書籍
著者 | 書籍写真 | 書名 | 出版社 | 出版年 | 備考 |
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中山純一 | フッサールにおける超越論的経験 | 知泉書館 | 2014/01 | ||
鈴木俊洋 | 数学の現象学: 数学的直観を扱うために生まれたフッサール現象学 | 法政大学出版局 | 2013/11/29 | ||
リリアン アルワイス著、工藤和男・中村拓也訳 | フッサールとハイデガー―世界を取り戻す闘い | 晃洋書房 | 2012/12 | ||
竹田青嗣 | 超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』 | 講談社 | 2012/8/17 | 講談社現代新書 | |
エトムント フッサール著、浜渦辰二・山口一郎訳 | 間主観性の現象学 その方法 | 筑摩書房 | 2012/5/9 | ちくま学芸文庫 | |
竹田青嗣 | 完全解読 フッサール『現象学の理念』 | 講談社 | 2012/3/9 | 講談社選書メチエ | |
エトムント・フッサール著、渡辺二郎・千田義光訳 | イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 〈3〉 | みすず書房 | 2010/11/11 | ||
E.フッサール著、立松弘孝・榊原哲也訳 | イデーン-純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 (2-2) 第2巻 構成についての現象学的諸研究 | みすず書房 | 2009/2/26 | ||
エトムント フッサール著、立松弘孝編 | フッサール・セレクション | 平凡社 | 2009/01 | 平凡社ライブラリー | |
西研 | 哲学的思考 フッサール現象学の核心 | 筑摩書房 | 2005/10/5 | ちくま学芸文庫 | |
門脇俊介 | フッサール : 心は世界にどうつながっているのか | 日本放送出版協会 | 2004 | (シリーズ・哲学のエッセンス) | |
エトムント・フッサール著、谷徹訳 | ブリタニカ草稿 | 筑摩書房 | 2004 | (ちくま学芸文庫) | |
ダン・ザハヴィ著、工藤和男 中村拓也訳 | フッサールの現象学 | 晃洋書房 | 2003 | ||
堀栄造 | フッサールの現象学的還元 : 1890年代から『イデーンI』まで | 晃洋書房 | 2003 | ||
エドムント・フッサール著、ジャック・デリダ序説、田島節夫 矢島忠夫 鈴木修一訳 | 幾何学の起源 新版 | 青土社 | 2003 | ||
貫成人 | 経験の構造 : フッサール現象学の新しい全体像 | 勁草書房 | 2003 | ||
今村仁司他 | 現代思想の源流 : マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサール | 講談社 | 2003 | (現代思想の冒険者たちSelect) | |
斎藤慶典 | フッサール : 起源への哲学 | 講談社 | 2002 | (講談社選書メチエ ; 240) | |
林克樹 | 奥行の生と世界 : フッサール主観性理論の研究 | 晃洋書房 | 2002 | (西洋思想叢書) | |
エトムント フッサール著、立松 弘孝 別所 良美訳 | イデーン〈2‐1〉純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 第2巻 構成についての現象学的諸研究 | みすず書房 | 2001 | ||
フッサール著、浜渦辰二訳 | デカルト的省察 | 岩波書店 | 2001 | (岩波文庫 ; 青(33)-643-3) | |
工藤和男 | フッサール現象学の理路 : 『デカルト的省察』研究 | 晃洋書房 | 2001 | (西洋思想叢書) | |
伊集院令子 | フッサール像意識分析の未開の新地 | 晃洋書房 | 2001 | (像と平面構成 ; 1) | |
信木晴雄 | 現象学入門 : フッサール・スタディー | 丸善プラネット | 2001 | ||
西研 | 哲学的思考 : フッサール現象学の核心 | 筑摩書房 | 2001 | ||
小川侃編著 | 雰囲気と集合心性 | 京都大学学術出版会 | 2001 | ||
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 現象学の理念 | みすず書房 | 2000 | ||
斎藤慶典 | 思考の臨界―超越論的現象学の徹底 | 勁草書房 | 2000 | ||
クラウス・ヘルト著、浜渦辰二訳 | 20世紀の扉を開いた哲学 : フッサール現象学入門 | 九州大学出版会 | 2000 | ||
エマニュエル・レヴィナス著、丸山静訳 | フッサールとハイデガー | せりか書房 | 2000 | (現象学文庫) | |
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 論理学研究 2 | みすず書房 | 2000 | ||
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 論理学研究 1 | みすず書房 | 2000 | ||
エルンスト・W.オルト著、川島秀一他訳 | フッサール「危機」書の研究 | 晃洋書房 | 2000 | (西洋思想叢書) | |
新田義弘編 | フッサールを学ぶ人のために | 世界思想社 | 2000 | ||
E フッサール M ハイデッガー M ホルクハイマー著、清水多吉 手川誠士郎編訳 | 30年代の危機と哲学 | 平凡社 | 1999 | (平凡社ライブラリー ; 299) | |
エドムント・フッサール著、L・ランドグレーベ編、長谷川宏訳 | 経験と判断 ; : 新装版 | 河出書房新社 | 1999 | ||
谷徹 | 意識の自然―現象学の可能性を拓く | 勁草書房 | 1998 | ||
フランソワ・シャトレ編、花田圭介監訳 | 産業社会の哲学 : ニーチェからフッサールへ : 新装版 | 白水社 | 1998 | (西洋哲学の知 ; 6) | |
信木晴雄 | フッサール多様体理論の解明 | 丸善プラネット | 1997 | ||
フッサール著、長谷川宏訳 | 現象学の理念 | 作品社 | 1997 | ||
エドムント・フッサール著、山口一郎 田村京子訳 | 受動的綜合の分析 | 国文社 | 1997 | (アウロラ叢書) | |
加藤貞一 | 超越論的現象学 | 奈良文芸社 | 1997 | ||
田島節夫 | フッサール | 講談社 | 1996 | (講談社学術文庫 ; 1218) | |
星敏雄 | 意味と身体 : ハイデッガー、フッサール、そしてメルロ=ポンティ | 弘文堂 | 1996 | ||
今村仁司他 | 現代思想の源流 : マルクス ニーチェ フロイト フッサール | 講談社 | 1996 | (現代思想の冒険者たち ; 00) | |
エマニュエル・レヴィナス著、佐藤真理人他訳 | 実存の発見 : フッサールとハイデッガーと共に | 法政大学出版局 | 1996 | (叢書・ウニベルシタス ; 522) | |
エドムント・フッサール ロマン・インガルデン著、桑野耕三 佐藤真理人訳 | フッサール書簡集 | せりか書房 | 1995 | ||
浜渦辰二 | フッサール間主観性の現象学 | 創文社 | 1995 | ||
エドムント・フッサール著、細谷恒夫 木田元訳 | ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 | 中央公論社 | 1995 | (中公文庫) | |
研究代表者村田純一 | 初期現象学研究 : ブレンターノ学派とフッサール | 村田純一 | 1995 | ||
E・フッサール E・フィンク著、H・エーベリンク他編集、新田義弘 千田義光訳 | 超越論的方法論の理念 : 第六デカルト的省察 | 岩波書店 | 1995 | ||
テオドーア・W アドルノ著、古賀徹 細見和之訳 | 認識論のメタクリティーク : フッサールと現象学的アンチノミーにかんする諸研究 | 法政大学出版局 | 1995 | (叢書・ウニベルシタス ; 489) | |
R ベルネ I ケルン E マールバッハ著、千田義光 鈴木琢真 徳永哲郎訳 | フッサールの思想 | 晢書房 | 1994 | ||
廣松渉 | フッサール現象学への視角 | 青土社 | 1994 | ||
ヴェルナー・マルクス著、佐藤真理人 田口茂訳 | フッサール現象学入門 | 文化書房博文社 | 1994 | (ヴァリエ叢書 ; 1) | |
竹原弘 | 意味の現象学 : フッサールからメルロ=ポンティまで | ミネルヴァ書房 | 1994 | (Minerva21世紀ライブラリー ; 12) | |
J.‐L.マリオン著、芦田宏直 他共訳 | 還元と贈与 : フッサール・ハイデガー現象学論攷 | 行路社 | 1994 | ||
研究代表者 濱井修 | 心身問題(心脳問題も含む)と倫理に関する基礎的研究 | 濱井修(東京大学文学部内) | 1994 | ||
デヴィッド・カー著、磯江景孜 他訳 | フッサール : 批判的・比較的研究 | 晃洋書房 | 1993 | ||
水野和久 | 現象学の射程―フッサールとメルロ・ポンティ | 勁草書房 | 1992 | ||
エドムント・フッサール著、ジャック・デリダ序説、田島節夫他訳 | 幾何学の起源 新装版 | 青土社 | 1992 | ||
新田義弘 | 現象学とは何か : フッサールの後期思想を中心として | 講談社 | 1992 | (講談社学術文庫 ; 1035) | |
水野和久 | 現象学の射程 : フッサールとメルロ・ポンティ | 勁草書房 | 1992 | ||
J.N.モハンティ著、貫成人訳 | フッサールとフレーゲ | 勁草書房 | 1991 | ||
エマニュエル・レヴィナス著、佐藤真理人 桑野耕三訳 | フッサール現象学の直観理論 | 法政大学出版局 | 1991 | (叢書・ウニベルシタス ; 357) | |
小林利裕 | フッサール研究 | 法律文化社 | 1990 | ||
芦田宏直 | 書物の時間 : ヘーゲル・フッサール・ハイデガー | 行路社 | 1989 | ||
ヒルマー・ブラウナー著、川島秀一他訳 | フッサールと現象学的社会学 | 晃洋書房 | 1988 | (哲学叢書) | |
エドムント・フッサール ジャック・デリダ著、田島節夫他訳 | 幾何学の起源 新版 | 青土社 | 1988 | ||
ヘルマン・リュッベ著、川島秀一他訳 | 歴史における意識 : 主観性の現象学のための研究 : マッハ フッサール シャップ ウィトゲンシュタイン | 晃洋書房 | 1988 | ||
アントニオ・F.アグィーレ著、 川島秀一他訳 | フッサール現象学 : 現在の解釈と批判からの照明 | 法政大学出版局 | 1987 | (叢書・ウニベルシタス ; 210) | |
オットー・フリードリヒ・ボルノー著、高橋義人訳・解説 | ディルタイとフッサール : 20世紀哲学の源流 | 岩波書店 | 1986 | ||
立松弘孝編、立松弘孝他執筆 | フッサール現象学 | 勁草書房 | 1986 | ||
エドムント・フッサール著、田原八郎編訳 | ブリタニカ草稿 : 現象学入門 | せりか書房 | 1986 | (現象学文庫) | |
エディット・シュタイン著、中山善樹編訳 | 現象学からスコラ学へ | 九州大学出版会 | 1986 | ||
H.ロムバッハ他著、新田義弘 村田純一編 | 現象学の展望 | 国文社 | 1986 | (アウロラ叢書) | |
加藤精司 | フッサール | 清水書院 | 1983 | (Century books ; 人と思想 ; 72) | |
E.フッサール A.ティミエニエツカ著、谷征紀訳 | 現象学と人間性の危機 | 御茶の水書房 | 1983 | ||
アーロイス・ロート著、藤本正久 桑野耕三訳 | エドムント・フッサール倫理学研究 : 講義草稿に基づく叙述 | 北樹出版 | 1982 | ||
オイゲン・フィンク著、新田義弘 小池稔訳 | フッサールの現象学 | 以文社 | 1982 | ||
