フィリピンの大亜細亜主義者ピオ・デュラン博士の『中立の笑劇:フィリッピンと東亜』(堀真琴訳編、白揚社、昭和17年)「第五章 比律賓独立と亜細亜モンロー主義」を紹介。
ピオ・デュラン博士は、日本が日清戦争、日露戦争を戦わねばならなかった理由を明快に説明する。さらに博士は、東洋で日本勢力が失われていたら、アフリカにおける西洋人の植民地的搾取をアジアで繰り返させることになったと喝破する。
〈勿論、この考に反対する人々は、日本は攻撃的にして野心的な軍事国にして、太平洋及び亜細亜大陸の他地域を獲得する為に、かかる教義を利用するかも知れないとする。かかる人々は、日本が領土的野心を有する雄弁なる例証として台湾及び朝鮮の場合を挙げる。
事実の皮相的なる知識しか有しない人々には、明らかに正当だとされてゐるが、事実に基礎を置かないやうな飛躍した結論を得る前に、日本が朝鮮、台湾を獲得するに至つた根本原因を研究しなければならない。十九世紀の終りに、露西亜の爪牙は満州を超えて朝鮮まで伸びてゐた。朝鮮は、支那の宗主権の下に在つた独立王国ではあつたが、露西亜の謀略と行政的侵害の波を防止するには無力だつた。支那としても、露西亜の前進を阻むべき手段を有しなかつた。ベーシル・マットシウは「東亜に於ける世界の波」と題する近著に於て、
「しかし、地図を一瞥すれば明らかなやうに、太平洋に港を求めんとする野心的な西洋の一強国の手に朝鮮が入れば、それは日本の心臓に擬せられたる短刀のやうなものである。そこで日本は、一八九四─一八九五年に支那を憎むが為といはんよりも、露西亜が朝鮮を支配するのを防がんが為に支那と戦つた」
ハロルド・エム・ヴィナック氏はその著「近代東亜史」に於て、露西亜の朝鮮支配に対する日本の恐怖を次のやうに述べてゐる。
「露西亜の太平洋に於ける拡張により日本と接触するに至つたので、日本政府は朝鮮の如く、自国に近い所に露西亜が勢力を得ることの危険に覚める結果となつた。一八八四年に露西亜は朝鮮軍の改革を企てて、同国に対する関心の程を現した。ラザレフ港の使用を要求したことは、その目的を示すものである。かくて露西亜の機先を制するが為には、日本が同半島に自己を確立することが必要であつた。」
故に、日本がその戦争の結果、台湾を獲た日清戦争は、日本帝国にとつては生死の問題であつたのだ。
十年後に日本は再び満州に於て、同地を広大なツァー支配地の附属物に変へつつあつた露西亜の前進を阻まねばならなかつた。日露戦争に於ては、二万の日本人の生命が満州の野に失はれ、本戦争遂行の為に、十億円の国帑が費された。故に満州は日本人の心には、特別な場所となつて居る。夏の青々とした谿谷、冬の雲に覆はれた山、曲りくねつた流は、止まる所を知らざる西洋帝国主義の東漸を止める為に、日本国民が已むを得ず払はねばならなかつた、恐るべき血と生命の犠柱の無言の証明者なのだ。今日に於てもなほ私は、本戦争に若しも露西亜が勝つてゐたならば、東洋は如何になつてゐただらうか、と考へてみる時、恐しくなつて身震ひするのである。私は、露西亜がすでに足場を得てゐた満州の北三州を併合した場合を考へると恐ろしくなる。それは、東洋に於ける力の均衡を破り、他の欧州諸国をして、最近計画した支那に於ける勢力範囲を各帝国の重要部分に変へる運動を起させるに至つたのであらうからだ。この際には、門戸開放政策と雖も、支那分割を防ぐことは出来なかつたであらう。何となれば、その巨大なる富と多数の市民の生命を犠牲として得た地域を、露西亜は手放すやうなことはしなかつたであらうから。また朝鮮が露西亜の附属地となつた場合を考へると恐しくなる。それは、日本の東洋に於ける権威を無くし、南方の暹羅のみが東洋に於ける唯一の独立国となることを意味するからである。また最後に東洋の分割と東洋に於ける日本勢力の喪失を考へる時は震へて来る。それは、阿弗利加に於ける西洋人の植民地的搾取を、亜細亜に於て繰返さしむるに至つたであらうからだ。吾々は将来に於ける、比律賓共和国の基礎法起案を定めたる立憲議会等は現在有せずして、洞窟と居酒屋にて秘かに、生命の危険をさへ感じて、国家独立の希望とその実現の光輝ある夢とを小声で囁いたであらう。かく観じ来れば、一九〇五年に於ける日本軍の勝利は全東亜の勝利であり、比律賓人及び全東亜人は日本に感謝を為すべき義務がある〉(157頁6行~161頁3行)。