伊福部は、権藤成卿の君民共治論について、次のように書いている。
〈彼は君民共治の主張者である。君民共治より他にわが国のあるべき政体はないといふのが彼の絶叫してゐるところである。(中略)これこそが日本の國體であり、しかも誇るべき國體であるといふのが、彼のいつわらざる心情である〉
そして伊福部は、権藤の『君民共治論』の大要を次のように整理する。
〈抑もわが建国の際に於ける神武天皇の鳥見山の御誓誥をはじめとし、崇神天皇の天社国社の御分祀、成務天皇の自治の御立制、雄略天皇の御遺詔、大化改新の御詔勅、更に近くは慶応四年八月に於ける明治天皇即位の大礼の際の御宣命等の中に、これを見出すのであつて、それは常に。これこそほが國體であるとして、畏れ多くも天皇御自ら常に仰せられてゐるといふのである。(中略)従つて彼は、この学術的思想的立場より、フアツシズムの如き独制主義を排撃するのみではない。今日の官治主義そのものをも否定するものである〉
伊福部は、このように権藤成卿の『君民共治論』をとらえた上で、「治める」とは何かという本質的問題を問い直し、権藤の考え方を説明する。
〈今日政治とは、普通支配することであり、搾取することであると考へてゐる。殊にマルキシズムの流行以来、斯くの如き考へ方は一般的に瀰漫してゐる。
しかし政治を斯くの如く考へることは甚だ間違つてゐる。すくなくとも権藤思想に於ける政治とは、凡そ斯くの如きものではない。
政治とは如何なるものであらうか。彼はいふ。政治とは社稷を偏頗なく守ることであると。
では社稷とは何であらう。これを簡単に云へば、社とは土であり、稷とは食べ物である。土と食物、これは国民衣食住の大源である。又国民道徳の大源である。更に国民漸化の大源である。国家建立の大源である。基礎である。
従つてこの社稷に対しては、如何なるものもこれを私することは出来ない。これを誰人も私せず、公のものとして、すべての人々に享受せしめる、この仕事こそが政治である。
神武天皇の御東征の精神、天智天皇の蘇我氏誅伐の御精神など、この社稷を私せんとするものへの懲罰であることを考ふる時、わが国政治の本質の如何なるものであるかゞ明瞭になるであらう。
しかして斯くの如き政治を見て来る時、それが政治である限り、君民共治以外にあるべからざることが明らかであらう。蓋し、この社稷はわが皇家の自ら任務とされたところであると云へ、しかもそれに安んじて無関心になることなく、国民自らが自らを戒飭して聖旨にもとらぬやうに努むべきことは、正しき国民の義務であらうではないか〉