ゲルト・ブラント著、新田義弘 小池稔訳 | 世界・自我・時間 : フッサール未公開草稿による研究 ; 新装版 | 国文社 | 1982 | ||
田島節夫 | フッサール | 講談社 | 1981 | (人類の知的遺産 ; 58) | |
吉沢伝三郎 | 生活世界の現象学 : フッサールの危機書の研究 | サイエンス社 | 1981 | (ライブラリ現代の哲学 ; 3) | |
佐竹哲雄 | フッサール現象学 | 公論社 | 1980 | ||
エドムント・フッサール著、田原八郎編訳 | ブリタニカ草稿 : 現象学入門 | せりか書房 | 1980 | (現象学文庫) | |
細谷恒夫責任編集 | ブレンターノ ; フッサール | 中央公論社 | 1980 | (中公バックス ; 世界の名著 ; 62) | |
E.フッサール著、田島節夫他訳 | 幾何学の起源 新装版 | 青土社 | 1980 | ||
エトムント・フッサール著、渡辺二郎訳 | イデーン : 純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 (イデーン) | みすず書房 | 1979 | ||
トーマス・ゼーボーム著、桑野耕三 佐藤真理人共訳 | フッサールの先験哲学 : カントを超えて | 八千代出版 | 1979 | ||
新田義弘 | 現象学とは何か : フッサールの後期思想を中心として 新装版 | 紀伊国屋書店 | 1979 | ||
エトムント・フッサール著、辺二郎訳 | 純粋現象学への全般的序論 2 | みすず書房 | 1979 | ||
エトムント・フッサール著、渡辺二郎訳 | 純粋現象学への全般的序論 1 | みすず書房 | 1979 | ||
ルドヴィク・ロブレクツ クラウス・ヘルト エンツォ・パチ著、粉川哲夫訳編 | フッサールの現象学 新装増補版 | せりか書房 | 1978 | ||
エマニュエル・レヴィナス著、丸山静訳 | フッサールとハイデガー | せりか書房 | 1977 | ||
ガストン・ベルジェ著、北村浩一郎訳 | フッサールのコギト | せりか書房 | 1977 | (現象学文庫) | |
渡辺二郎他著、情況編集委員会編 | 現象学 : フッサールからメルロポンティへ | 情況出版 | 1977 | ||
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 論理学研究 4 | みすず書房 | 1976 | ||
E.フッサール M.ハイデッガー M.ホルクハイマー著、清水多吉他訳 | 30年代の危機と哲学 | イザラ書房 | 1976 | ||
立松弘孝編 | フッサール | 平凡社 | 1976 | (世界の思想家 ; 19) | |
E.フッサール著、J.デリダ序説、田島節夫他訳 | 幾何学の起源 | 青土社 | 1976 | (現代思想叢書) | |
ゲルト・ブラント著、新田義弘 小池稔訳 | 世界・自我・時間 : フッサール未公開草稿による研究 | 国文社 | 1976 | ||
L ロブレクツ K ヘルト著、粉川哲夫訳 | フッサールの現象学 | せりか書房 | 1975 | ||
エドムンド・フッサール著、ルードヴィヒ・ランドグレーベ編、長谷川宏訳 | 経験と判断 | 河出書房新社 | 1975 | ||
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 論理学研究 3 | みすず書房 | 1974 | ||
ハインツ・ポーリツァー他著、喜多尾道冬編 | カフカとその周辺 | 審美社 | 1974 | (審美文庫 ; 19) | |
D.クリストフ著、木田元 本間謙二訳 | フッサール : 事象への還帰 | 大修館書店 | 1974 | ||
E.フッサール著、細谷恒夫 木田元訳 | ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 | 中央公論社 | 1974 | ||
E.フィンク他著、立松弘孝他訳 | フッサールと現代思想 | せりか書房 | 1972 | (現象学叢書 ; 1) | |
L.ロブレクツ K.ヘルト著、粉川哲夫訳 | フッサールの現象学 改訂第2版 | せりか書房 | 1972 | ||
L.ロブレクツ K.ヘルト著、粉川哲夫訳 | フッサールの現象学 | せりか書房 | 1971 | ||
細谷恒夫責任編集 | ブレンターノ ; フッサール | 中央公論社 | 1970 | (世界の名著 ; 51) | |
ジャック・デリダ著、高橋允昭訳 | 声と現象 : フッサール現象学における記号の問題への序論 | 理想社 | 1970 | ||
E.フッサール著、佐竹哲雄訳 | 厳密な学としての哲学 | 岩波書店 | 1969 | ||
J.エスタライヒャー著、稲垣良典訳 | 崩れゆく壁 : キリストを発見した7人のユダヤの哲学者 | 春秋社 | 1969 | ||
新田義弘 | 現象学とは何か : フッサールの後期思想を中心として | 紀伊国屋書店 | 1968 | (紀伊國屋新書 ; A-36) | |
E.フッサール著、立松弘孝訳 | 内的時間意識の現象学 | みすず書房 | 1967 | ||
山本万二郎 | 「生命界」概念を中心とするフッサール後期思想の展開 | 泉文堂 | 1963 |
雑誌
著者 | タイトル | 雑誌名 | 巻・号 | 発行日 |
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浜渦 辰二 | フッサールにおける現象学と存在論 (シンポジウム 現象学-以後の/による-現象学─21世紀の扉を開くために) | 立命館哲学 | 15 | 2004 |
川瀬 雅也 | 瞬間の奥行き─フッサールとデリダ、メルロ=ポンティ、アンリ (シンポジウム 現象学-以後の/による-現象学─21世紀の扉を開くために) | 立命館哲学 | 15 | 2004 |
青柳 雅文 | 意識の自己批判の可能性─1930年代アドルノにおけるフッサール研究を手がかりに | 立命館哲学 | 15 | 2004 |
石田 三千雄 | 表現と感情移入─フッサールの『イデーン2』を中心とした感情移入論 | 徳島大学総合科学部人間社会文化研究 | 11 | 2004 |
森村 修 | カヴァイエスの「数学のエピステモロジー」─フッサールの〈数学の基礎付け〉批判を中心に〔含英文〕 | 異文化 (論文編) | (通号 4) | 2003.4 |
佐藤 英明 | フッサールの心理主義批判 | 中央学院大学人間・自然論叢 | 17 | 2003.2 |
佐藤 幸三 | 感覚素材としての原ヒュレーUrhyle─後期フッサールにおける衝動的志向性の感覚素材として | 哲学・思想論叢 | 21 | 2003.1 |
宮坂 和男 | 晩期フッサールにおける歴史 | 人間環境学研究 | 2(1) | 2003.09 |
鈴木 俊洋 | 初期フッサールの数概念の分析 (日本現象学会第24回研究発表大会の報告) | 現象学年報 | (通号 19) | 2003 |
村上 靖彦 | 心的外傷のフラッシュバックの生々しさについて─フッサールとメーヌ・ド・ビランを手がかりに (日本現象学会第24回研究発表大会の報告) | 現象学年報 | (通号 19) | 2003 |
吉川 孝 | 現象とファントム─フッサールの「現象」概念の再検討 (日本現象学会第24回研究発表大会の報告) | 現象学年報 | (通号 19) | 2003 |
信木 晴雄 | フッサールにおける明証性 (日本現象学会第24回研究発表大会の報告) | 現象学年報 | (通号 19) | 2003 |
稲垣 諭 | 自我・生・衝動─フッサールにおける自我と意識流の問題 (日本現象学会第24回研究発表大会の報告) | 現象学年報 | (通号 19) | 2003 |
村上 靖彦 | 原情動性としての身体のゆらぎ─フッサール『論理学研究』第五研究と『受動的総合の分析』をめぐって | 国際関係学部研究年報 | 24 | 2003 |
石田 三千雄 | フッサール『イデーン2』における人格の構成について | 徳島大学総合科学部人間社会文化研究 | 10 | 2003 |
元明 淳 | フッサールにおける「世代生産的」現象学の可能性について | 倫理学研究 | 33 | 2003 |
岡田 光弘 | レクチャーシリーズ 哲学とAIにおける対象世界モデリング(2)フッサールのフォーマルオントロジーとその影響 | 人工知能学会誌 | 17(3) (通号 93) | 2002.5 |
駒城 鎮一 | 道元とフッサール、あるいはライプニッツ─普遍法の理念 (特集 歴史のなかの普遍法) | 比較法史研究 | (通号 10) | 2002.3 |
伊集院 令子 | フッサールと現代哲学の美学的諸問題 | お茶の水女子大学人文科学紀要 | 55 | 2002.3 |
村上 靖彦 | 外傷体験における身体─フッサールとメーヌ・ド・ビランを導きとして | 国際関係研究 | 23(3) | 2002.12 |
前田 直哉 | フッサールの相互主観性理論について | メタフュシカ | 33 | 2002.12 |
紀平 知樹 | フッサールとヒルベルト─学問の基盤としての現実性 | メタフュシカ | 33 | 2002.12 |
二宮 公太郎 | フッサール哲学 早分り (特集 自己理解のサイエンス) | 室蘭工業大学紀要 | 52 | 2002.11 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(6)公理系の「特種化」 | 室蘭工業大学紀要 | 52 | 2002.11 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(7)「虚数」の問題 | 室蘭工業大学紀要 | 52 | 2002.11 |
真達 大輔 | フッサールにおける意識流の不断性について | 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室論集 | (通号 21) | 2002年度 |
浜渦 辰二 | Nature and Spirit─from Ideas 2 to Nature and Spirit | 人文論集 | 53(2) | 2002 |
浜渦 辰二 | フッサールにおける自然と精神─『イデーン2』から『自然と精神』へ | 人文論集 | 53(1) | 2002 |
浜渦 辰二 | Zur Phanomenologie des Dialogs:Husserl und Heidegger | 人文論集 | 52(2) | 2002 |
稲垣 諭 | フッサール衝動の現象学─意識の志向的分析における感情の問題 | 東洋大学大学院紀要 (文学(哲学・仏教)) | 39 | 2002 |
荒谷 大輔 | 一なる意識に潜在せる歴史─フッサールにおける意識流の内容と形式 | 現象学年報 | (通号 18) | 2002 |
浜渦 辰二 | フッサール・ルネサンス─フッサール研究会設立さる | 現象学年報 | (通号 18) | 2002 |
高野 孝 | 意味と時間─フッサールにおける知覚的意味の発生 | 現象学年報 | (通号 18) | 2002 |
浦上 真弥 | フッサールの現象学と唯識思想における「意識」についての一考察 | 人間文化 | (通号 17) | 2002 |
森 秀樹 | デリダの哲学における発生の問題 | 兵庫教育大学研究紀要 第2分冊 言語系教育 社会系教育 芸術系教育 | 22 | 2002 |
和田 渡 | ベルナウ草稿の解読─意識の生体解剖とフッサールのまなざし | 立命館哲学 | 13 | 2002 |
青柳 雅文 | 物の知覚における超越の問題─Th.W.アドルノ最初期の超越論的立場と、フッサール現象学との関係 | 立命館哲学 | 13 | 2002 |
奥波 一秀 | 『存在と時間』における《懐疑家の自殺》について─ハイデガーによるフッサール批判の一断面 | 倫理学紀要 | 11 | 2002 |
岩切 桂子 | 逆転移の現象学的一考察─「私」の主観から、「他者」の間接的定立の自覚へ | 佛教大学教育学部学会紀要 | 1 | 2002 |
