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岡倉天心の日本精神② 『日本の目覚め』

 東洋の宗教的価値を称揚した岡倉天心は、慈悲・寛容の精神とともに調和の精神を重視した。そんな天心は、神道・日本精神についてどう語っていたのか。『日本の目覚め』の中の神道・日本精神を紹介しておきたい。(翻訳は齋藤美洲訳/『明治文学全集38 岡倉天心集』筑摩書房による)。

「歴史的知識の獲得の結果は、神道の復活となって現われた。この古代宗教はうちつづく大陸からの影響をこうむって、本來の性格をほとんど失っていた。九世紀のころは、密教の一分派となって、もっぱら神祕的な象徴主義にふけっていたが、十五世紀以後はまったく新儒學にそまって、道教的宇宙觀を受けていれていた。ところが古代學の復興とともに、神道はようやくこれら外來の要素から脱卻しはじめたのである。十九世紀にいたって裝いを新たにした神道は、一種の祖先崇拜教であり、それは八百萬の神々の御代から傳わり傳わった國粹の尊崇であった。この新しい神道は、日本民族古來の理想たる單純率直の精神を守ることを教え、萬世一系の天皇の親政に服し、いまだかつて外敵の足跡をとどめぬ神國日本に身を捧げることを教える」 98頁
「…尊攘派は、その理想を佐幕派よりははるかにさかのぼった歴史的時點においていた。彼らは封建時代の前に存在していたところの帝政官僚機構の復興を望んでいたのである。彼らは幕府はおろか諸大名までも全廢することを意圖していただけに、その綱領は過激であるばかりでなく革命的であった。尊攘派を構成していた者は、まず傳統的に皇室とつながる公卿であり、つぎに浪人、そして神道家であった。この最後のグループは、天照大神の御子孫に對する宗教的な信念によって、その熱意がひときわ強烈であった」 108頁
「王政復古はまた革新でもあった。アジアの離れ小島からいち一躍世界のひのき舞臺におどり出た日本人は、進歩のためには西洋の與えるものを吸收すると同時に東洋古來の理想に魂をふきこむことが必要であった。革新の理念は一八六八年の天皇宣言[五箇條誓文]にこれを明白に讀みとることができる。この中で、即位されたばかりの今上陛下は、國民の務めは天地の公道という廣い見地より考うべきことを宣せられた」 111頁
「歴史の光がさして以來、日本人の愛國心と帝に對する忠誠心は、一貫せる古來の理想を顯示するものであり、また日本人が古代中國・印度の藝術、風習を、その發祥地では亡びているにもかかわらず、つねに保持してきた事實は、われらの傳統尊重心を證して餘りあるものであろう」 115頁
「日本人はくり返し寄せてくる外來思潮に洗われながら、つねに自己に忠實でありえた。この民族的資質があったればこそ、最近の西歐思潮の大襲來に遭っても、われわれは自己の本性を見失わずにすんだのである。太古より中印の文明は朝鮮をへて、近接する日本におしよせてきた。唐代には汎神論、萬有調和論がわが國に氾濫し、宋代には新しい浪漫主義、個人主義が運ばれてきた。小乘教の二元論から菩薩逹磨の超一元論にいたるまで、印度はわが國に豐冨な宗教、哲學を與えた。これら各流の思想はたがいに異なり矛盾するものであっても、わが國はすべてを受けいれて、自己の要求にかなうものはなんでも吸收同化し、それを日本の精神遺産として後代に傳えた。その中心にある日本古來の理想の爐は、つねに愼重な選擇によって守られる一方、國民生活の廣大な畠は、相次ぐ洪水のもたらす肥沃な堆積によって地味いよいよ肥えて、生生たる緑に萠えたのである。かくして雜多なアジア文化の要素を總合することに拂った思慮は、日本の哲學、藝術に對して、中印にはみられぬような自由と活氣とを付與する結果となった」 115頁
「殘念ながら、頼むにたる友は、いまなお剣である。西歐がみせるこの奇怪なる組み合わせ─病院と魚雷、宣教師と帝國主義、膨大なる軍備と平和の確保─これらはいったい何を意味するのか。こんな自己撞着は古來の東洋にはなかった。日本の王政復古の理想はこんなものではなかった」 121頁
坪内隆彦