戦前、皇道政治を称揚した大井一哲は『建国由来と皇道政治』において、肇国の精神からわが国の皇道政治の本質を説明しようと試みた。
大井は、わが国の天皇中心政治、一君万民の政治は天地自然の大道そのものであると強調した。
ここでいう天地自然の大道とは、「宇宙創造の太古より、幾千億年の未来を一貫して、不動、不易、不損、不磨の大法則」であり、また「大自然の本体」である。
そして大井は、この大法則により万物相互の関係が秩序正しく行われ、生成化育の功が挙がり、真理と道義の根底がここに生ずると説いた。
さて、大井は皇道こそ天地自然の大道をそのまま権化し、体現したものだと説くために、天照大神が瓊瓊杵尊に勅した命令「天壌無窮の神勅」に注目する。
豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就て治すへし、行けよ、宝祚の隆へまさんこと、当に天壌と共に窮りなかるへし。
大井はこの神勅が、天地の大法則がわが国の統治の道を示したものにほかならないと主張する(11―15頁)。