伊集院 令子 | フッサール、アンリ、カンディンスキー─フッサール像意識理論の一局面をめぐってのH.R.ゼップ氏との討議 | 人間文化研究年報 | 26 | 2002 |
Hans Rainer Sepp、中川 明博訳 | 文化の現象学─フッサールとゲプザーにおける文化哲学 | 理想 | 669 | 2002 |
紀平 知樹 | 志向性・他者とその言語─フッサール現象学における論理的なものへの通路 (〔大谷学会〕平成12年度 特別研修員 研究発表要旨) | 大谷学報 | 80(4) | 2001.9 |
東平 恵司 | R.T.マーフィ著『ヒュームとフッサール 根源的主観主義へ向けて』第1章1 | 国士館大学教養論集 | 51 | 2001.3 |
Jacques Derrida ; 松葉 祥一 訳 ; 亀井 大輔 訳 | 現象学と形而上学の閉域─フッサール思想入門 (総特集 現象学─知と生命) ─ (問題圏) | 現代思想 | 29(17) (臨増) | 2001.12 |
Hans Rainer Sepp ; 谷 徹 訳 | 台本 影の国─時間・生・死をめぐるフッサールとハイデガーの対話 (総特集 現象学─知と生命) ─ (問題圏) | 現代思想 | 29(17) (臨増) | 2001.12 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(4)フッサールの集合論 | 室蘭工業大学紀要 | 51 | 2001.11 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(5)「数える」ということ | 室蘭工業大学紀要 | 51 | 2001.11 |
金子 淳人 | フッサール現象学の帰結─現象学的「地盤」と「原歴史」 | 文研論集 | (通号 38) | 2001.1 |
小林 秀樹 | 人間的主観性の逆説─フッサール現象学における自我概念をめぐって | 哲学・思想論叢 | 19 | 2001.1 |
倉田 剛 | 志向性と充実(その1)フッサール『論理学研究』第六研究第一篇について | 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室論集 | (通号 20) | 2001年度 |
吉田 聡 | フッサールの対象概念について | 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部哲学研究室論集 | (通号 20) | 2001年度 |
浜渦 辰二 | フッサールにおける論理と世界─様相論理と可能世界意味論に寄せて (シンポジウム:論理と世界) | 中部哲学会年報 | 34 | 2001年度 |
浜渦 辰二 | Zur Phanomenologie des Unsichtbaren: Husserl und Heidegger | 人文論集 | 52(1) | 2001 |
稲垣 諭 | フッサール想像の現象学と衝動の問題 | 東洋大学大学院紀要 (文学(哲学・仏教)) | 38 | 2001 |
岡山 敬二 | フッサール相互主観性論のパラドクスと独我論の問題 | 現象学年報 | (通号 17) | 2001 |
信木 晴雄 | フッサールにおける範疇的直観 | 現象学年報 | (通号 17) | 2001 |
村上 靖彦 | 非理念的意味と身体性─フッサール『論理学研究』第一研究と『イデーン2』第五十六節をめぐって | 現象学年報 | (通号 17) | 2001 |
野本 和幸 | フレーゲ、初期フッサールそしてその後─算術および論理学の哲学(論理的意味論)を巡って (日本現象学会第22回研究会の報告) ─ (シンポジウム 刊行 100周年『論理学研究』再考) | 現象学年報 | (通号 17) | 2001 |
立松 弘孝 | フッサール著『論理学研究』再考 (日本現象学会第22回研究会の報告) ─ (シンポジウム 刊行 100周年『論理学研究』再考) | 現象学年報 | (通号 17) | 2001 |
鈴木 康文 | フッサールの身体論─西田哲学を視野に入れて | 比較思想研究 | (28) (別冊) | 2001 |
神田 大輔 | フッサール現象学における本質論─本質の純粋さについて | 立命館哲学 | 12 | 2001 |
石田 三千雄 | フッサール現象学における感情移入の問題 | 徳島大学総合科学部人間社会文化研究 | 8 | 2001 |
斎藤 雅俊 | フッサールにおける「他者」概念の教育学的意義 | 教育思想 | 28 | 2001 |
木田 元 | 世紀転換期思想史(14)ホーフマンスタールとフッサール | 大航海 | 38 | 2001 |
鈴木 康文 | 哲学の広場 メディウムを語るフッサール─現象学的身体論の課題と意義 | 理想 | 667 | 2001 |
榊原 哲也 | 起源への遡行と解体─初期ハイデガーとフッサールとを繋ぐもの (特集・ハイデッガー、もっと深く) | 創文 | 424 | 2000.9 |
寺田 誠一 | フッサールにおける「ファンタスマ」の現実性について | 文化 | 19 | 2000.3 |
成田 常雄 | フッサールの真理論(2)真理論の現象学的転回(その2) | 岡山大学文学部紀要 | 34 | 2000.12 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(3)拡張不可能性:ヒルベルトとの比較 (特集「産業におけるソフトコンピューティングに関する国際会議’99」発表論文選集) | 室蘭工業大学紀要 | 50 | 2000.11 |
高木 彰 | 「自然の数学化」と学問の「危機」─E.フッサールの後期の所説に関連して | 立命館経済学 | 49(4) (通号 291) | 2000.1 |
新田 義弘 | 思想の言葉 フッサールとハイデガーとのあいだ─問いの往還 (現象学の100年) | 思想 | 916 | 2000.1 |
谷 徹 | フッサール現象学─可能性の現在 (現象学の100年) | 思想 | 916 | 2000.1 |
田口 茂 | 〈私であること〉の自明性─フッサールにおける方法的視の深化と原自我の問題 (現象学の100年) | 思想 | 916 | 2000.1 |
Rudolf Bernet ; 和田 渡 訳 | フロイトの無意識概念の基礎づけとしてのフッサールの想像意識概念 (現象学の100年) | 思想 | 916 | 2000.1 |
村田 憲郎 | 反省する意識と反省される意識との「同時性」について─フッサール現象学における初期時間論の変遷をめぐって | 一橋論叢 | 124(2) (通号 718) | 2000.08 |
松岡 信哉 | 『アブサロム、アブサロム!』の説話技巧とフッサールの自由変更理論の類似について | フォークナー | 2 | 2000.04 |
Hayo B.E.D Krombach ; 大川 瑞穂 訳 ; 金子 淳人 訳 | ハーヨ・クロンバッハ「フッサールと歴史の現象学」 | 専修人文論集 | (通号 66) | 2000.03 |
工藤 和男 | フッサール倫理学とカント批判 | 文化学年報 | (通号 49) | 2000.03 |
河田 和子 | 「日本の橋」とフッサールの現象学─保田與重郎の「自然」と間主観的還元 | 昭和文学研究 | (通号 40) | 2000.03 |
合澤 賢 | フッサールの他者問題─現象学的還元と「他のエゴ」 | 言語文化論叢 | (通号 4) | 2000.03 |
渡辺 英之 | フッサール現象学における想像力の教育学的意義 | 京都精華大学紀要 | (通号 18) | 2000.03 |
亀井 大輔 | デリダのフッサール解釈─歴史の問題に即して | 立命館哲学 | (通号 11) | 2000.03 |
小熊 正久 | スピノザとフッサールの身体論 | 山形大学紀要 人文科学 | 14(3) | 2000.02 |
松井 賢太郎 | アドルノのフッサール批判をめぐって | 哲学雑誌 | 115(787) | 2000 |
林 克樹 | 超-主観的なものの現象学─フッサールとシュミッツ (特集 主観性の行方─近世主観主義と現象学の立場) | 現象学年報 | (通号 16) | 2000 |
鈴木 俊洋 | 否定判断論再考─フッサールの論理学の哲学 (日本現象学会 第二一回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 16) | 2000 |
寺本 剛 | フッサールの真理論─「ものと知性の真の一致」をめぐって | 中央大学大学院研究年報 (文学研究科篇) | 30 | 2000 |
金子 淳人 | デリダとフッサール─言語、痕跡と他者 | 哲学世界 | 23 | 2000 |
紀平 知樹 | 志向性・他者とその言語─フッサール現象学における倫理的なものへの通路 | 哲学論集 | 47 | 2000 |
原 塑 | 他者の心─フッサールとハイデガーにおける心の哲学の展開 | 科学基礎論研究 | 27(1) (通号 93) | 1999.12 |
成田 常雄 | フッサールの真理論(1)真理概念の現象学的転回(1) | 岡山大学文学部紀要 | (通号 32) | 1999.12 |
紀平 知樹 | 志向的類型論としての現象学 | メタフュシカ | (通号 30) | 1999.12 |
鈴木 修一 | 「実証性のうちにとどまる見せかけだけの普遍的存在論」と「本当に普遍的な存在論」─『ブリタニカ百科事典』項目論文「現象学」執筆をめぐってのフッサールとハイデガー | 人文研究 | (通号 138) | 1999.12 |
二宮 公太郎 | フッサールの数理哲学(2)拡張不可能性と決定可能性との同値 | 室蘭工業大学紀要 | (通号 49) | 1999.11 |
森永 和英 | フッサールの自然的態度と現象学の端緒 | 専修人文論集 | (通号 65) | 1999.1 |
Alfred Schutz ; 矢部 謙太郎 訳 | フッサールと彼が私に与えた影響 (特集 現象学と社会諸科学との対話) | 文化と社会 | (通号 1) | 1999.1 |
千葉 胤久 | フッサール現象学における「他者」の諸相 | 文化 | 63(1・2) (通号 346・347) | 1999.09 |
堀 栄造 | フッサールの美学─現象学的方法との関連性 | 哲学 | (通号 50) | 1999.04 |
北野 孝志 | 局在化の錯誤─フッサールにおける身体構成 | 哲学 | (通号 50) | 1999.04 |
森村 修 | 最後のフッサール(2)現象学的観視者とは何か? | 法政大学教養部紀要 | (通号 109) | 1999.02 |
Klaus Held ; 浜渦 辰二 訳 | フッサール現象学入門(下) | 人文論集 | 50(2) | 1999 |
浜渦 辰二 訳 ; Klaus Held | フッサール現象学入門(上) | 人文論集 | 50(1) | 1999 |
岡山 敬二 | フッサールの「ノルマリテート(Normalitat)」について | 中央大学大学院研究年報 | 29(文学) | 1999 |
金子 淳人 | フッサールにおける「類型」論の展開─言語行為の現象学に向けて | 早稲田大学大学院文学研究科紀要 第1分冊 | (通号 45) | 1999 |
小森 久衛 | 超越論的相互主観性と客観的実在性─E・フッサールの「対象」概念について | 四日市大学短期大学部紀要 | (通号 33) | 1999 |
富松 保文 | <対象>について | 武蔵野美術大学研究紀要 | (通号 30) | 1999 |
金子 淳人 | フッサール現象学の何が批判されたのか?─『存在と時間』におけるフッサール批判 | 哲学世界 | (通号 22) | 1999 |
塩川 千夏 | エポケーとコギト─近代懐疑主義の方法とフッサールの反省論 (日本現象学会 第20回研究大会の報告) ─ (一般研究発表) | 現象学年報 | (通号 15) | 1999 |
野村 文宏 | フッサールの形相的還元の根本動向 (日本現象学会 第20回研究大会の報告) ─ (一般研究発表) | 現象学年報 | (通号 15) | 1999 |
畠山 聡 | フッサールにおける想起論と歴史性の問題─『受動的総合の分析』における「志向的分析」と「思弁的思考」の問題 | 哲学・科学史論叢 | 1 | 1999 |
