ジャワの伝統舞踊は、マタラム王国の宮廷舞踊と密接に関わっている。王の即位記念日にしか見ることのできない秘儀として伝えられたブドヨ・クタワン(Bedoyo Ketawang)の神秘性は、「ニャイ・ロロ・キドゥル」の伝説と深く結びついている。
「ニャイ・ロロ・キドゥル」は、物質的富よりも精神的価値を追求して宮殿から追放された中部ジャワの王女デウィ・ラトナ・スウィディが、南海を護る女神となったもので、マタラム王国の初代の王、スノパティ(Senopati)王は、彼女から国家の危機を救う神秘的な力をもたらす舞踊として、ブドヨ・クタワンを伝授されたという。
ブドヨ・クタワンは、大編成のガムランをバックに、花嫁姿の9人の踊り手による神秘的な舞踊である。
王は踊り手の中央に座り、女神と交感したという。そして、女神の化身でもある9人の娘の中から側室を選んだ。戦前までは、この踊りの踊り子は幼時から王宮に隔離して育てられたともいう(『日本経済新聞』1992年7月6日付夕刊)。
17世紀前半に王権を確立したマタラム国は、18世紀にジョグジャカルタとスラカルタの2王国に分裂した。だが、分裂後も双方の王家ともに、南海の女王との結びつきを王権の正当性の根拠としてきた。
スラカルタのカスナナン王宮(Kraton Kasunanan)の八角形の塔は、1782年に建てられて以来、年に一度、歴代の王が南海の女王と面会したと伝えられている。
ジョグジャカルタにあるタマン・サリ(Taman Sari=水の王宮)は、南海の底にある宮殿と地下で結ばれていたと信じられている。
一方、「王の夢」を意味するスリンピ(Srimpi)は、4人の女性による、非常にゆっくりした、のびやかな踊りである。また、ジャワには人間が人形を模して動くワヤン・オラン(Wayang Orang)など、多様な伝統舞踊が伝えられている。
1995年10月には、東京で「ソロ・スロカルト王家のガムランと舞踊―クラトンの夢と伝説」(ニッセイ文化振興財団、朝日新聞社主催)が公演されている。