佐藤清勝は、『世界に比類なき天皇政治』第二編「日本の天皇政治」第一章「天皇政治の原理」において、次のように書いている。
「…日本国家と欧米国家とは、その外形を同ふするもその本質を異にして居る。我等の国家は父子兄弟子孫の派生的国家であるに対し、彼等の国家は旅人の団体の如き、寄合的国家である。我等の国家は一家族の拡大したる国家であるに対し、彼等の国家は各種異民族の四方より集り来たる国家である。我等の国家は完全一体であるに対し、彼等の国家は混合雑駁体である。斯の如く国家をなす成員の性質を異にし、国家の本質を異にするが故に、我等の国家観念と彼等の国家観念とは異ならざるを得ぬ。我等の国家観念は相親相愛であり、和合輯睦であるに対し、彼等の国家観念は抑圧強制であり、権力統制である。我等の国家観念は人情的であり、道徳的であるに対し、彼等の国家観念は理智的であり、強力的である。斯の如く、国家観念を異にするが故に、我等の政治思想と彼等の政治思想とは異ならざるを得ぬ。我等の政治思想は愛人撫民であるに対し、彼等の政治思想は命令服従である。我等の政治思想は道徳的であるに対し、彼等の政治思想は権力的である」(九十七頁)
坪内隆彦 のすべての投稿
佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート⑤
佐藤清勝は、④「民主政治説に対する批判」を次のように展開する。
民主政治の根本思想は、個人の自然権説に出発する、この説は個人の自由平等を主張し、個人人格の尊厳を高調する思想である。この思想を根底として、これに社会契約説を付加し、国家を個人の集合体と考える。自己の天賦の権力を有する個人が契約によって国家を構成するのだから、人民は国家の主権者であり、人民の総意は国家の意志であり、したがってこの総意は多数によって決定されるべきであるとする。こうして、代議政治、民主政治が行われる。
また、民主政治は、人民が立法し行政する政治である。立法のために多数による決定を行うが、多数は善悪を意味せず、力を意味する。善であっても、少数であれば実施されず、悪であっても多数であれば実施される。このため、多数決政治は必然的に力の政治となる。つまり、民主政治の根本思想は個人主義であり、また強力主義の思想である。国家主義の思想であり、道徳主義であるわが国の政治思想とは、西洋の民主政治は相容れない(二十二~二十五頁)。 続きを読む 佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート⑤
佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート④
佐藤清勝は、君主政治、民主政治、共産政治のいずれの根本思想も、個人主義であり、強力主義だと批判した。彼はまず、③「君主政治説に対する批判」として、西洋政治思想においては、権力の起源を、神学的に解釈したり、自然科学的に解釈したり、あるいは法理的に解釈したりと、様々な変遷があったが、いずれにせよ政治を君主の権力行使の作用であると見てきたことには変わりがないと指摘し、次のように説明する。
西洋思想においては、君主の権力は最高であり、無制限であり、絶対であると主張した。このような思想は、市民や農民を眼中に置かず、君主の個人的権力だけを強唱するものであって、例えばルイ一四世などは「朕は国家なり」と主張するに至った。つまり、欧州の君主政治の根本思想は権力主義であり、君主の個人主義である。 続きを読む 佐藤清勝『世界に比類なき天皇政治』(昭和十八年六月)読書ノート④
「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日
二〇一二年、世界は「大量破壊兵器」爆発の危機に直面するかもしれない。
ここで言う「大量破壊兵器」とは核兵器ではなく、金融分野の兵器「CDS」(クレジット・デフォルト・スワップ)のことだ。CDSとは、企業などが倒産し、借金が棒引きになるリスクに対する保証・保険を金融商品化したもの。リスクヘッジのための金融商品だが、一度CDSを売った会社が破綻すると、ドミノ倒し的に破綻の連鎖が始まり、その被害は一気に拡大する。だから、投資家のウォーレン・バフェットは、CDSを「金融版の大量破壊兵器」と呼んだのだ。
実際、二〇〇八年にアメリカ保険最大手AIGが救済されたのは、CDSの爆発を回避するためだったとも言われている。アメリカの金融機関はCDSを引き受けているために、深刻化するユーロ圏の危機がアメリカへ波及する可能性がある指摘されているのである。 続きを読む 「投機資本主義の終焉に備えよ」『青年運動』第965・966合併号、平成24年1月15日
「日本海側からの興亜思想 明日のアジア望見 第82回」『月刊マレーシア』509号、2010年5月16日
北海道大学教授の松浦正孝氏による千頁を超える大著『「大東亜戦争」はなぜ起きたのか』(名古屋大学出版会)は、戦後の日本企業による海外での大規模な開発プロジェクトは、海外進出型のアジア主義の姿を変えた再現であるとし、戦後、東南アジア開発基金構想を唱えた中谷武世らや、土木事業コンサルタント会社日本工営を設立し、アジア各国の水力発電所建設を手掛けた久保田豊らを具体的事例として挙げている。
一方、松浦氏は内需拡大型の公共事業にもアジア主義の継承を見出し、農村への工場誘致を含む田中角栄の大規模な国内公共土木工事は、歴史的に見れば石原莞爾の発想を引き継いだものだと指摘した(同書、八百五十四頁)。
民族協和の理想に基づいた東亜連盟を目指した石原莞爾は、「都市解体、農工一体、簡素生活」の三原則により、人類次代文化に先駆する新建設を断行すべきだと強調していた。 続きを読む 「日本海側からの興亜思想 明日のアジア望見 第82回」『月刊マレーシア』509号、2010年5月16日
「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日
十二年前に起こったことが再び繰り返されようとしている。
