イスラーム改革派

 ムハンマド・アブドゥフ(Muhammad Abduh/1849-1905)は、イスラームに基盤をおいた独自の近代化路線の先駆者と位置づけられる。
西洋的近代化路線への追従を拒否し、クルアーン(コーラン)の柔軟解釈によるイスラームによる独自の近代化を主張する点で、ムスリムの覚醒にとって彼の思想ほど貴重なものはないといっても言い過ぎではないかもしれない。
その思想は、世界のムスリムに脈々と受け継がれている。それは、東南アジアにも生きているようにみえる。筆者は、「WAWASAN2020」に象徴されるマハティール首相の近代化路線を、「アブドゥフの企ての再現・発展として理解したい」と書いたことがある(『アジア復権の希望マハティール』)。
「西欧への盲従」と「中世イスラームへの盲従」をともに退け、また「支配エリートのイスラームにたいする疑念」と「一般ムスリムの近代文明にたいする疑念」の両方を解消すべく努力したと評価されている(飯塚正人「ナショナリズムと復興運動」山内昌之、大塚和夫編『イスラームを学ぶ人のために』(世界思想社、1993年)、93-94ページ)。

アブドゥフには、本来イスラームには科学・文化を発展させる活力があるのだという信念があったのだろう。だからこそ、彼はイスラームの改革を志向し、伝統=タクリードに無条件に従うことを批判し、近代的な諸要求に対応できるようにイスラームを再解釈することが必要だと説いた。
彼は、啓示と科学に矛盾はないと考え、最新の科学的発券や真理はすでにクルアーンの中に示されているとして、その具体例を探究した(中村廣治郎『イスラームと近代』(岩波書店、1997年)、78~79)。そして彼はイスラーム法の再解釈に取り組んだ。西欧風の服装をしてもいいか、銀行の利子は認められるか、また結婚・離婚に関する解釈など、幅広い改革について公式の見解を示した。例えば彼は、一夫多妻制は預言者の時代の社会状況への譲歩として許されていたのだという解釈をし、クルアーンの理想は一夫一婦制だと結論づけた(ジョン・エスポジート著『イスラームの脅威』(明石書店、1997年)、111ページ)。
彼は、神の崇拝に関する法律は不変であるが、社会に関する法律は本質的に変化し得ると主張し、イスラーム法の改革に理論的根拠を与えたのである。

坪内隆彦