非同盟運動とは?

非同盟運動(Non-aligned Movement)とは、非同盟諸国会議に参加する国を中心とする運動のことである。
1961年9月にユーゴスラビアのベオグラードで開催された会議(⇒スカルノの写真)を起点とする非同盟諸国会議は、反覇権主義、民族自決を掲げる諸国家の会議として継続してきた。

 運動の原型は1950年代、東西冷戦の激化を受け、インドのネルーらがいずれの陣営にも属さない「中立主義」と反植民地主義を掲げて、勢力を結集した動きにある。
ベオグラード会議では、国際緊張緩和・民族解放闘争支持・植民地主義打破が高らかに宣言された。その後、基本原則を堅持しつつも、国際環境の変化に応じてその主張の力点を変化させてきた。非同盟研究の第一人者である故・岡倉古志郎氏は、非同盟運動の原則・目的を次のように整理している。

  • 民族自決権の確立
  • 民族解放運動の無条件支持
  • 帝国主義、新旧植民地主義、人種差別、覇権主義反対
  • 諸国家の対等、平等。大国の干渉、介入反対。武力の行使や威嚇による圧迫反対。
  • 大国主導下の軍事ブロックに反対しその解体を要求する。軍事同盟にもとづく外国軍および軍事基地の撤退、撤去。
  • 国際緊張の緩和、平和共存、全面・完全軍縮。
  • 以上の諸目的の達成に役立つ国連の強化。
  • 国際政治、経済、情報、文化システムの民主的改編による新国際秩序の樹立

『非同盟研究序説』

冷戦終結によって、「非同盟運動の存在意義はなくなった」との主張が展開されたが、反核運動をはじめとする国際平和のための運動、大国の干渉に反対し民族自決権を擁護する運動、途上国の健全は発展のための運動など、非同盟運動が主導する運動の意義はいささかも減少してはいない。むしろ、グローバル・スタンダードの美名のもとにアメリカなどが自国の価値観を世界に強要し、そのひずみが様々な領域で出はじめている今日、アジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの伝統的価値観に根差した主張は、健全な国際秩序形成に欠かせない。同時に、先進国が環境や人権問題を通商問題と絡めて途上国の競争力を削ごうという動きが強まる中で、途上国・中進国の連帯のフレームワークが重要になってきている。つまり、こうした要請にこたえうる非同盟運動の価値はますます大きくなってきている。
近年の首脳会議を振り返っても、「南北対話」と「経済協力」を打ち出した1992年のインドネシア・ジャカルタ会議、途上国の経済・社会の発展を重視した1995年のコロンビア・カルタヘナ会議など、国際社会における重要な役割を果たしてきている。
冷戦期には、西側陣営に対抗するソ連の影響が運動に浸透し、内部対立が激しくなったこともあるが、冷戦終結とともにイデオロギーによる内部の路線対立は鎮静化している。

非同盟諸国首脳会議の開催地

第1回(1961年9月) ベオグラード(ユーゴスラビア)
第2回(1964年10月) カイロ(エジプト)
第3回(1970年9月) ルサカ(ザンビア)
第4回(1973年9月) アルジェ(アルジェリア)
第5回(1976年8月) コロンボ(スリランカ)
第6回(1979年9月) ハバナ(キューバ)
第7回(1983年3月) ニューデリー(インド)
第8回(1986年9月) ハラレ(ジンバブエ)
第9回(1989年9月) ベオグラード(ユーゴスラビア)
第10回(1992年9月) ジャカルタ(インドネシア)
第11回(1995年10月) カルタヘナ(コロンビア)
第12回(1998年9月) ダーバン(南アフリカ)
第13回(2003年2月) クアラルンプール(マレーシア) 文書
第14回(2006年9月) ハバナ(キューバ) 文書
第15回(2009年7月) シャルム・エル・シェイク(エジプト) 文書
第16回(2012年8月) テヘラン(イラン) 文書
第17回(2016年9月) ポルラマル(ベネズエラ) 文書


坪内隆彦