郎(号は天心)は、明治期に日本の興亜陣営とムスリムの連帯を主導した人物である。慶応2(1866)年10月23日、加賀金沢で生まれた中野は少壮のときから東亜経綸に志し、興亜の先駆者・荒尾精、根津一の門に出入りした。黒龍会にも参加したとされる(サルジュク・エセンベル「日露戦争と日土関係」)。
明治42年にトルコ系タタール人、アブデュルレシト・イブラヒムが来日すると、中野は大原武慶とともにムスリムと興亜陣営の連携を推進する。 続きを読む 中野常太郎と亜細亜義会 → |
書籍
著者 |
書籍写真 |
書名 |
出版社 |
出版年 |
備考 |
塙薫蔵 |
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浦敬一 |
大空社 |
1997年 |
伝記叢書 241 |
小西干比古編 |
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興亞の先覺浦敬一書翰附略傳 |
東半球協會 |
1941年 |
東半球資料 第17號 |
塙薫蔵 |
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浦敬一 |
淳風書院 |
1924年 |
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亜細亜人民たるものの大義
浦敬一は、荒尾精の興亜論を受け継ぎ、果敢に行動した。対ロシア政策に必要な情報を収集するため、新疆方面の状況調査を企て、明治22(1889)年9月単独で伊犂探検に出た。だが、彼はまもなく消息を絶った。
彼が残した書簡には、その思想がはっきりと示されている。例えば、明治18年6月16日に父に宛てた書簡には次のように書かれている。
「乍併東洋の大勢は是より平和に相成る事には中々無之、仏は已に安南を横領し、英は又々朝鮮の巨文島を占奪し、露は頻りに支那朝鮮を窺ひ、独も亦同じく支那朝鮮に手を出さんと存居候由なれば、東洋の危急は日を逐ふて相迫り候。東洋の危急は支那朝鮮のみにあらず、我国の形勢は最も危急に相成居申候。…… 続きを読む 浦敬一の興亜 →
雑誌論文・記事
著者 |
タイトル |
雑誌名 |
巻・号 |
発行日 |
特集カラー “偽官軍事件”の残映 相楽総三と赤報隊の軌跡 (特集 幕末維新未解決事件の真相) |
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歴史読本 |
46(8) (通号 740) |
2001.08 |
北島 平一郎 |
朝韓中の抗日と大日本帝国の瓦解(6)駁逆の明治維新–相楽赤報隊誅略 |
大阪経済法科大学法学論集 |
通号 44 |
1999.07 |
亀掛川 博正 |
草莽諸隊の大問題–赤報隊はなぜ処刑されたのか? (シリーズ歴読専科-12-歴史を逆転する日本史の大問題) — (定説無し!日本史の難問・奇問・疑問–特集ワイドテーマ篇) |
歴史読本 |
44(8) (通号 709) |
1999.07 続きを読む 赤報隊関連文献 → |
「赤心をもって国恩に報いる」
赤報隊は、王政復古により官軍となった薩摩藩、長州藩を中心とする新政府の先鋒隊として、1868(慶応4)年1月8日に、近江国松尾山の金剛輪寺で結成された。隊長は相楽総三で、公家の綾小路俊実、滋野井公寿らを盟主として擁立された。隊の名前は、「赤心をもって国恩に報いる」から付けられた。
赤報隊は信州へ進み、旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。その際、新政府の許可を得た上で、「年貢半減」を宣伝していた。ところが、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにしていた。 続きを読む 赤報隊 →
『維新と興亜』編集長・坪内隆彦の「維新と興亜」実践へのノート