大井一哲は『建国由来と皇道政治』で「天皇親政時代の皇道政治」の一章を割いて、一君万民、君民一如の皇道政治の実態を紹介している。
まず、歴代天皇が最も御心にかけられたことが下層無告の窮民であったことが、「人民の膏血を絞り私服を肥やす貪官汚吏を痛く悪ませられ、常に之を戒められたことによりて明かである」とする。
そして、歴代天皇の詔勅を挙げ、それらが官紀を振粛して、貪官汚吏を戒め、あるいは下情の壅塞を開き、民意の上達を求め、それによって民を本とする政治を行おうとする大御心から出たものだと指摘する。
ここで大井は、臣、連、伴造、国造の諸官を戒めた第三十六代・孝徳天皇の詔(大化元年九月)、国司郡司を戒めた第四十三代・元明天皇の詔(和銅五年五月)、さらに桓武天皇、清和天皇の詔を実例として提示する。
続けて大井は、歴代天皇が飢饉、災害、疫病などが起きた際に、租税を免じたり、医薬品を提供したりしただけでなく、宮殿山陵の造営を見合せて、国民を救済をしようとされた大御心は、「真に赤子に対する慈母そのもの」であったと書いている。ここで大井が挙げたのは、第四十二代・文武天皇の詔(慶雲二年正月)、第四十五代・聖武天皇の詔(神亀三年)、第四十七代・淳仁天皇の詔(天平宝字七年八月)などである。
さらに大井は、歴代天皇が罪を憎んで人を憎まず、かえって罪を犯す者の愚蒙を憐れみ、さらに国民が罪を犯すのは天皇の御徳の至らざるがためだとし、ご自身を責められた御仁徳に注目した。
この歴代天皇の御仁徳が示されているのが、奈良朝初期から平安朝中期に至る三百七十余年の間に、百七十五回にわたって行われた大赦、特赦に他ならない。