宮坂 和男 | デカルトとフッサール─哲学における無前提性の問題 | 広島修大論集 人文編 | 39(1) | 1998.09 |
関口 光春 | ケルゼンの純粋法学とムーアの直覚主義─フッサールの論理主義を媒介にして | 国際研究論集 | 11(2) | 1998.07 |
田口 茂 | 還元と<生ならざるもの>─フッサールの現象学的還元をめぐる一考察 (特集 現象学の可能性) | 理想 | (通号 661) | 1998.07 |
小林 睦 | 空間表象という問題圏─19世紀とフッサール (特集 現象学の可能性) | 理想 | (通号 661) | 1998.07 |
南条 誠 | フッサールの生活世界について | 哲学会誌 | (通号 22) | 1998.07 |
高階 勝義 | 私・他者・世界─フッサールの相互主観性の現象学 | 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 | 49(1) | 1998.06 |
森村 修 | 最後のフッサール(1)─超越論的自我は存在するか? | 法政大学教養部紀要 | (通号 107) | 1998.06 |
高野 孝 | 志向性探究の鍵としての述定─フッサール『意味論についての講義 1908年夏学期』における転換 | 科学基礎論研究 | 25(2) | 1998.03 |
山本 誠作 | フッサール現象学とその問題点 | 関西外国語大学研究論集 | (通号 67) | 1998.02 |
森村 修 | フッサールと西田幾多郎の「大正・昭和時代(1912~1945)」─『改造』論文と『日本文化の問題』における「文化」の問題 | 法政大学教養部紀要 | (通号 104) | 1998.02 |
元明 淳 | 衝動志向性と感情─発達心理学と後期フッサール現象学との接点 | 関西大学哲学 | (通号 18) | 1998.01 |
浜渦 辰二 | 時事的関心から現象学的関心へ─進化するフッサール・データベース | 人文論集 | 49(1) | 1998 |
岡山 敬二 | フッサール他我構成論のパラドクスについて─『デカルト的省察』第五省察「固有領域の還元」と「付帯現前化」をめぐって | 中央大学大学院研究年報 | 28(文学) | 1998 |
三村 尚彦 | フッサールの「キネステーゼ」と「受動的構成」の分析について | アルケー | (通号 6) | 1998 |
関谷 融 | 教育学における生活世界概念の位置価について(3)前期フッサール現象学と教育学 | 長崎県立女子短期大学研究紀要 | (通号 47) | 1998 |
関谷 融 | 教育学における生活世界概念の位置価について(4)後期フッサール現象学と教育学 | 長崎県立女子短期大学研究紀要 | (通号 47) | 1998 |
星 揚一郎 | フッサールにおける存在的意味 | 名古屋大学哲学論集 | (通号 4) | 1998 |
北野 孝志 | フッサールの相互主観性理論が意図するもの | 名古屋大学哲学論集 | (通号 4) | 1998 |
西川 貴紀 | フッサール現象学における自我の存在様式の意味するもの─「生き生きした現在」の分析に基づく一考察 | 中部哲学会年報 | (通号 31) | 1998 |
松田 毅 | 相互関係と自己関係─フッサール超越論的間主観性の現象学の帰結 | 神戸大学文学部紀要 | (通号 25) | 1998 |
鈴木 康文 | フッサールにおける人格の問題─自然と精神の間で | 哲学・思想論集 | (通号 24) | 1998 |
土戸 敏彦 | フッサール『危機』書における<自明性>をめぐって (日本現象学会・第19回研究会の報告 シンポジウム 現象学的方法の可能性と人間の科学) | 現象学年報 | (通号 14) | 1998 |
関根 小織 | E・レヴィナスの全体性批判─フッサール、ハイデガー批判における全体性の二義性 (日本現象学会・第19回研究会の報告 シンポジウム 現象学的方法の可能性と人間の科学) | 現象学年報 | (通号 14) | 1998 |
加藤 雅 | 生世界・歴史・他者フッサールにおける歴史への問い (日本現象学会・第19回研究会の報告 シンポジウム 現象学的方法の可能性と人間の科学) | 現象学年報 | (通号 14) | 1998 |
北野 孝志 | 現象学的モナドロギーへの一視座─フッサールとマーンケ (日本現象学会・第19回研究会の報告 シンポジウム 現象学的方法の可能性と人間の科学) | 現象学年報 | (通号 14) | 1998 |
浜渦 辰二 | エドムント・フッサール著『受動的総合の分析』─夜と霧のなかから浮かび上がる世界 | 現象学年報 | (通号 14) | 1998 |
高階 勝義 | 明証性と志向性─フッサールの理性の現象学 | 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 | 48(2) | 1997.12 |
高野 孝 | ノエマ概念の起源─フッサール「論理学研究」から「イデーン1」への途上で | 哲学 | (通号 48) | 1997.04 |
田口 茂 | モナドと「窓」─フッサール相互主観性論への一視覚 | 哲学 | (通号 48) | 1997.04 |
三上 真司 | フッサールと実在論の問題(2) | 横浜市立大学論叢 人文科学系列 | 48(1) | 1997.03 |
浜渦 辰二 | 時間・他者・身体─フッサールの反デカルト的省察 (シンポジウム:デカルトの現在─自然学と形而上学をめぐって) | 中部哲学会紀要 | (通号 29) | 1997.03 |
岡田 光弘 | フッサールの形式論理学分析における「多様体」概念の役割 | 哲学 | (通号 101) | 1997.03 |
小熊 正久 | 数と数えること─フッサールを手がかりにして | 山形大学紀要 人文科学 | 13(4) | 1997.01 |
三村 尚彦 | 身体構成に関する現象学的分析について─フッサールの『イデーン2』を中心にして | 関西大学哲学 | (通号 17) | 1997.01 |
浜渦 辰二 | 峠を越えたフッサール・データベース─インターネット時代のマルチリンガル・テキストのために | 人文論集 | 48(1) | 1997 |
米村 まろか | 教え-学ぶ<主体>と<意味>─主体の内面に関するウィトゲンシュタインとデリダのフッサール批判を通した<教育内容>概念の検討 | 名古屋大學教育學部紀要 教育学科 | 44(1) | 1997 |
田口 茂 | 間モナド性の原様態─フッサール感入論の再検討 | フィロソフィア | (通号 85) | 1997 |
神谷 英二 | フッサール現象学における客観性の再検討 | 中部哲学会年報 | (通号 30) | 1997 |
中 敬夫 | 瞬間の中の持続─フッサールとベルクソンの調停の試み(2) | 愛知県立芸術大学紀要 | (通号 27) | 1997 |
駒城 鎮一 | 後期フッサールと現象学的法哲学─エピステーメーからドクサへの還帰 (20世紀の法哲学) ─ (法の根底への遡行─生の領域と法哲学の一断面) | 法哲学年報 | (通号 1997) | 1997 |
林 克樹 | フッサールにおける主観性と人格 (日本現象学会・第18回研究大会での報告要旨) ─ (一般研究発表) | 現象学年報 | (通号 13) | 1997 |
岡田 篤志 | レヴィナスとフッサール現象学 (日本現象学会・第18回研究大会での報告要旨) ─ (一般研究発表) | 現象学年報 | (通号 13) | 1997 |
三上 真司 | フッサールにおける真理概念について (日本現象学会・第18回研究大会での報告要旨) ─ (一般研究発表) | 現象学年報 | (通号 13) | 1997 |
榊原 哲也 | ディルタイと中期フッサール現象学の生成 (〔第5回 解釈学〕シンポジウム報告) | ディルタイ研究 | (通号 10) | 1997 |
後藤 弘志 | フッサールにおける人格概念の人間学的文脈 | 倫理学研究 | (通号 10) | 1997 |
井上 義彦 | 人間存在に関する哲学的考察─デカルト フッサール及びハイデガー | 長崎大学教養部紀要 人文科学篇 | 37(2) | 1996.1 |
神谷 英二 | 言語と共同体─フッサール相互主観性論の一側面 | 國學院雜誌 | 97(6) | 1996.06 |
三上 真司 | タルスキー・フッサール・絶対主義 | 横浜市立大学論叢 人文科学系列 | 47(1) | 1996.03 |
北野 孝志 | フッサールにおけるモナド概念と相互主観性 | 中部哲学会紀要 | (通号 28) | 1996.03 |
加国 尚志 | 相互内属と渦動─後期メルロ=ポンティのフッサール解釈をめぐって | 立命館文學 | (通号 543) | 1996.02 |
中川 明博 | フッサールの「ア・プリオリ」への問い | 文化女子大学紀要 人文・社会科学研究 | (通号 4) | 1996.01 |
堀 栄造 | フッサールによる初期の空想分析 | 大分工業高等専門学校研究報告 | (通号 32) | 1996.01 |
浜渦 辰二 | インターネットを利用した哲学研究のために─フッサール・データベースの新段階 | 人文論集 | 47(1) | 1996 |
貫 成人 | 思考の外部から─デカルトとフッサール | 哲学雑誌 | 111(783) | 1996 |
加藤 雅 | 普遍的具体相としての生世界─後期フッサールにおける原的明証性の場 | 上智哲学誌 | (通号 9) | 1996 |
橋場 利幸 | 自我分裂の論理的可能性への試論─フッサールにおける反省の問題 | 上智哲学誌 | (通号 9) | 1996 |
中 敬夫 | 瞬間の中の持続─フッサールとベルクソンの調停の試み(1) | 愛知県立芸術大学紀要 | (通号 26) | 1996 |
塩川 千夏 | 可能性としての意味/限界に臨む意味─フッサール ハイデガー ルーマン | 哲学科紀要 | (通号 22) | 1996 |
田辺 秋守 | 像と類似性─サルトル フッサールをめぐって | 哲学世界 | (通号 19) | 1996 |
畠山 聡 | フッサール『第一哲学』における「現象学的還元の道」─現象学的還元の動機の問題序説 | 東京大学大学院人文社会系研究科哲学研究室論集 | (通号 15) | 1996 |
元明 淳 | フッサールにおける「二重感覚」の問題 | 現象学年報 | (通号 12) | 1996 |
武内 大 | 空間-時間-運動─フッサールとフィンクの世界概念を巡って | 現象学年報 | (通号 12) | 1996 |
伊集院 令子 | 類似性と呈示─像理論のフッサールによる自己修正の意味 | 現象学年報 | (通号 12) | 1996 |
司馬 春英 | 唯識思想とフッサール現象学における原的事象への問い | 哲学年誌 | (通号 6) | 1995.11 |
小椋 義明 | フッサールにおける数の起源について | 同志社哲学年報 | (通号 18) | 1995.09 |
林 克樹 | フッサールの「根源的意識」における<「我あり」の意味> | 哲学 | (通号 45) | 1995.04 |
佐藤 英明 | トワルドウスキーとフッサール─像と言語 (第54回〔日本哲学会〕大会一般研究発表要旨) | 哲学 | (通号 45) | 1995.04 |
飯野 由美子 | フッサールの「純粋論理学的文法」─「超越論的論理学」の観点から | 科学基礎論研究 | 22(2) | 1995.03 |
工藤 和男 | フッサールにおける人格的世界の構想 | 同志社哲学年報 | (通号 特別号) | 1995.03 |
信木 晴雄 | フッサールにおける変項形成の多様体 | 文化学年報 | (通号 44) | 1995.03 |
信木 晴雄 | フッサールにおける「人格」概念─「私は~出来る(Ich kann)」という無限の可能性の倫理的意義 | 倫理学研究 | (通号 25) | 1995.03 |
三村 尚彦 | ゲッチンゲン学派のフッサール本質論の批判について─ヘリング インガルデンの本質論を中心にして | 関西大学哲学 | (通号 16) | 1995.03 |
