田辺宗英『宗教政治の提唱』(窓光社、昭和十二年)読書ノート

 皇道経済論を唱えた田辺宗英は、皇道政治論についても独自の考え方を発表していた。その一つが、昭和十二年に刊行された『宗教政治の提唱』である。同書「序」で、彼は次のように宣言する。
「この愛する日本を、覇業者や野望者の国のやうに、一時的の権勢栄華を貪つて、忽ちにして滅亡するやうな、相対有限の個人主義、利己主義の政治経済の上に置くことを、断じて肯んずることは出来ないのである。
故に吾々は、個人の生活を神の永遠の生命の上に置き、一国の政治を神の宝祚無窮の巌の上に置かんことを要望して、茲に宗教政治を提唱する」
田辺は、皇道政治の本質を「宗教政治」、「神聖政治」、「随神の政治」ととらえ、独自の表現で持論を展開した。まず彼は、政治の全てが神意に随はねばならないと説いた。政治は、神意の正しきが如くに正しく、神意の博大なる如くに博大に、神意の公明なるが如くに公明に、神意の仁愛なるが如くに行はれねばならないと(百十五頁)。
同書が刊行された昭和十二年当時の状況について、彼は覇業の政治、野望の政治、個人主義、利己主義の政治といった、教えに背いた政治が行われていると批判した。覇業政治の本質とは、私利我慾を根本とし、権勢利達を目的とする政治である。田辺はそうした政治の様相を次のように痛烈に批判した。
「日本の政界より、断然駆逐すべきものは、権謀術数の徒である。真の政治に権謀の必要がどこにある。之れ覇者の手段であり、野心家の用具である。戦国時代の遺風である。正しき政治になんの権謀の必要があらう。術数と金力と詐謀とが横行する日本の政界は、実に悲しむべき政界である。政権を握らねば、政策を行ふ事が出来ないといふ人がある。なんといふ情なき政治であらう。これ名を政策の実行に籍りて、政権の獲得を目的とするものである。政治は一も政策二も政策である。若し正しき政策を持して、それで政局に当り得ざる者ありとするならば、それは国家の制度組織に欠陥があるのである」(八十頁)
彼は、堕落の原因は「政教の分離」であると説き(九十頁)、祭政一致の精神に立ち返れと主張、明治元年三月十二日の太政官布告を引いた。

此度王政復古、神武創業ノ始ニ基カセラレ、諸事御一新、祭政一致之御制度ニ御恢復遊サレ候ニ付テハ、先ツ第一ニ神祇官御再興御造立ノ上(後略)」

さらに、明治三年一月三日に下された大教宣布の詔を示した。

朕恭シク惟ルニ、天神天祖極ヲ立テ統ヲ垂レ列皇相承ケ之レヲ継キ之レヲ述ヘ祭政一致億兆心ヲ同クシ治教上ニ明カニシテ風俗下ニ美シ。而シテ中世以降時ニ汚隆アリ道ニ顕晦アリ治教ノ洽カラサンコト久シ。今ヤ天運循環百度維レ新ナリ宜ク治教ヲ明ラカニシ以テ惟神ノ道ヲ宣揚スヘシ。因テ宣教使ヲ命シ以テ教ヲ天下ニ布カシム。汝群臣衆庶其レ斯ノ旨ヲ体セヨ。

田辺は、以上の御詔勅を日本の政治家、資本家、為政者はいかに拝読するだろうかと問いかけている(九十三頁)。
では、祭政一致によって実現する理想の政治とはいかなるものか。それは、同書に掲げられた「神政主義宣言」によく示されている。
「神愛の政治とは、神愛の本質が示す如く、個人の我慾を拒否して全体に奉仕を命ずる政治である。無駄と争奪とを排して、統一と和合とを要求する政治である。自我の為に生きることを許さずして、全体と共に生きることを要求する政治である。即ち国民の放縦と我慾と私心とを超克するところの、奉仕主義・和合主義・全体主義・博愛主義の政治経済であらねばならない。
これが道義精神の政治であり、宗教理想の政治である。日本に於ける歴代詔勅の政治であり、天皇政治である」(三、四頁)

坪内隆彦