一方、河野省三は昭和十二年に著した『近世の国体論』において、素行を以下のように高く評価している。 「素行の日本的自覚の過程は其の著『配所残筆』や『謫居随筆』によつて興味深く叙述されてある、其の国家的自覚の源泉は、主として国史研究の態度と精神とに在つたと思はれる」「素行が中朝といひ中華と称するのは、即ち皇国日本のことであつて、元禄前後に於ける支那崇拝の学者たちが、盲目的に漢土を貴んで中華乃至中朝と呼んだ暗昧の態度を尻目にかけたもので、闇斎門下の浅見絅斎が特に『中国弁』一篇を草して我が国性の尊厳を高唱したことも亦、此の精神である」(『近世の国体論』九~十一頁)