野家 伸也 | フッサール・フレーゲ・認知科学〔英文〕 | 東北工業大学紀要 | (通号 15) | 1995.03 |
浜渦 辰二 | フッサール・データベースについて | 人文論集 | 46(1) | 1995 |
米村 まろか | 教育の<内容>とは何か─記号表現によって表現されるものについてのフッサールの分析をもとに | 名古屋大學教育學部紀要 教育学科 | 42(1) | 1995 |
畠山 聡 | フッサールにおける歴史の問題を考えるために─「危機」付録28の読解を通じて | 哲学雑誌 | 110(782) | 1995 |
佐藤 英明 | トワルドウスキーとフッサール─像と言語 (公募論文<特集>) | 哲学 | (通号 46) | 1995 |
小林 睦 | フッサールにおける大地と身体─精神病理学からの照射 | 倫理学年報 | (通号 44) | 1995 |
坂田 登 | 現前の形而上学としての現象学─デリダのフッサール批判 | 福井大学教育学部紀要 第1部 人文科学 哲学編 | (通号 40) | 1995 |
中田 基昭 | 授業研究と生の現象学的解明─フッサールの他者論における問題点の克服に向けて | 東京大学大学院教育学研究科紀要 | (通号 35) | 1995 |
宮坂 和男 | E・フッサール E・フィンク『超越論的方法論の理念』(新田義弘・千田義光訳 岩波書店) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
三村 尚彦 | 個別的本質とイデ─-ヘリング インガルデンにおけるフッサール本質論の批判について (日本現象学会第16回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
浜渦 辰二 | 国内情報:インターネットによるフッサール・データベースの公開 | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
里見 軍之 | 主観的目的論の帰趨─カントとフッサール (日本現象学会第16回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
谷 徹 | フッサール現象学と目的論 (日本現象学会第16回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
加国 尚志 | 絡み合いと同時性─後期メルロ=ポンティのフッサール解釈をめぐって (日本現象学会第16回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
田口 茂 | フッサールの「モナド」概念─相関と現実化 (日本現象学会第16回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 11) | 1995 |
竹原 弘 | フッサールとデリダにおける時間論 | 徳山大学論叢 | (通号 42) | 1994.12 |
塩川 千夏 | フッサールにおける指向性の超越と空間構成の問題 | 哲学論集 | (通号 23) | 1994.06 |
高野 孝 | 志向性の構造としての述定─フッサール意味論における転換 (第53回〔日本哲学会〕大会一般研究発表要旨) | 哲学 | (通号 44) | 1994.04 |
森村 修 | フッサールにおける倫理的「革新」の問題─フッサールの「大正時代」についての一考察 (第53回〔日本哲学会〕大会一般研究発表要旨) | 哲学 | (通号 44) | 1994.04 |
林 克樹 | フッサールの「根源的意識」における<「我あり」の意味> (第53回〔日本哲学会〕大会一般研究発表要旨) | 哲学 | (通号 44) | 1994.04 |
長滝 祥司 | フッサールとメルロ〓ポンティ─世界概念を軸にして | 文化 | 57(3・4) | 1994.03 |
千葉 胤久 | 予期の現象学─フッサールの予期現象の分析を手がかりにして | 文化 | 57(3・4) | 1994.03 |
三上 真司 | フッサールとハイデガ─-事実と本質の関連をめぐる相剋と交錯 | 横浜市立大学論叢 人文科学系列 | 45(3) | 1994.03 |
小林 靖昌 | 現代における学問の課題と研究者の倫理─フッサール「ヨーロッパ的諸科学の危機と超越論的現象学」の再検討 | 岐阜大学教育学部研究報告 人文科学 | 42(2) | 1994.03 |
浜渦 辰二 | 幾何学的空間と生きられる空間─フッサールから見たカント空間論 | 人文論集 | 45(1) | 1994 |
浜渦 辰二 | 空間の現象学にむけて─フッサールによるカント超越論哲学の改造 | 人文論集 | 44(2) | 1994 |
神谷 英二 | フッサール後期思想における歴史と相互主観性 | 哲学雑誌 | 109(781) | 1994 |
細見 和之 | アドルノのフッサール論を表象すること | 独仏文学 | (通号 28) | 1994 |
中 敬夫 | 一にして不可分の空間(の)経験─スピノザ・フッサール・ビラン | 愛知県立芸術大学紀要 | (通号 24) | 1994 |
布施 伸生 | 故郷世界と異郷世界の関係のダイナミックス─フッサールの生活世界論における目的論と事実性 | 哲学論叢 | (通号 21) | 1994 |
田口 茂 | フッサールのモナドロギ─-相互主観性と世界との相即的構造 | 哲学世界 | (通号 17) | 1994 |
石原 孝二 | 自我と時間─フッサールとハイデガーの「自己触発」論 | 東京大学文学部哲学研究室論集 | (通号 13) | 1994 |
家高 洋 | フッサールにおける時間意識の作用について | カルテシアーナ | (通号 12) | 1994 |
山形 頼洋 | 声と生き生きした力─フッサールの感覚感(Empfindnis)とビランの生ける抵抗(resistance vivante) | 現象学年報 | (通号 10) | 1994 |
榊原 哲也 | フッサールにおける自我と発生 | 現象学年報 | (通号 10) | 1994 |
工藤 和男 | 「危機補巻(全集29巻)」E・フッサール | 現象学年報 | (通号 10) | 1994 |
小林 睦 | 大地のロゴス─フッサールにおける「超越論的地質学」の可能性 (日本現象学会第15回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 10) | 1994 |
伊藤 均 | フッサール現象学における身体の問題 (日本現象学会第15回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 10) | 1994 |
工藤 和男 | フッサールにおけるモナドとしての自我 | 人文学 | (通号 154) | 1993.11 |
嶋谷 洋 | 現象─フッサールとメルロ=ポンティ | 文化 | 57(1・2) | 1993.09 |
信木 晴雄 | フッサールにおける瞬間の共在 | 同志社哲学年報 | (通号 16) | 1993.09 |
小川 侃 | 認識の現象学から政治の現象学へ─フッサールの現象学の原理とアリストテレスのプロネーシス論 (21世紀の哲学─新しい人間像と自然像<特集>) | 理想 | (通号 651) | 1993.06 |
松尾 宣昭 | フッサールの構成論についての省察 | 哲学 | (通号 43) | 1993.04 |
布施 伸生 | フッサール現象学における他者の他者性 | 哲学 | (通号 43) | 1993.04 |
E.WOrth ; 塚本 正明 訳 | ディルタイとフッサール現象学─相対主義によって哲学がうけた挑戦 | 思想 | (通号 825) | 1993.03 |
E.W Orth ; 小川 侃 訳 ; 後藤 弘志 訳 | フッサールの現象学における記述 | 思想 | (通号 825) | 1993.03 |
本庄 史明 | フッサールにおける超越の契機 | 立命館文學 | (通号 529) | 1993.03 |
南条 文雄 | M.ウェーバーの「因果認識的解明」の認識論的根拠─フッサールの「知覚」論との内在的関係について | 明治学院論叢 | (通号 519) | 1993.03 |
工藤 和男 | フッサールにおける現実性の概念 | 人文学 | (通号 153) | 1993.03 |
浜渦 辰二 | 文化の現象学のために─フッサール間主観性の現象学の問題圏 | 人文論集 | 43(2) | 1993 |
高野 孝 | 意味の理解と意味論─フッサール「論理学研究」から「意味論についての講義1908年夏学期」 (日本現象学会第14回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 9) | 1993 |
石田 三千雄 | フッサールにおける相互主観性のモナド論的構成について | 徳島大学総合科学部紀要 人文・芸術研究篇 | (通号 6) | 1993 |
塩川 千夏 | 窓としての像─フッサールにおける像現象の問題 (Bild<特集>) | 上智哲学誌 | (通号 6) | 1993 |
神谷 英二 | フッサールにおける身体構成と相互主観性 | 東京大学文学部哲学研究室論集 | (通号 12) | 1993 |
常俊 宗三郎 | フッサールの本質論─近代抽象理論批判における | 人文論究 | 42(1) | 1992.06 |
内田 樹 | 声と光─レヴィナス「フッサール現象学における直観の理論」の読解 | 神戸女学院大学論集 | 38(3) | 1992.03 |
谷 徹 | 現象学─フッサールとハイデガー (1930年代はこんな時代だった<特集>) | 数学セミナー | 31(3) | 1992.03 |
布施 伸生 | フッサールにおける本質看取と他者理解 (日本現象学会第13回研究会の報告) | 現象学年報 | (通号 8) | 1992 |
佐藤 容子 | 時間の根源への問い─フッサール「内的時間意識の現象学に関する諸講義」による | 竜谷哲学論集 | (通号 8) | 1992 |
石田 三千雄 | フッサールにおける他者経験の問題 | 徳島大学総合科学部紀要 人文・芸術研究篇 | (通号 5) | 1992 |
鈴木 康文 | フッサール身体論におけるキネステーゼ概念─自由論への手がかりとして | 倫理学年報 | (通号 41) | 1992 |
古賀 徹 | フッサールにおける本質的なものと歴史的なもの─ハバーマスのフッサール批判に抗して | 哲学 | (通号 28) | 1992 |
伊藤 均 | フッサール現象学における習性と自我の問題 | 哲学論叢 | (通号 19) | 1992 |
神谷 英二 | 超越論的他者と時間性─フッサールの「生き生きした現在」をめぐって | 東京大学文学部哲学研究室論集 | (通号 11) | 1992 |
Kah Kyung Cho 著 ; 榊原 哲也 訳 ; 寺田 誠一 訳 | 共同作業としての現象学─1936~37年におけるフッサールとファーバーの往復書簡 (哲学の現場<特集>) | 國學院雜誌 | 92(11) | 1991.11 |
小山 英一 | フッサールの「経験と判断」における前述定的世界について | 精神科学 | (通号 30) | 1991.11 |
浜渦 辰二 | 他者と言語─フッサール間主観性の現象学の問題圏にて | 哲学年報 | (通号 50) | 1991.03 |
李 洙正 | フッサールの言語論 (言語と現実) | 哲学雑誌 | 106(778) | 1991 |
榊原 哲也 | フッサールにおける言語と現実─現象学的記述について (言語と現実) | 哲学雑誌 | 106(778) | 1991 |
寺田 誠一 | フッサールにおける普遍的想像の可能性について (言語と現実) | 哲学雑誌 | 106(778) | 1991 |
松尾 宣昭 | フッサールの思索に特徴的な2つの態度について | 倫理学年報 | (通号 40) | 1991 |
森村 修 | 形式的倫理学としての純粋倫理学─フッサール倫理学の一断面 | 倫理学年報 | (通号 40) | 1991 |
