藤原岩市は、『留魂録』(振学出版、1986年)で、次のように書いている。 「日露戦争の直前、明治の大先覚者岡倉天心は東洋の真実を究めんとしてインドに渡っている。マドラスでヴィベカナンダという聖者に遇い、彼に導かれて、ノーベル賞の詩聖タゴール(アジアで最初の受賞者)と相識り、詩聖の宅に寄偶、東洋文明の真髄を語り合い、肝胆相照らしている。津波のように次々と押し寄せる回教徒やキリスト教徒の侵略破壊と物質本位、商業主義の搾取と圧制によって、数千年前に発祥し、燦然とインドと中国に開き輝いた東洋文明とそれが産んだ真善美の宗教と道義の文化と芸術は、徹底的に破壊され、瓦礫の遺跡と化し果てたことを嘆いている。天心はインドの青年に檄して、東洋精神に目覚め、隷属を脱却して東洋文化を振興せんことを激励している。 天心とタゴールはインドと中国に発祥した文化が幸いに日本に伝わり、日本伝承の文化に融合し、開花して信託されており、これをインドを初めアジアの国々に還元止揚して東洋精神を恢興しようと誓い合っている。その直後に日露戦争の大勝を見てインドを初めアジア隷属民衆は狂喜したのである。天心は弟子の横山大観、菱田春草をもインドに派遣し、彼の志を探究させている。 |
その天心は『東洋の精神』『東洋の目覚め』と題する英文の名著を世に送り、また『アジアは一つなり』の名言を遺し、内外に大きな反響を呼んでいる。これは東洋の精神の偉大さとこれによって結ばれるべきアジアの連帯を警言したものである。日本に伝承信託され、集大成された東洋文化の精粋は、今次大戦における敗北と虚脱の中で強要された占領政策に因って、欧米物質文化の亜流に押し流されて、破壊されたところが大きい。
しかし幸いにして、戦争中の4年間、日本は東南亜と西南亜に大きな文化的遺産すなわち東洋伝承の精神を残し、かつその自由と独立を回復する契機と力とを与え得た。百万の将兵が彼等と親炙した。その結合は貴重である。これらアジアの国々も、それぞれ、独自の歴史、伝統、宗教、文化を持ち、種族、言語、宗教の複合構成を成してはいるが、文化のルーツを共通し、血縁を分ち合っていることを看過することはできない」(440~441頁)