能勢岩吉『皇道政治早わかり』読書ノート

皇道精神の普及徹底を目指して中正会を結成した能勢岩吉は、昭和十二年に刊行された『皇道政治早わかり』において、皇道政治の特徴を次の三点に要約した。
一、忠誠 皇室を奉じて国家の発展を図ること
二、民意を愛し之に満足を与へる政治でなければならぬこと
三、国民相和し、協力一致して、国家国民の幸福を図ること

第一の特徴に関して、能勢は、皇道精神の中心となる思想は、忠孝であり、これを煎じつめれば、「中」の精神であると思うと書いている。彼は、「中」という文字が不偏不倚、過不足なく、公平無私の状態を表していると同時に、物の中心を表現していると説く。そして、これをさらに遡って考えると、『古事記』において、天地開闢の際に高天原に最初に出現した神が「天御中主命」であることに鑑みても、この天地の全てを造った働きが「中」であると思われると主張する。
「此の『中』こそ、此の世界に活動してゐる公平無私で、慈悲至らざる無き創造の大生命であると思ふのであります」(能勢岩吉『皇道政治早わかり』中正会、昭和十二年、十七頁)
こう述べた上で、能勢は、この「中」の作用をその御一身にお持ちになられるのは、天皇であると説き、天皇は天御中主命の御子孫であらせられ、そして大中至正、公平無私、深い慈悲の心をお持ちになっていると主張する。
つまり、皇道精神の中核である「中」の精神を体現されているのが天皇であり、したがって皇道精神を我々が実行するには、天皇に忠を尽くすことが第一義となってくるのだと。さらに、能勢は忠を尽くすということは、「中」の精神を心に持つことであると説き、「忠」という文字は「中」と「心」と書いてあると説明する。

次に第二の特徴に関して能勢は、「我が皇室の思召が、三千年の神代の時代から、昭和の今日に至る迄、終始一貫、民の心を愛し之に満足を与へる政治を行はなければならぬと云うにあった」と書いている(九頁)。
そのために、神代には国の大事を決する時には、常に沢山の神様たちをお集めになって、一々その意見を聴いて、それによって定められていたと伝えられる。能勢は、それは聖徳太子の十七条憲法の「大事は独り断ずべからず、衆と與に論ずべし」に、さらに明治維新の際の五カ条の御誓文の「広く会議を起し万機公論に決すへし」にも表れていると指摘し、次のように書いている。
「国民の意志が、国民の要望が、直ちに政治の上に現れるやうにしなければならないと云うのが、皇道政治の本領なのであります」(九、十頁)。
続けて能勢は、当時の政党が国民の要望を政治の上に現していないと批判し、従来の政党は一度解消し、皇道精神に対する深い認識を持った人たちによって新しい政党を樹立しなければならないと主張した。

最後に能勢は、皇道政治の第三の特徴は「大和」という国の名によって表現されていると指摘する。そして、「大和」とは大きく和するの意味であり、「国中の総ての人達が、和裏協同して国家の発展をはからなければならない」という意味であると説く。
当時の状況はやはり、この皇道政治の理想を裏切るものであった。能勢は、官僚と政党の対立、資本家と労働者の争い、地主と小作人の抗争を挙げ、大和の精神がどこにも見られないと嘆き、大和の精神に立ち返るべきだと説いた。

坪内隆彦