中川 明博 | フッサール現象学における「批判」の意味について | 学習院大学文学部研究年報 | (通号 38) | 1991 |
矢島 忠夫 | フッサールの「時間講義」における”把握内容-把握”図式の解消について | 哲学誌 | (通号 33) | 1991 |
浜渦 辰二 | 他者と異文化─フッサール間主観性の現象学の一側面 | 哲学年報 | (通号 49) | 1990.03 |
細川 亮一 | フッサールとハイデガー | 哲学年報 | (通号 49) | 1990.03 |
田中 基博 | 真理と志向性─フッサールにおける充実理論と対応真理説 | 関西大学哲学 | (通号 14) | 1990.01 |
門脇 俊介 | フッサールとハイデガー あるいは知と行為 (西洋哲学史考) | 哲学雑誌 | 105(777) | 1990 |
細川 亮一 | フッサールとハイデガー (西洋哲学史考) | 哲学雑誌 | 105(777) | 1990 |
宮坂 和男 | 論理・知覚・歴史─フッサールによる根源的経験への還帰について | 倫理学年報 | (通号 39) | 1990 |
遠藤 弘 | 時間と神─フッサール アレグザンダー ホワィトヘッド〔独文〕 | 早稲田大学大学院文学研究科紀要 哲学・史学編 | (通号 36) | 1990 |
高野 孝 | フッサール「意味論についての講義」における現象学的意味概念の導入 | 哲学 | (通号 26) | 1990 |
小林 睦 | 対象と意味の間─フッサールにおける「幻像(Phantom)」概念 | 思索 | (通号 23) | 1990 |
小川 侃 | フッサール50回忌記念学会─サンチャゴ・デ・コンポステーラからヴッパタールまで(海外哲学展望) | 理想 | (通号 643) | 1989.07 |
鈴木 康文 | フッサール身体論における立脚点の問題 | 哲学 | (通号 39) | 1989.04 |
奥村 隆 | 社会科学における「生活世界」の概念とその射程─シュッツ ハバーマスからフッサールへ | 社会学評論 | 39(4) | 1989.03 |
林 克樹 | フッサールにおける「世界信(Weltglaube)」の概念─その止揚不可能性の根拠について | 文化学年報 | (通号 38) | 1989.03 |
越智 洋 | 直観と変様─フッサール現象学の方法について | 文化女子大学研究紀要 | (通号 20) | 1989.01 |
榊原 哲也 | フッサールの時間意識─初期時間論における「時間構成的意識流」の概念の生成 | 哲学雑誌 | 104(776) | 1989 |
星 敏雄 | 「共自然性」と身体─フッサール身体論の圏域へ | 工学院大学研究論叢 | (通号 27) | 1989 |
貫 成人 | フッサールにおける歴史の問題〔独文〕 | 埼玉大学紀要 | (通号 25) | 1989 |
尾形 敬次 | フッサールにおけるデカルト主義の行方 | 哲学 | (通号 25) | 1989 |
森村 修 | 「確定的多様体」を巡る諸問題─フッサール「学問論」の一断面 | 思索 | (通号 22) | 1989 |
小川 侃 | 存在と仮象─フッサールにおける「妥当性変更の現象」についての構造論的-現象学的解釈 | 地域文化研究 | (通号 15) | 1989 |
野家 伸也 訳 | フレーゲ=フッサール往復書簡 (フレーゲ・ルネサンス<特集>) | 理想 | (通号 639) | 1988.08 |
和田 渡 | 遡行的変様─フッサール初期時間論における「根源」の問題 | 哲学 | (通号 38) | 1988.05 |
千田 義光 | フッサールとフロイト | 國學院雜誌 | 89(3) | 1988.03 |
野家 伸也 | エドムント・フッサールー1-略伝の試み | 東北工業大学紀要 | (通号 8) | 1988.03 |
知念 清憲 | 経済学は何処へ行くのか-2-フッサールと「生活世界」 | 琉球大学経済研究 | (通号 35) | 1988.03 |
森田 安洋 | 他者経験と自我の構造─フッサール「デカルト的省察」第5省察への一視座 | 阪南論集 人文・自然科学編 | 24(1) | 1988 |
貫 成人 | フッサールにおける死の問題─相互主観性と時間性の問題連関への一視点 | 哲学雑誌 | 103(775) | 1988 |
中川 明博 | フッサールの範疇的直観について | 学習院大学文学部研究年報 | (通号 35) | 1988 |
里見 軍之 | 純粋論理学と超越論的論理学─フッサール論理学の展開 | 哲学論叢 | (通号 18) | 1987.12 |
森永 和英 | 社会行為論ノート─間主観性の超越論的主題化の位相─フッサール間主観性論の方法と展望 | 現代思想 | 15(10) | 1987.09 |
浜渦 辰二 | 他者経験の構造と発生─フッサール「デカルト的省察」を読み直す | 哲学論文集 | (通号 23) | 1987.09 |
安居 誠 | 明証の構造─フッサールの判断論における「自明性」についての考察 | 哲学論文集 | (通号 23) | 1987.09 |
高階 勝義 | 「事象そのもの」への問い─フッサールの知覚の現象学 | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 21) | 1987.09 |
Hubert L Dreyfus 著 ; 野家 伸也 訳 | フッサール・志向性・認知科学-3- (機械じかけの心─人工知能の現象学-3-) | 現代思想 | 15(8) | 1987.07 |
Hubert L Dreyfus 著 ; 野家 伸也 訳 | フッサール・志向性・認知科学-承前- (機械じかけの心─人工知能の現象学) | 現代思想 | 15(7) | 1987.06 |
品川 哲彦 | 人格的自我─フッサール自我論における | 哲学 | (通号 37) | 1987.05 |
岡田 光弘 | フッサール初期の「哲学的-数学的諸研究の終結テーマ」とゲッチンゲン学派の論理哲学 | 哲学 | (通号 37) | 1987.05 |
斎藤 慶典 | フッサール初期時間論における「絶対的意識流」をめぐって | 哲学 | (通号 37) | 1987.05 |
Hubert L Dreyfus 著 ; 野家 伸也 訳 | フッサール・志向性・認知科学 (機械じかけの心─人工知能の現象学<特集>) | 現代思想 | 15(5) | 1987.04 |
宮原 勇 | 志向性と個体の同一性─フッサール現象学の新展開 (ヨーロッパ哲学とアメリカ哲学の対話<特集>) | 理想 | (通号 634) | 1987.04 |
渡辺 英之 | フッサールの生世界論─生世界の超越論的主題化の意味 | 文化学年報 | (通号 36) | 1987.03 |
立野 清隆 | フッサールの超越論的現象学-2完- | 人文科学 | (通号 2) | 1987.03 |
伊吹 雄 | フッサールの時間分析についてのヨハネ・キリスト論的考察〔独文〕 | 成蹊大学一般研究報告 | (通号 23) | 1987.02 |
小熊 正久 | 知覚における因果関係─フッサールの「イデーン・第2巻」を手がかりとして | 山形大学紀要 人文科学 | 11(2) | 1987.01 |
後藤 弘志 | フッサールは相対主義を超えたか? | 哲学 | (通号 39) | 1987 |
森村 修 | 感覚概念が意味するもの─フッサールの現象学的感性論序説 | 思索 | (通号 20) | 1987 |
木村 彰吾 | 超越論的意識と純粋自我の問題─デカルト・サルトル・フッサール | 立命館文學 | (通号 496~498) | 1986.12 |
三橋 浩 | フッサールとジェイムズ | 大阪産業大学論集 人文科学編 | (通号 60) | 1986.1 |
工藤 和男 | フッサールにおける他者の意味 | 人文学 | (通号 143) | 1986.09 |
松田 毅 | フッサールのファンタジ─-現象学的還元の現象学の試み | 哲学 | (通号 36) | 1986.05 |
立野 清隆 | フッサールの超越論的現象学-1- | 人文科学 | (通号 1) | 1986.03 |
鈴木 宣明 | エディト・シュタイン─フッサールからカルメルへ | ソフィア | 34(4) | 1986.01 |
小熊 正久 | フッサールの『算術の哲学』における「心理学的分析」─「心理学主義批判」との連関において | 山形大学紀要 人文科学 | 11(1) | 1986.01 |
宮原 勇 | 経験の枠組と「意味」─超越論哲学のフッサール的形態 (哲学の展開<特集>) | 理想 | (通号 632) | 1986.01 |
石田 三千雄 | 時間と意識─フッサールの初期時間論 | 広島大学文学部紀要 | (通号 45) | 1986.01 |
小松 弘 | フッサールの映像論 (日本映像学会第11回大会特集号) | 映像学 | (通号 33) | 1986.01 |
斎藤 慶典 | フッサール現象学と実践(プラクシス)の問題 | 倫理学年報 | (通号 35) | 1986 |
杉村 立男 | バークリーの光学批判とフッサールの物理学的客観主義批判 | 都留文科大学研究紀要 | (通号 24) | 1986 |
常俊 宗三郎 | フッサールの純粋論理学 | 関西学院哲学研究年報 | (通号 20) | 1986 |
牛島 謙 | フッサールの「イデーン」 | 武蔵大学人文学会雑誌 | 17(2) | 1985.12 |
田村 京子 | フッサールの「相互主観性」についての一考察 | 哲学 | (通号 81) | 1985.12 |
佐藤 嘉一 | A.シュッツをめぐる2人の哲学者─ベルグソンとフッサール | 立命館産業社会論集 | (通号 46) | 1985.12 |
三橋 浩 | フッサール現象学の一考察 | 大阪産業大学論集 人文科学編 | (通号 57) | 1985.11 |
手川 誠士郎 | フッサールの現象学におけるデカルト主義の超克について | 立正大学文学部論叢 | (通号 82) | 1985.09 |
小山 英一 | フッサールの「受動的綜合」について | 精神科学 | (通号 24) | 1985.05 |
本間 謙二 | フッサールにおける超越論的主観性の哲学の成立過程─「論理学研究」における自我の問題 | 北海道教育大学紀要 第1部 A 人文科学編 | 35(2) | 1985.03 |
米田 俊秀 | フッサールの時間意識について | ぱいでいあ | (通号 9) | 1985.03 |
日暮 陽一 | 世界・自我・他者─E.フッサールにおける越超論的観念論の意味についての考察 | 東洋大学紀要 教養課程篇 | (通号 24) | 1985.03 |
田中 健夫 | フッサールにおける生活世界概念と自然科学主義批判-1- | 千葉大学教養部研究報告 A | 18(上) | 1985 |
牛島 謙 | フッサールの志向性概念 (志向性の問題) | 哲学雑誌 | 100(772) | 1985 |
川田 俊昭 | アジア概念 ヘーゲル「精神現象学」に拠って-2-カント ヘーゲル フッサール | 東南アジア研究年報 | (通号 27) | 1985 |
手川 誠士郎 | E.フッサールにおける「他」とその影響について-1- | 立正大学人文科学研究所年報 | (通号 23) | 1985 |
石田 三千雄 | フッサールにおける形式論理学の現象学的基礎づけ | 広島大学文学部紀要 | (通号 44) | 1984.12 |
山形 頼洋 | ディフェランスもつくは死体なき殺人─フッサールのために (フランスの哲学<特集>) | 理想 | (通号 615) | 1984.08 |
伊藤 春樹 | フッサールにおける<概念語の対象>について | 文化 | 47(3・4) | 1984.02 |
宮原 勇 | 超越論哲学としての現象学の可能性─フッサールにおける意味と形相(エイドス)の概念について | 倫理学年報 | (通号 33) | 1984 |
谷 徹 | フッサールの人格概念 | 倫理学年報 | (通号 33) | 1984 |
石田 三千雄 | 現象学的心理学から超越論的現象学へ─心理学への関係を考慮したフッサールの思想の歩み | 広島大学文学部紀要 | (通号 43) | 1983.12 |