当時、マレーシアをはじめとするASEAN諸国は、「ASEAN+3(日中韓)」の枠組みの会議開催に意欲を見せていたが、日本政府は、日本が参加の意志を見せなければ、この構想は実現しないと高をくくっていた。ところが、ASEAN側は、日本が不参加ならば、中国、韓国だけで「ASEAN+2」会談を開催するとの意志を固めたのである。マハティール首相のEAEC(東アジア経済会議)構想を支持する言論活動を続けてきた古川栄一は、次のように書き残している。
「日本はEAECに参加しないから、EAECは自然死すると豪語した。アセアン側は、そこで日本抜きで、しかも中国(および韓国)の参加のみでEAECの首脳会議を開催することにした。そうして日本の池田外相は、跳び上がるようにして驚いて、日本は首脳会議に参加した」(古川栄一「アジアの平和をどう築きあげるか」(歴史教育者協議会編『歴史教育・社会科教育年報〈平成十三年版〉二一世紀の課題と歴史教育』三省堂、平成十三年)二十四頁)。 続きを読む 「八紘為宇の使命は、我が国の天職である 明日のアジア望見 第80回」『月刊マレーシア』506号、2009年11月30日
「対米自立のために自主防衛体制を確立せよ 明日のアジア望見 第78回」『月刊マレーシア』504号、2009年7月10日
北朝鮮がミサイルを発射した翌日の五月二十七日、アメリカの政治評論家チャールズ・クラウトハマー氏は、フォックス・ニュースに出演し、北朝鮮の核開発阻止のための交渉というゲームはすでに終わったと指摘した上で、いま北朝鮮に対して取るべき行動は、日本が核武装国家として宣言するよう勧めることだと語った。彼は二〇〇三年一月にも、『ワシントン・ポスト』紙で、中国に北朝鮮の核開発を阻止させるためには、「ジャパン・カード」(日本の核武装)を切るしかないと主張、二〇〇六年十月にも、ブッシュ政権が日本の核武装を支持するよう訴えていた。ブッシュ大統領のスピーチ・ライターを務めたデビッド・フラム氏もまた、二〇〇六年十月にブッシュ政権に対して、日本に核拡散防止条約(NPT)の破棄と核抑止力の構築を奨励すべきだと書いた。 続きを読む 「対米自立のために自主防衛体制を確立せよ 明日のアジア望見 第78回」『月刊マレーシア』504号、2009年7月10日
「ナジブ新首相とマハティール路線 明日のアジア望見 第77回」『月刊マレーシア』503号、2009年4月30日
二〇〇三年一〇月にマハティール首相が引退してから、まもなく六年が経とうとしている。
この間、マハティール元首相は、自らが後継者に指名したアブドラ首相に対する不満を強めていた。それは、アジアの復権と団結、西洋近代とは異なる独自の発展モデルの追求、自主独立外交の貫徹というテーマについてのアブドラ政権の立場が鮮明ではないと感じていたからだと筆者は見ている。
昨年三月の下院選挙で、与党連合・国民戦線(BN)が大幅に議席を減らすと、マハティール元首相は、アブドラ首相辞任を迫るようになった。昨年五月一九日には、与党統一マレー国民組織(UMNO)を離党し、アブドラ首相が辞任しなければ復党しないと表明するに至った。当初、アブドラ首相は二〇一〇年半ばの政権委譲計画を明らかにしたが、マハティール元首相らの早期辞任論に押され、今年三月に党総裁を辞めると表明、三月の党役員選挙でナジブ・ラザク(Najib Razak)副総裁が総裁に選出された。 続きを読む 「ナジブ新首相とマハティール路線 明日のアジア望見 第77回」『月刊マレーシア』503号、2009年4月30日
「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日
外交において、共通の価値観という言葉が頻繁に語られるようになっている。そこで語られる価値観とは、多くの場合、西洋近代思想に支えられた人権や民主主義という価値観である。
それは、前政権で持て囃された「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」に象徴的に示されていた。二〇〇六年一一月三〇日、麻生太郎外相(当時)は日本国際問題研究所セミナーでの講演で次のように語っている。
「第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう『普遍的価値』を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが『価値の外交』であります。第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、『自由と繁栄の弧』を作りたい、作らねばならぬと思っております」、「我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる『自由と繁栄の弧』において、まさしく終わりのないマラソンを走り始めた民主主義各国の、伴走ランナーを務めてまいります」 続きを読む 「国体思想に基づいた普遍的価値 明日のアジア望見 第75回」『月刊マレーシア』499号、2008年7月31日
「アジア共生の拠点・九州 明日のアジア望見 第67回」『月刊マレーシア』487号、2006年8月30日
中国の覇権への警戒論や日米関係への影響といったファクターが優先されがちな外交論においては、日本と東アジアの緊密化に水を差すような議論が少なくない。しかし、東京発の外交論とは別次元で、経済だけでなく文化面における日本と東アジアの緊密化が着々と進行している。その拠点こそ、福岡県をはじめとする九州である。
糸島半島と海ノ中道の両腕で囲まれた、天然の良港として知られる博多津は、古くから大陸との交流の窓口として機能していた。博多津沖の志賀島からは、一世紀頃、光武帝から奴国王へ贈られた金印が発見されている。
その後も、九州は大和朝廷による統一まで、独自性を維持していた。継体二一(五二七)年には、筑紫君磐井が大和朝廷が準備していた朝鮮遠征軍の派遣を妨害し、戦いを挑んでいる。『日本書紀』は、反乱の理由を新羅が磐井に賄賂を送り、派兵の妨害を要請したためとしているが、立命館大学名誉教授の山尾幸久氏は、乱の背景に「九州独立王国」への志向を読み取る。 続きを読む 「アジア共生の拠点・九州 明日のアジア望見 第67回」『月刊マレーシア』487号、2006年8月30日