皇道政治の理想を信ずる大井一哲は、欧米の政治形態の限界を正面から衝いた。
大井はそれを、欧米各国の立国の由来にまで遡って分析している。
欧米各国においては、強者の侵略と弱者の屈服、強者の暴圧と弱者の服従、強者の誅求と弱者の苦悩――とが相互に対峙していると指摘し、その結果として、強者は元首となり、弱者はその奴隷となり、治者・彼治者の関係を生じ、国家を形成するに至ったと見るのである。つまり、欧米各国においては、その運命は「強弱の均衡」に依存しているわけであり、一旦その均衡が破れれば、闘争、反乱を引き起こし、強者と弱者の立場が逆転する革命にまで至る。
つまり、「強弱の勢のみあつて、是非の念乏しく、利害の思想のみあつて、正義の観念なき」欧米では、君主制から民主制へ移行していく以外に選択肢はないと説いた。だが、民主主義もまた完全ではない。戦前にはファシズム、ナチズムが台頭した。大井はこうした状況に加え、王道の理想を追求した中国では易世革命が頻繁に行われた事実を指摘した上で、以下のように結論づける。
「……縦ひそれが君主制であるにせよ、又民主制であるにせよ、個人主義、利己主義、自由平等主義を以て国家観念とする国々には、絶えず政治形態の変更か行はれること、しかして政治形態に幾回変更が行はれても、多数国民の幸福は望みがたく、却つて苦痛と災難を加ふることと、その終局は行詰りであつて、行詰りの結果は又も革命騒ぎであり、或は外国との戦乱であることを物語るものでなくて何である。
我等はこゝにおいて、熟ら反省顧慮せねばならぬ。世界のすべての国々が、或は内乱により、或は外冦により、或者は衰へ、或者は盛んに、或者は興り、或者は亡び、王朝屡々亡び、王統屡々代つてゐるのとは、全く趣を異にして、我国のみは皇統連綿三千年の久しきに及びその間内乱なく、外冦なく、縦ひ之れあるも忽ち平静に復し、国民未だ嘗て国難国乱の苦しみを受けたことのないのは何故であるか、それは天地自然の大道たる神ながらの道の行はれ来つたが故である。即ち皇道政治の国であるが為めである。大なる哉皇道政治や、皇道政治は単なる政治形態上の理想でなく、人道的現実である」(23~35頁)