瀬島 豊 | 生活世界の問題性─フッサール現象学批判・その序説 | 關西大學文學論集 | 33(1) | 1983.11 |
伊藤 春樹 | フッサールにおける形式論理学の<二面性>について | 文化 | 47(1・2) | 1983.09 |
高階 勝義 | 侮蔑されたドクサの解放─フッサールの生活世界の現象学 | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 17) | 1983.09 |
加藤 茂 | フッサールの他我理論 | 専修人文論集 | (通号 31) | 1983.08 |
渡辺 二郎 | フッサールにおける現象学的直観と言語 (哲学論文特集-1-) | 理想 | (通号 600) | 1983.05 |
岡本 由起子 | 「フッサールにおける受動的綜合の問題」 | 哲学 | (通号 76) | 1983.04 |
工藤 和男 | フッサールにおける経験的実在論 | 人文学 | (通号 138) | 1983.01 |
米田 俊秀 | フッサールの「範疇直観」 | ぱいでいあ | (通号 7) | 1983 |
手川 誠士郎 | フッサールとその後継者達 | 立正大学文学部論叢 | (通号 74) | 1982.12 |
石田 三千雄 | 現象学的超越論哲学への道─フッサールの「危機」における根本問題 | 広島大学文学部紀要 | (通号 42) | 1982.12 |
長谷川 晃 | フッサール「内的時間意識の現象学」覚書 | 東京水産大学論集 | (通号 18) | 1982.12 |
Bernhard Waldenfels 著 ; 千田 義光 訳解説 | 軽視されたドクサ─フッサールにおける生活世界と日常との問題性へ(特別寄稿) | 思想 | (通号 701) | 1982.11 |
丸山 徳次 | フッサールと理論-実践-問題 | 龍谷大学論集 | (通号 420) | 1982.05 |
高橋 哲哉 | フッサールの論理学観─形式主義批判を中心として | 哲学 | (通号 32) | 1982.05 |
福田 正子 | 芸術作品の世界─フッサールの「生活世界」概念にふれつつ | 美学 | 32(4) | 1982.03 |
吉沢 夏子 | A.シュッツにおけるフッサール哲学の意義─”自然的態度の構成的現象学”とは何か | 哲学 | (通号 74) | 1982.03 |
谷 徹 | フッサール晩年の遺稿における他者理論の展開 | 哲学 | (通号 74) | 1982.03 |
工藤 和男 | フッサール現象学の根本的主題 (平石善司先生・中桐大有先生退職記念論文集) | 文化学年報 | (通号 31) | 1982.03 |
赤松 常弘 | フッサールの科学批判と超越論的現象学 | 人文科学論集 | (通号 16) | 1982.03 |
長谷川 晃 | フッサール「経験と判断」覚書-2- | 東京水産大学論集 | (通号 17) | 1982.02 |
高橋 哲哉 | 現象と記号─デリダのフッサール批判について | 哲学雑誌 | 97(769) | 1982 |
千田 義光 | フッサールの様相論 (様相の問題) | 哲学雑誌 | 97(769) | 1982 |
篠木 芳夫 | フッサールのヒューム論 | 北海道教育大学紀要 第1部 A 人文科学編 | 33(1) | 1982 |
桑野 耕三 | フッサールの現象学の基本考察 (早稲田大学創立100周年記念号) | フィロソフィア | (通号 70) | 1982 |
米田 俊秀 | 我と汝─フッサールと西田における他者の問題 | ぱいでいあ | (通号 6) | 1982 |
寿 卓三 | 「存在と時間」に於ける共同存在分析の位相─フッサール間主観性理論との対決 | 倫理学年報 | (通号 31) | 1982 |
手川 誠士郎 | E.フッサールにおける超越論的主観性について | 立正大学人文科学研究所年報 | (通号 20) | 1982 |
石田 三千雄 | フッサールの「第一哲学」(1923/24年)における現象学的還元について | 広島大学文学部紀要 | (通号 41) | 1981.12 |
新田 義弘 | 地平の現象学への道─フッサールによる「ファイノメノン」の力動的考察の成立 (1920年代:現代思想の源流-1-<特集>) | 思想 | (通号 688) | 1981.1 |
高階 勝義 | 実在と意識─フッサールの超越論的-現象学的観念論の意味 | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 15) | 1981.09 |
小椋 義明 | フッサールにおける志向性と目的論 | 文化学年報 | (通号 30) | 1981.03 |
赤松 常弘 | フッサールの「純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想」第二巻における存在の階層構成について | 人文科学論集 | (通号 15) | 1981.03 |
長谷川 晃 | フッサール「経験と判断」覚書-1- | 東京水産大学論集 | (通号 16) | 1981.02 |
Klaus Held 著 ; 小川 侃 訳 ; 梅原 賢一郎 訳 | フッサール以後(ナッハ)の(フッサールに拠る(ナッハ))時間の現象学 (現象学<特集>) | 理想 | (通号 571) | 1980.12 |
石田 三千雄 | 領域的構成論と現象学-1-フッサールの「イデーン」2における自然の構成 | 広島大学文学部紀要 | (通号 40) | 1980.12 |
峰島 旭雄 | 西田哲学とフッサール現象学 (梶芳光運博士記念特輯) | 哲学年誌 | (通号 4) | 1980.11 |
里見 軍之 | フッサールの時間論-3- | 哲学論叢 | (通号 7) | 1980.1 |
矢島 忠夫 | 構成するものと構成されるものとの関係の逆転─メルロ=ポンティのフッサール解釈 | 弘前大学教育学部紀要 | (通号 44) | 1980.09 |
上妻 精 | サルトルにおける他者の問題─フッサール ヘーゲル ハイデガーとの対決 (サルトル<特集>) | 理想 | (通号 567) | 1980.08 |
田原 八郎 | 二重的世界観の意味─フッサール研究総括 | 大谷女子大学紀要 | 15(1) | 1980.07 |
加茂 英臣 | コプラの問題─ブレンターノからフッサールへ | 哲学 | (通号 30) | 1980.05 |
魚住 洋一 | 事物・身体・大地─フッサールにおける自然の問題 (自然<特集>) | 理想 | (通号 562) | 1980.03 |
赤松 常弘 | フッサール現象学における諸学の基礎づけと生活世界 | 人文科学論集 | (通号 14) | 1980.03 |
石井 登 | フッサールにおける相互主観性と生活世界の問題 | 白山哲学 | (通号 14) | 1980.03 |
山口 勲 | ヤスパースとフッサール─精神病理学の哲学的基礎 | 城西人文研究 | (通号 7) | 1980.01 |
山口 勲 | ヤスパースとフッサール─精神病理学の哲学的基礎 | 城西人文研究 | (通号 7) | 1980.01 |
狩集 日出男 | ハイデッガーとフッサール─出会いと離別をめぐって | 現代科学論叢 | (通号 13) | 1979.12 |
里見 軍之 | フッサールの時間論-2- | 哲学論叢 | (通号 5) | 1979.11 |
高階 勝義 | フッサールの科学批判と「生活世界」概念 | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 13) | 1979.09 |
高階 勝義 | フッサールの科学批判と「生活世界」概念 | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 13) | 1979.09 |
平 英美 | A・シュッツと間主観性問題─フッサールの「デカルト的省察」に対する批判をめぐって | ソシオロジ | 24(1) | 1979.08 |
篠木 芳夫 | ナトルプの一般心理学とフッサール | 哲学 | (通号 29) | 1979.05 |
永井 均 | 超越論的主観性と意義作用─デリダのフッサール批判から | 哲学 | (通号 69) | 1979.03 |
里見 軍之 | フッサールの時間論-1- | 哲学論叢 | (通号 4) | 1979.03 |
赤松 常弘 | フッサール現象学における人間的主観性のパラドックスについて | 人文科学論集 | (通号 13) | 1979.03 |
宮田 幸一 | 超越論的相互主観性理論の可能性─ヘルトによるフッサール再解釈の試み | 哲学雑誌 | 94(766) | 1979 |
鈴木 修一 | 類型化と理念化─フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」第二部第九節「ガリレイにおける自然の数学化」a「純粋幾何学」における二 三の問題をめぐって | 人文研究 | (通号 73) | 1979 |
常俊 宗三郎 | フッサールの言語観 | 社会福祉評論 | (通号 47) | 1979 |
石崎 晴己 | サルトルとフッサール─『存在と無』「序論」を中心とした フッサールとの関わりについて (新制大学〔青山学院大学〕創立30周年記念) | 青山学院大学文学部紀要 | (通号 21) | 1979 |
Klaus Held 著 ; 児島 洋 訳 | フッサールの「ファイノメノン」への復帰 (現象学の展開<特集>) | 思想 | (通号 652) | 1978.1 |
成田 常雄 | 持続と変様─フッサールの時間論における対象意識について (現象学の展開<特集>) ─ (世界・時間) | 思想 | (通号 652) | 1978.1 |
高階 勝義 | 現象学的感性論序説─フッサールの感覚概念をめぐって | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 12) | 1978.09 |
下村 寅太郎 | 西田幾多郎宛て雪門老師 フッサール リッケルトの書簡各一通 その他─附 藤岡作太郎宛書簡二通 | 思想 | (通号 647) | 1978.05 |
鈴木 修一 | 心理的なものと理念的なもの─フッサール著「数の概念について」論文の一考察 | 人文研究 | (通号 71) | 1978 |
小熊 正久 | フッサールにおける意味のイデア性と客観化行為の目的論 | 思索 | (通号 11) | 1978 |
高階 勝義 | フッサールにおける人間的主観性の自我論的構造─そのパラドクスをめぐって | 鳥取大学教養部紀要 | (通号 11) | 1977.09 |
加藤 登之男 | フッサールのモナド論 | 東北大学教養部紀要 | (通号 26) | 1977.02 |
米田 俊秀 | フッサールの「明証」について | 哲学論集 | (通号 24) | 1977 |
船橋 弘 | フッサール現象学における自我概念の展開 | 宮城教育大学紀要 | (通号 12) | 1977 |
丸山 敦子 | フッサールとデカルト─現代理性への批判的考察 | 女子栄養大学紀要 | (通号 7) | 1976.12 |
千田 義光 | 間主観性の問題─シェーラーとフッサールにおいて (哲学特輯号) | 國學院雜誌 | 77(11) | 1976.11 |
宇野 裕章 | フッサール現象学における真理の問題 | 哲学 | (通号 28) | 1976.1 |
細川 亮一 | ヘーゲルとフッサール─「現象学」概念をめぐって | 思想 | (通号 625) | 1976.07 |
足立 和浩 | 「意味」の現象学─フッサール ハイデッガー メルロォ=ポンティをめぐって | 人文学報 | (通号 110) | 1976.03 |
常俊 宗三郎 | フッサールの現象学の展開-1- (大和〔チドリ〕教授退官記念号) | 社会福祉評論 | (通号 44) | 1976 |
成田 常雄 | フッサール現象学の研究─内的時間意識のアポリアと反省の問題-3- | 山口大学教養部紀要 | (通号 9) | 1975.1 |
田中 健夫 | 現象学的倫理学の可能的方途─フッサールにおける現象学的倫理学の批判的検討 | 倫理学年報 | (通号 24) | 1975.03 |
土戸 敏彦 | フッサールにおける<生活世界>の意味 | 京都大学教育学部紀要 | (通号 21) | 1975.03 |
内田 種臣 | 認識の論理と様相概念─フッサールの自由変更の問題 | フィロソフィア | (通号 63) | 1975 |
矢島 忠夫 | 現象学の境界─E.フッサール「幾何学の起源」へのJ.デリダによる「序説」について | 哲学誌 | (通号 17) | 1974.12 |
成田 常雄 | フッサール現象学の研究─内的時間意識のアポリアと反省の問題-2- | 山口大学教養部紀要 | (通号 8) | 1974.11 |
木下 喬 | フッサールにおける相互主観性の問題 | 思索 | (通号 7) | 1974.1 |
中村 文郎 | フッサールの還元理論 | 思索 | (通号 7) | 1974.1 |
吉田 輝 | フッサールの中和性分析 | 哲学 | (通号 26) | 1974.1 |
田中 敦 | カントとフッサールの超越論哲学 | 人文科学研究 | (通号 9) | 1974.06 |
渡辺 幸博 | フッサール現象学の展開─純粋意識から生活世界の概念へ | 関西大学哲学 | (通号 5) | 1974.05 |
青木 茂 | フッサールにおける個体構成論-3-「純粋現象学考案(1)」を中心として | 東京女子大学論集 | 24(2) | 1974.03 |
内田 種臣 | フッサールの「純粋論理文法」について (言語の問題(特集)) | 科学基礎論研究 | 11(4) | 1974.03 |
矢島 忠夫 | 言葉の意味とものの意味─フッサールをめぐって | 哲学誌 | (通号 16) | 1973.12 |
成田 常雄 | フッサール現象学の研究-1-序論「事象そのものへ」と超越論的立場 | 山口大学教養部紀要 | (通号 7) | 1973.11 |
小池 稔 | 自我と時間─フッサール晩年の思想的境位 | 文化 | 37(1・2) | 1973.1 |
成田 常雄 | フッサール現象学における反省の問題─問題把握のための一つの試み | 思索 | (通号 6) | 1973.1 |
本間 謙二 | フッサールの生活世界概念に含まれる問題 | 思索 | (通号 6) | 1973.1 |
内田 種臣 | 現象学と分析哲学─フッサールとフレーゲ | 科学哲学 | (通号 6) | 1973.1 |
明珍 昭次 | 現象学的疎外論─フッサール解釈の一つの試み | 商学論集 | 41(5) | 1973.08 |
米沢 有恒 | マリア・マヌエラ・サライヴァ「フッサールによる想像作用」(Maria Manuela Saraiva;L’Imagination selon Husserl Phaenomenologica Vol.34 1970) | 美学 | 24(1) | 1973.06 |
伏見 文雄 | フッサールの直観概念について-2- | 関西外国語大学研究論集 | (通号 20) | 1973.03 |
北村 浩一郎 | 哲学の方法について─デカルト・ベルクソン・フッサールを中心に | 学習院大学文学部研究年報 | (通号 19) | 1973.03 |
加藤 登之男 | フッサールの論理学 | 東北大学教養部紀要 | (通号 17) | 1973.02 |
鈴木 修一 | フッサールにおける自然的態度をめぐって | 哲学誌 | (通号 15) | 1972.12 |
桑野 耕三 | 佳作・要旨「ヘーゲルとフッサールとハィデガー」 (公募論文入選発表〔主題・現象学〕) | 理想 | (通号 474) | 1972.11 |
長谷川 宏 | フッサールと言語-下- | 理想 | (通号 470) | 1972.07 |
長谷川 宏 | フッサールと言語-中- | 理想 | (通号 469) | 1972.06 |
手川 誠士郎 | 30年代の危機と学問─フッサール ハイデッカー ホルクハイマーをめぐって (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
長谷川 宏 | フッサールと言語-上- (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
佐伯 省一 | 現象学はお人好し? (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
明珍 昭次 | フッサールの歴史哲学─「危機」一書をめぐって (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
高階 勝義 | フッサールにおける現象学的還元の意味 (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
金田 晋 | フッサールの空間論 (フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
長谷川 弘 | フッサールと言語-上-(特集・フッサール) | 理想 | (通号 468) | 1972.05 |
フッサール | 理想 | (通号 468) | 1972.05 | |
伏見 文雄 | フッサールの直観概念について…-1- | 関西外国語大学研究論集 | (通号 18) | 1972.03 |
手川 誠士郎 | フッサールの中期思想について | 立正大学文学部論叢 | (通号 41) | 1972.02 |
西井 元昭 | 時間についての存在論的考察─フッサール及びハイデッガーを経たサルトルの時間論 | 大谷大学研究年報 | (通号 24) | 1972.02 |
青木 茂 | フッサールにおける個体構成論─「内的時間意識の現象学」を中心として-2- | 東京女子大学論集 | (通号 22) | 1972.02 |
石原 静雄 | 超越論的主観性─フッサールの「危機」における | 山梨大学教育学部研究報告 | (通号 22) | 1972.02 |
高階 勝義 | フッサールにおける自然と精神─自然と意識の出会いの問題 | 思索 | (通号 4) | 1971.1 |
青木 茂 | フッサールにおける個体構成論-1- | 東京女子大学論集 | 21(2) | 1971.07 |
小池 稔 | 理性と質料─フッサール現象学のアポリアをめぐって | Artes liberales | (通号 8) | 1971.03 |
手川 誠士郎 | 純粋自我・他我・相互主観性〔フッサールをめぐって〕 | 立正大学哲学・心理学会紀要 | (通号 3) | 1971 |
千田 義光 | エゴ・コギト・コギタータ・メア─フッサールにおける超越論的主観性の構造 | 哲学雑誌 | 85(757) | 1970.1 |
小倉 志祥 | フッサールの倫理学 (現象学) | 哲学雑誌 | 85(757) | 1970.1 |
立松 弘孝 | 前期フッサール哲学の発展と形成 (現象学) | 哲学雑誌 | 85(757) | 1970.1 |
西田 厚聡 | フッサール現象学と相互主観性─政治社会論の見地からの一試論 | 思想 | (通号 554) | 1970.08 |
加藤 精司 | 人間の科学について─フッサールとフーコー | 哲学 | (通号 6) | 1970.06 |
亀田 佳代子 | E.フッサール著佐竹哲雄訳「厳密な学としての哲学」 | 哲学年誌 | (通号 3) | 1970.06 |
峰島 旭雄 | フッサールとハイデガー(現象学研究-1-) | 哲学年誌 | (通号 3) | 1970.06 |
小柳 守弘 | サルトルとフッサール─序説(文芸思潮の研究-2-) | 福岡大学研究所報 | (通号 12) | 1970.04 |
Werkmeister W.H; 斉藤 博道 訳 | フッサールとヘーゲル | 精神科学 | (通号 9) | 1970.03 |
加藤 登之男 | フッサールの生世界に含まれるアポリア─超越論的主体性の脱自的構造 | 文化 | 33(3) | 1970.02 |
立松 弘孝 | フッサールの言語理論 (ことばと哲学) | 哲学雑誌 | 84(756) | 1969.1 |
加藤 登之男 | フッサールよりメルロー・ポンティへ (現象学(特集)) | 理想 | (通号 437) | 1969.1 |
成田 常雄 | フッサールにおける「現実性問題」 | 思索 | (通号 2) | 1969.1 |
小池 稔 | フッサールにおける現象学的反省と「世界」の問題 | Artes liberales | (通号 6) | 1969.1 |
長谷川 宏 | フッサール批判─自然的対象の超越性をめぐって | 駒澤大學文學部研究紀要 | (通号 27) | 1969.03 |
新田 義弘 | フッサールにおける方法の問題─態度変革の意義とその根拠 | 思想 | (通号 536) | 1969.02 |
加藤 登之男 | フッサールの生世界(Lebenswelt)と存在の底層-1- | 仙台大学紀要 | (通号 1) | 1969.02 |
里見 軍之 | フッサールの「志向性」理論 | 待兼山論叢 | (通号 2) | 1968.12 |
丸山 良治 | 意識と存在─フッサールの存在の思考 | 天理大学学報 | 20(1) | 1968.11 |
足立 和浩 | フッサール現象学と「自我の超越」 | 東京大学教養学部人文科学科紀要 | (通号 45) | 1968.03 |
曽我 英彦 | フッサールにおける体験の空間的構造 | 哲学 | (通号 52) | 1968.03 |
金子 武蔵 | 哲学随想-4-〔フッサール〕 | 理想 | (通号 412) | 1967.09 |
新田 義弘 | フッサールにおける世界と歴史─現象学と形而上学の関係について | 白山哲学 | (通号 2) | 1966.11 |
山本 万二郎 | フッサール現象学における生命界の階層的構造と歴史 | 哲学 | (通号 46) | 1965.02 |
野田 義一 | 先験的相互主観性─フッサール現象学における認識と人間関係との関係について | 教育学・心理学研究紀要 | (通号 1) | 1964.07 |
佐藤 慶二 | 現象学的方法─フッサールとハイデッガー | 理想 | (通号 341) | 1961.1 |
木田 元 | 生世界の現象学─フッサールからメルロ・ポンティへ | 中央大学文学部紀要 | (通号 22) | 1961.04 |
山本 万二郎 | 「生命界」概念を中心とするフッサール後期思想の展開-続- | 哲学 | (通号 38) | 1960.11 |
青木 隆嘉 | フッサールの「エイドス」 | 哲学研究 | 41(1) | 1960.1 |
水野 和久 | フッサールのモナド論 | 哲学研究 | 40(11) | 1960.07 |
馬場 俊彦 | 自然科学的世界と人格的世界─フッサールの現象学的方法による存在問題の研究 | 明治学院論叢 | (通号 57) | 1960.04 |
山本 万二郎 | 「生命界」概念を中心とするフッサール後期思想の展開 | 哲学 | (通号 37) | 1959.12 |
山本 万二郎 | フッサール・アルヒーフを訪れて | 哲学 | (通号 37) | 1959.12 |
加藤 泰義 | 現象学的方法の展開─フッサールからハイデガーへ | 理想 | (通号 319) | 1959.1 |
木田 元 | フッサールにおける時間意識と意識の時間性 | 文化 | 23(1) | 1959.04 |
山本 万二郎 | フッサールのカント観 | 哲学 | (通号 34) | 1958.01 |
新田 義弘 | フッサールの世界分析論について | 文化 | 19(3) | 1956.07 |
根井 康雄 | フッサールにおける意識の地平の問題 | 哲学年報 | (通号 19) | 1956.07 |
加藤 隆生 | フッサール現象学に於ける反省の本質 | 哲学論集 | (通号 2) | 1956.03 |
小川 弘 | フッサールに於ける他我の超越に就いて | 一橋論叢 | 32(1) | 1954.07 |
明珍 昭次 | フッサールシェーラーに於ける人間存在の問題 | 文化 | 18(2) (通号 161) | 1954.03 |